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読書の勧め。本を粗末に扱ってはいけません。

母が亡くなってからすでに29年もの時が流れた。私の母が今の時代に生きていれば、きっとこのnote に毎日記事を連載しているのではないかと思う。そう思っただけで心がキュッと引き締まってもう少し頑張ってみようと又こうして書き始めている。活字が大好きな母であった。私の中にある母の思いでは、背中を丸くして縁側の床に広げた新聞紙を隅から隅まで読んでいる姿である。文章の才能と字のうまさは若い時から定評があって親戚縁者や近所の人達までが何か特別なオケージョンがあるたびに母に代筆を頼みにくるほどだった。

自分ではコントロールできない生まれた時代と環境の運命に一番悲しく残念に思っていたのは、他ならぬ母であったであろう。母は男に生まれてくれば良かったといつもこぼしていた。「不甲斐ない」という言葉を漏らしていた。今の時代に生まれていたなら、その才能を何か社会の為に生かすことができたと思うと残念でならない。


私が、まだ小さい頃、床に置いてある新聞紙や書物などを足で跨いで歩こうとするたびに「活字は貴重なものだから粗末に扱ってはいけません。」といって叱られたものである。アメリカ生まれの私の娘にも小さい頃から同じ事を言い聞かせてきた。娘は今でもその訓を守っているのか疑わしいものだが、娘も彼女の祖母に劣らぬほど幼いころから本を読むのが好きで育った。今でも毎日忙しい仕事に疲れていても、夜寝る前は必ず本を読む習慣がある。私達はたまに外で会って食事やコーヒーを一緒にするが、ブックストアーに寄り道するのは私達の定番コースの一つになっている。

母から私は、書道と絵の心得も習った。書道は、小学校時代から中学にかけて塾に通っていたけれど常に母からもアドバイスをもらっていた。絵は教室に通うとか特別な訓練をしたことがなかったが、母から木の枝葉の描き方や川の水の流れの色使いなどの手ほどきをうけて、よく県の書道や絵画のコンクールで賞をもらったものだ。私は特別娘に絵の書き方の手ほどきをしたことはないのだが、多分に彼女の祖母の血を引いているのか幼稚園や小学校の頃には、彼女のクラスの子が娘の描く絵が欲しくて彼女が描き上げるのを列を作って待ち、出来上がり次第に持って行ってしまうと担当の先生が打ち明けて下さった。娘の絵のファンの中には、学校の校長先生もいて、一時期校長先生の部屋の壁に飾ってあったそうだ。残念ながら現在の娘は、そんなことがあったなんてとっくに忘れていて絵を描く興味もさらさら持ち合わせていない。

後年、母は私たち4人の子供が成長して経済的に少し余裕ができて、さらに62歳で初のバイクの免許を取得してからは少し離れた駅前の書店にも一人で自由に出かけられるようになり、彼女の本棚の本の数もめっきりと多くなってきた。賢かったけれど最小限の教育しか受けられなかった彼女の人生の中で本を通して教養を身につけ高等学歴に匹敵するくらい貴重な学問を学んだ。ずいぶん後になって近所の幼馴染から聞いた話なのだが、母は私の母校の中学校に図書館の本を買うようにと、あるまとまった金額を寄付したそうだ。母は、この事はその頃すでにニューヨークにいた私には一切知らせてくれなかった。いかにも本好きな母らしい寄付の仕方である。

29年前に母が亡くなって、葬式のために実家に戻った私は、母の形見として数冊の本をニューヨークに持ち帰った。彼女は着物や宝石などはあまり持っていなかったし、私もそれらの所持品には特に興味もなかった。我が家のニューヨークにある家の棚の片隅に毎朝お茶碗の水を取り替えて亡き両親に挨拶をするスペースがあるが、そこに母の形見の本も置いてある。その中の一冊は、日本の婦人運動家であり元参議院議員の市川房江の著がある。平塚らいてうと協力して新婦人協会を設立し、日本の女性参政権獲得に大きな貢献を果たした女性である。母は選挙に興味があり、自分の応援する地元の候補者の選挙活動の応援によく駆けつけてもいた。

72歳の短い母の生涯だった。小さいときから賢かったけれど病弱で、封建的な考えがまだ色濃く残っていた(今でも残っている)静岡の田舎の貧乏な6人兄弟の長女に生まれなかったら、彼女はどのような違った生き方を私に見せてくれただろうか? 田舎を出て東京の大学に進み、その後すぐ渡米してきて以来もっと疎遠になってしまってほとんど母と深く語り合うこともなくきてしまった。後悔あとを立たずとはよく言ったものだ。私がニューヨークに来てから母から届いた手紙には、一緒に暮らしている孫が小学校に上がったとか私の幼馴染みと道であってしばらく私の事で立ち話をしたとか、たまには日本に帰ってきて欲しいとか書かれていた。昔の人のあまりにも達筆すぎる文章は私には読めないところもある。母の残してくれた本とこれらの手紙が私と母との貴重な思い出を繋いでくれている。親不孝な娘でごめんなさい。生きているうちにもっといろいろな話をすれば良かった。貴方の孫娘とは、もっと会話をするように心がけているので、その分ご容赦下さいね。

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