見出し画像

仕事復帰か隠居生活か?

「ねえ〜。気が変わった? 気が変わるなら今だよ。」
「僕は一人で行きたくない。一人で居たくない。」
主人はまるで小さな子供のようにショボくれている。

主人は私の気が変わるのを期待して最後までぐずぐずしていたのだが、私が断固として彼と一緒にアップステートの家に行かないと悟ると最後には諦めて車をスタートして去って行った。

山の家があるアップステートのタウンホールで大事なミーティングが今晩あるのでどうしてもそれに間に合うようにマンハッタンの家を出なければならなかった。

私は寒かったので主人に「さよなら。運転気をつけてね。」とだけ言うと彼の運転する車がまだ視界から消える前にさっさとアパートのビルディングの中に入り込んだ。「今晩は何を作って食べようかな。」と考えるだけで楽しかった。しばらくぶりの一人の生活が始まる開放感がたまらなく嬉しかった。

今までの私だったら、情に負けて彼と一緒に山の家に帰るのが常だったが今回は帰る気分になれなかった。主人が一人で山の家に住んでくれれば私だけ暖かくなる4月末までマンハッタンの家にいるつもりだ。

しばらく主人と別居生活になるかも知れないが、寒い山でのきつい生活から逃れられると思うとホッとする。食料の買い出しも大変だし、食べたいものが手に入らない。マンハッタンに住んでいれば、ほとんど全て歩ける範囲内で用がたせる。人恋しくなれば一歩アパートのドアを出れば外界との接点を持てるし、友人にもいつでも会える。好きなレストランにも行けるし、娘にも会える。外がどんなに寒くても部屋の中はTシャツで居られるぐらいにいつも暖かい。

薪を外のガレージから運んでくる肉体労働からも解放されるし、着替えるのも億劫になるほど家の中が寒いこともない。やっぱり都会の生活は快適だ!と特に冬になると思う。

そして何よりも以前の仕事のプロジェクトを復活させるには遠ざかっていた仕事関連の人達と会ったり街を歩いて探索をする時間も必要となる。ほぼ3年間にわたる世捨て人同然の生活から抜け出してビジネス精魂の気分のスイッチの切り替えも必要だ。

私はほとんどの出来事を包み隠さず主人に話すが、ビジネスに関する事は主人にはあまり話さない。主人は私が不機嫌で無口になると又仕事上で何かあったな、と簡単に察する事はできる。夜寝ていても私がガバッと起き上がって何か紙にメモを書き始めると隣に寝ている彼も睡眠不足になる。主人は私にもう仕事に戻って欲しくないと言う。無理もないだろうと思う。ほとんど毎晩夕食を食べようとすると日本から電話が入り料理の最中であろうが食事中であろうが私は必ず応対にでるからだ。
電話にでるチャンスを逃すと相手の仕事関係者はそれから1日中忙しく私は一晩中彼を追いかけなくてならない羽目になる。メイルだと翌日まで返答を待たなくてはならず、それもまた不便なのである。だから電話がかかってきた時に要件を電話で話したほうが楽なのだ。

仕事をするのが嫌だったのかと言うとそうではない。仕事は好きだったし、やりがいもあった。仕事の関係者も人間的にも尊敬できる人たちであったし、一緒に仕事ができることを光栄に思った。

しかし、あの仕事生活に戻るとなると主人との今の、のんびりとした隠居生活は捨てなくてはならない。

本当は、主人が車をスタートさせる直前まで私も行こうか行くまいか心の中で迷っていたのだ。それを主人に言えば、もう間違いなく行く羽目になる。そして、行けば行ったでそれなりに、たとえ気温は寒くても山での良い時間を過ごすことができると思う。「お帰りなさい」と言って山も家も隣人も温かく私達を迎えてくれるのを知っている。

これからまたビジネスを再開させるぞ!と意気込みが必要な今の私には、その心地良さが士気を挫けさせるのだ。という事は、まだ100%気持ちが吹っ切れていないと言う事なのか? まだどうしようか悩んでいるのか?

思考が停止している。同じ事をぐるぐると頭の中だけで考えていて結論が出ない。こういう時はどうしたものか? 

気分が乗らなくてもまず動き出してみる。動いていく内に調子が戻ってくるかもしれない。それもあり得る。
本当にやる気が出るまで待つ。いつまで待つか? 待っていても来ないかも知れない。ああ、ダメだ。又同じ思考の繰り返し。

よく直感に従えというが、直感とは閃きのようなものだから頭脳で考えているうちは直感とは呼ばないだろう。私は、かなり直感が強い方であるが今回は感が萎えている。

ここまで考えていて疲れたから、夕食の支度に取り掛かろう。

主人が出て行ってから、韓国風の焼肉をするために牛肉に焼き肉用タレを絡めておいてある。私が何を食べても主人は苦情は言わないが、彼が好きでない食べ物は基本的には作らない。私としては、家族でも夫婦間でも、それが同居人であっても同じ屋根の下に住む相手が嫌いなものや不快に感じるニオイをする料理を作るのは抵抗があるし、モラルに欠けると思っている。そこまで気にする必要もないのだが、これは私なりの流儀である。

私はあまりセンチメンタルでもなく、人からも気が強い女だと言われるし自分でもそう感じているがモラルに関しては少し敏感な方だと思っている。他人に強要をすることではないが、モラルと自分なりの流儀はあったほうが良いと思っている。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?