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美味しくお節料理ができました。

できた。できた。美味しくお節料理ができた。

晴天で暖かな元旦。

家族も友人も皆が料理を口にするたびに、美味しい、美味しいと言ってくれてテーブルに所狭しと並べられた全ての料理を気持ち良くたいらげてくれて、大満足。私も皆の幸せな顔をみると嬉しい。作った甲斐があった。

筑前煮は、材料を揃えて下準備に時間が掛かったが手がかかった分だけ、これだけで一仕事やり終えた感がある。時間をかけてゆっくり味を染み込ませて、そのあとざるにあげて余分な汁気をきることのテクニックを覚えた。やはりお料理は一手間かけると出来上がりの完成度が違う。

ちらし寿司は、焼いた錦糸卵を上にのせ奮発して買ったイクラと鰻を散らせばやっぱり見た目も豪華でお正月らしい華やかさを醸し出してくれた。別に宣伝をする訳ではないが、Otafukuの寿し酢は味が決まっていて本当に重宝だ。昆布を少し多めに入れて米を炊き、Otafukuの寿し酢をまぜれば味がそれだけでピッタと決まる。主人も娘の婚約者もアメリカ人にしては、鰻が大好物だ。どういう訳か日本人の私の友人と、日本人の血を引く私の娘は鰻が苦手で食べない。

ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちの娘は寿司はあまり食べないが、そのくせ納豆は大好物だ。白いご飯に納豆をかけて無限に食べれる。国籍を超えて、このあたりの嗜好の違いはどこからくるのだろうと不思議に思う。

シュリンプ スキャンピ は大ヒットだった。やはり、香ばしいガーリックの匂いとオーブンから取り出したばかりの温かい料理は食欲を誘う。冷たい料理と冷たい日本酒や白ワインのドリンクばかりだと体が冷えてしまい、出来立ての温かい料理は心も体もほっとさせてくれる。今度からこのレシピを感謝祭やクリスマスのディナーにも応用してみようと思う。

手作りの伊達巻きも栗きんとんも砂糖を控えて蜂蜜を使ったのでほんのりとした甘さで以前に市販のものを買っていたときはいつも余ってしまったのだが、これも完食。縁起物なので一応お節の隅に加えた黒豆は、少量にもかかわらず残ってしまった。友人が、一口食べて「この黒豆作ったの?」とこっそり私の耳元で囁いた。「買ったもの」と答えたら「やっぱりね」という返事が返って来た。なにかのコマーシャルではないが「違いがわかる」家族と友人なのだ。

あまりにも牛肉の値段が高くて買えずローストビーフを献立から外してしまったが、何か牛肉っぽいものが食べたい心残りがずっとあった。思いつきで急遽アスパラグスの牛肉巻きにした。冷蔵庫の中にアスパラガスが残っていたので、大晦日の夕方に近くの日系食料店に駆け込み牛肉の薄切りを買って来てアスパラと巻いて作った。これも咄嗟の思いつきでお節に加えた料理にしては、上手にできた。お財布にも負担がかからず、簡単に作れるし、精進料理だけだと口寂しく、やはり肉っぽいものが食べたかったので、めでたし、めでたし。

白い蒲鉾にガーリックとハーブの入ったブリーチーズを挟んだ一品も箸休めというかファーク休めとして人気があった。淡白な蒲鉾と濃厚なチーズの組み合わせが口の中で一緒にかみあわさって冷たい白ワインとよく合った。ただ時間が経つと中に挟まっているチーズが溶けてしまうので、あったら大葉とか何か緑のものを下に引けば色合いも綺麗だし皿も汚れなくて良いかと思う。

やっぱり皆んなでワイワイ言いながら食べる食事は美味しい。

日本のお正月の良き伝統とお節料理は娘にも伝えていきたいのだが、娘はひたすら食べるだけで作るのは興味がないらしい。

まあ、いいか。

私だって彼女の歳の時は料理など全然興味がなかったのだから。料理を作る楽しさを知ったのは、最初の結婚が終わってシングルマザーになった40歳半ば近くになってからだ。

元旦から食べて、飲んで、笑って、娘達が連れて来た子犬のルナが家の中を走り回って騒々しいけれど「ありがとうございます。このひとときに感謝します」と皆の楽しげな顔を見渡しながらそっと心の中でお礼を言った。特に誰にというわけではないけれど。













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