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母の形見の本を読んで過ごす贅沢な時間

今日1月16日(月曜日)は、アメリカ合衆国ではキング牧師の誕生日を祝う祝日である。

今は毎日オフィスに行っていないので、日曜日でも祝日でも家にいることに変わりはないが、それでも祝日だと天下晴れて家にいても後ろめたさを感じないでいられるのは、まだ完全に家で働くことに慣れていないのだとつくづく思う。そして仕事から離れることにも吹っ切れていない。

主人が山の家に行ってから5日が経つ。過去2日間連絡がない。私の方から安否を気遣って電話をしようとかテキストを送って様子を聞こうとか思わない。娘から昨夜電話があって、「明日はホリデイだからどこかで会って食事でもする?」と誘いがあったが断った。なんと言う冷たい妻であり薄情な母であろうかと思うが、気が乗らないので致し方ない。

私は、一人の時間が好きなのだ。
昨日からずっと本を読んでいる。
買い物にも出かけないので、冷蔵庫にある残った野菜や冷凍庫にある肉を解凍して料理をしているが、それでも満足感のある美味しいものを食べている。まだワインが残っているうちは、リッカーストアに買い出しに行かなくても良いので、あと数日は家にあるものでなんとか食いつないで生きていける。

外の世界から遮断して、一人家に籠るのは私にとって最高の贅沢な時間の費やしかただ。窓からジョギングをしている人達や犬を散歩させている人達、小さな子供達が芝生でキャッチボールしているのを観察することができるし、犬の吠える声や子供たちの叫び声も聞こえてくるので一人でいても寂しいとは感じない。

昨日からずっと貪り読んでいる本は、私の母の何冊かある形見の本のうちの、瀬戸内寂聴著の 寂聴 般若心経 生きるとは である。
母は、瀬戸内寂聴の本を全部で3冊残しているので好きな作家だったのであろう。私は、自分では瀬戸内寂聴の本を買って読んだ事はないので母娘でも本の嗜好は違うようである。

生前の母にはいつも本の一番後ろのページに自分の名前と、住所、本を購入した日付を書く習慣があった。日付は平成2年12月となっている。平成2年と言う事は、西暦1990年である。それを裏付けるように本の中に町の小さな本屋で買った時の1,030円の領収書が挟まれていて、日付は1990年12月となっている。母が69歳の時に読んだ本だった。亡くなる3年前に購入したものである。私が渡米してから10年の月日が経っている。

本の中には、領収書だけでなくハガキが一枚と新聞の切り抜きが挟んであった。
ハガキは、同じ町内のスタンプが押されていて12月18日の日付だった。短い内容の文章で、同じ町に住む母の友人の娘からのものであった。それによると、手紙の返事が遅れて申し訳ないというお詫びからはじまり、母の友人である、その娘さんのお母様は元気を少し取り戻してはいるが、点滴をうっているとのこと。まだ字を書くことが出来ないので本人に代わり代筆をしている事などの近況報告がしたためられていた。

私の母は、読み書きが得意で字の達筆さは誰もが知るところであった。同じ町に住みながらも、電話をかけたりぜずハガキや手紙で季節のご挨拶を毛筆で書いていたのが思い出された。母としては自慢げに書いているつもりはサラサラないのだけれど、恐ろしく達筆で上手な文章で書かれた手紙をもらうと、ほとんどの人は返事を書くのを躊躇してしまうほどだった。

本に挟まれた新聞の切り抜きは、その当時応援していた自民民主党の静岡代表の大石千八事務所の住所が記載されたものであった。
母は若い時から喘息持ちで病弱だったが、聡明に生まれて政治に興味があり選挙のたびに大石千八の応援に駆けつけていたのだ。

母が田舎の小さな農家の長女としてではなく、健康に生まれて高等教育を受けていたならば、女性解放で活躍した市川房江のように政治に人生を捧げ思う存分に社会に奉仕できたのではないかと思うと残念でならない。自分の人生を不甲斐なく思い一番悔しかったのは、母本人であろう。

昨日暇に任せて何気なく本棚においてある母の形見の本の一冊を引き抜いてペラペラめくってみたらこれらのハガキと切り抜きが見つかった。
母が亡くなってから33年間もの間、私は本の中に挟んであったこれらの小さな、しかし確実に母の面影と生き方を伝えるものを残す形跡を昨日まで気がつかないでいたのだ。

母が何を思ってこの本を読んでいたのか少しでも母の心に触れたくて一字一句を噛み締めながら読んでいるのでべらぼうに読む速度が遅い。
主人も家にはいないし、時間はたっぷりとある。急いで読む必要もないので、母が33年前に触れたページを私も一枚一枚触りながら読んでいる。

私が、もし主人の誘惑に負けて5日前に彼と一緒に山の家に帰っていたらこの本を読むこともなく、本に挟んであったハガキや新聞の切り抜きに気づくこともなく、もしあってもさらに何年かの月日が経っていたかもしれない。

母が懐かしい。しかし私の心は穏やかである。

母もこの本を読んでいた時は、同じように穏やかな気持ちであったと思いたい。この頃は父はすでに他界をしていたが、子供達は皆それぞれの家庭を持っていて独立していたし、孫にも囲まれ暮らしていた。特に何者にもなれず小さな町の片隅で終えた母の平凡な人生だったが、着実に私の記憶の中で母の強い印象が刻まれている。

私は常に自分の娘に言っている。「あなたのおばあちゃんは、本当に賢くて強い女性だったのよ。貴方は、その血を引いているから何でも出来る。思いっきり自由にやりたいことをしなさい。」

娘は、小学校の時にクラスで「私の強くて賢い女性の家系」というスピーチを披露したそうだ。担任の先生から後で聞いた話なのだが、それを聞いた時私は嬉しかった。
母が生きていたらさぞ彼女の孫娘を自慢に思った事だろう。


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