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今日もご機嫌!は訓練次第

ニューヨーク市内に戻ってきてから3日目。気持ちの良い秋晴れだったので朝食後主人と家の前のハドソン川の桟橋を歩いた。真っ青に晴れ上がった空、ハドソン川沿いには何棟もの高層住宅のビルがそびえ立つ。ゆったりと流れるハドソン川の向こう側には隣のニュージャジー州が見える。清々しい空気が肌をなでて、気分爽快。
”あー、やっぱりシテイーは良いね。” と私たちは超ご機嫌で話しながら歩いていたら突然主人が犬の⚬⚬を踏んづけた。私は主人の足が踏む前に、地面に着くのを防ごうとして思わず彼の大きな体を押しのけたが、時すでに遅し。ニューヨークのストリートは犬の後始末のせいで本当に汚い。もう随分前の話だが犬の❍❍が至る所にあって綺麗なパリのイメージが幻滅したというツーリーストの話を覚えているが、ニューヨークのストリートも例外ではない。特にマンハッタンの住宅地を話に夢中になりながら景色を眺めたり遠くを見たりして歩いたら悲惨な目にあう。目はいつも目の前に集中していないといけない。ニューヨークの人口の半分以上が犬を飼っているのではないかと思われるほど何しろ犬を散歩している人がやたら多いのだ。

気分も萎え、家に帰る途中ストリートを横切ろうとしたら、恐ろしい勢いで走ってくるサイクリストの男性と衝突しそうになった。そこは歩行者優先なので、サイクリストは道を譲るかスピードを緩めなくてはならないのが規則である。先ほどの犬の⚬⚬の事件から主人のムードが悪くなっていた矢先だったので彼は思わず汚い言葉をサイクリストに投げかけたら、相手も負けずと罵りを返しながら疾走して立ち去った。上機嫌で始まった清々しい朝はあっという間に暗雲が立ち込めたかのような重い気分に一転した。

”ニューヨークに戻ってきたのね”としみじみと実感する。この街は個と個のエゴのぶつかりが半端ではない。私はいくら自分が正しくてもモラルのない人と正気でない人を相手にして口論しても勝ち目がないどころか、返って危険な目にあうだけなので日頃から口論はできるだけ避けるように努めている。勿論悔しい思いはあるが身の安全を守るための手段である。その点、主人はマンハッタン生まれのマンハッタン育ち、生粋のニューヨーカーで68歳の現在でもニューヨーク訛りの英語で怯まず口論する強靭な精神を持ち合わせている。教養も教育もある人だが、今日のサイクリストに投げかけたようなフォー レター ワードも時に飛び出す。 身内にはやさしいが、敵に回したら厄介な存在である。若い時に比べて肉体的には衰退していても、まだタフな精神と言語が達者なので批判精神も強いのである。

最近私は若い時にはできなかったこと、苦手なことだったことが少しずつ上手になってきたと思うことがある。それは、自分の機嫌を自分で取れる様になったことである。今は、恥ずかしいこと、嫌なこと、気分が落ち込むことがあっても、”まあ、いいか。起きたことはしょうがないよね。”と開き直るのが上手になった。いつまでも気持ちをそこに残さないようにする気分転換の訓練もした。

機嫌の悪い人は、原因があって機嫌が悪くなるのではないのだ。初めからムシャクシャしていて、天気が悪かったり、自分が挨拶をしたのに相手から返事がなかったり、予定していたスケジュールが相手の都合で変更になったりと不機嫌になる正当な理由をこじつけているのだと思う。世の中コントロールできないものがほとんどなのに、自分の思い通りにいかないとすぐしょぼくれて不機嫌になり、一番最低なのは、家族や関係のない周りの人たちにまで不機嫌の毒ガスを撒き散らす。不機嫌な人は、誰かを巻き添えにして一緒に不機嫌の世界に連れ込もうとしているのだから、毒ガスを吸い込まない様にすぐその場から逃げるが懸命だ。

機嫌が良いと体の調子も良い。よく眠れるし、食事と酒がおいしい。自分の機嫌が良いと家族や周りの人たちまでほっこりさせる。機嫌をちゃんと維持できるかは毎日の心がけと訓練次第だと思う。何歳になってもまだまだ訓練は続けていきたい。




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