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幼い頃の小豆あんの思い出 ーこしあんが絶対好きー

今日はあんの思い出を書こうと思う。小豆のあんの事だ。急にフッとあんが食べたくなった。私は昔から粒あんよりこしあんのほうが圧倒的に好きだ。先日頭によぎったあんのイメージは葬式饅頭で、赤ん坊の頭のサイズぐらい大きい満月型で皮が白くて薄く、焼印が真ん中に押してあるずっしりと中身のあんが重たい饅頭だ。不謹慎に聞こえるだろうが、小さい頃、お葬式で配る葬式饅頭を両親が持ち帰ってくるのが楽しみだったのを覚えている。悲しみより持ち帰ってくる葬式饅頭の方をはっきり覚えているくらいだから、遠い親戚か私が会った事もない両親の知り合いか誰かの葬式であったのだろうと思う。その頃の私の実家のある静岡の小さな町(今では市に昇格しているが)は葬式の饅頭も結婚式の饅頭も同じお店で調達していたと思うが両方とも同じ製法で作られたこしあんだったのだろうか? 私は、おめでたい時に配られる紅白饅頭よりも葬式饅頭のこし餡のほうが美味しいと常に思っていたものだ。多分今思えば、葬式饅頭の方が紅白饅頭よりもサイズが大きかったので、当然中のあんの量も多かったからだと想像するのだが。まだ日本では葬式饅頭を葬式に来た人に配るという風習は残っているのだろうか?

幼い頃のあんの思い出は、どら焼きやたい焼きにまでさかのぼる。もう半世紀以上も前の事で、その頃の田舎の我が家では贅沢なおやつなど日常生活の中で与えられていなっかった。父親が機嫌が向いた時に、仕事帰りに買ってきてくれるどら焼きやたい焼きがこの上もなくうれしかった。私はどら焼きよりもたい焼きのほうが好きだった。これも多分に、どら焼きのあんは全て粒あんで、私の好きなこしあんではなかったからだと思う。今日は、買って帰るかなと夕方になると期待が膨らんだ。冬の寒い日に、父が新聞紙に包んだたい焼きを懐から取り出すと、甘い焦げたようなあんの匂いが漂い、まだ触るとほかほかと暖かい鯛焼きが嬉しくて「わー」と素直に歓声を上げたものだった。たい焼きの尾っぽの先までこしあんが詰まっているのを手に入れた時は、とてつもなく得したような気分になった。

何年か前にニューヨークの日本食料品店でたい焼きの袋の絵を見た時は懐かしくて感激した。美味しいかどうか未知なのでとりあえず1袋試しに買ってみたのだが、これが冷凍品とは思えないくらいに美味しかった。中身は粒あんだったが、贅沢は言えない。大昔に食べた父が買ってきてくれた懐かしい鯛焼きの味とは少し違うが、十分に満足した。私がたい焼きを一匹お皿にのせて電子レンジで温めようとしていたらアメリカ人の主人が台所に入ってきて「それは何?」と聞く。どうせ食べないだろうと思っていたので、私だけの分をお皿に用意していたのだが「僕も食べたい」と言う。彼はあまり小豆あんを好きではないと私は思い込んでいたのだが、たい焼きは気に入ったようだ。その後主人はいつもの彼の癖で好きになった食べ物は、1つ、2つ買うのではなくまとめて5袋も6袋も買ってくるのである。それが食べ飽きるまで続く。ある期間我が家の冷凍庫は大量のたい焼きの袋で占領された。料理は好きでもあまり甘いものを食べる習慣がない私は、デザートとか菓子類はほとんど作らない。作れば甘いものに目がない主人はクッキーモンスターのごとく頬張るのが分かっているからだ。でも次回市内に帰ったら小豆を買って自分であの懐かしいこしあん作りにチャレンジしてみようかと思う。

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