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毎日が極楽だったらそれは生き地獄

今日でドミニカン リパブリックでのバケーション11日目。残すところあと4日。今日も82度の良いお天気に恵まれる。昨日、主人が私達の山の家のあるニューヨーク州、アップステイトのキャツキルの隣人とフェイスタイムを使ってプールサイドでおしゃべりをしていた。主人は、隣人にIPhoneでプールや海を見せながら歩き回り、隣人は彼の家の中から雪の降っている外の景色を見せてくれた。雪はかなり積もっているようだ。隣人は「同じ天体にいるなんて信じられないよ」と私達のいるドミニカン リパブリックの天候を羨んでいた。

本当に毎日が嘘のように温度が28度で同じ天候なのだ。椰子の木で鳥は囀り、真っ青な空が果てしなく続く。クリスマス直前だからなのだろうか、ホテルのゲストも少なくなってきてプールサイドで大声で騒いでいる連中もいなくなり静かな日が続いている。通常今日が何曜日であるか特にプランも予定もない私達にはどうでも良いことなのだが、今日は金曜日。毎週金曜日に劇場で催しされるサーカスのショウが今晩9時30分からある。来週火曜日にニューヨークに戻る私達にとって今日がサーカスを見る最後のチャンスなのだ。先週の金曜日は、私はもう9時にはベッドに入っていて部屋から出るのが億劫になっていたので見損ねてしまった。

毎晩9時30分からホテルにある劇場で、毎日取っ替え引っ替え趣向を凝らしたエンターテイメントがあるのだが、この11日間で私たちが観覧したのは先週の日曜日のマジックショウだけだ。男性2人と女性一人のパーフォーマーはキューバから来たと言っていた。今晩のサーカスの人達はどこの国からやってきているのだろうか。 主人から「今晩は絶対見に行くからね、眠らないでね。」と朝から何回もしつこく言われているので私は頑張って起きていなければならない。早く寝る習慣のある私は夜9時半まで起きていなきゃいけないと思うと朝からプレシャーを感じている。私のようなシニアの客の為に、レストランは4時半から夕食が食べられるとか、ショウは夜7時から開始とか考慮してくれないだろうか?やっぱりそれは無理な相談というものかな。

こんなに毎日が極楽にいるような暮らしをしていて、この生活が毎日続いて欲しいかと言えば必ずしもそうは思わない。かりに、経済的に全然問題なく老後をこのゲイトで守られた安全なホテルで暮らすことを想像してみよう。一年中ほとんど同じ気候である。来る日も来る日もプールサイドやビーチで寝そべっては、本を読みあさり、テレビをみたり、お腹が空けばレストランに行って好きなものを好きな量だけ食べられる。酒もいつでも無料で飲める。食料の買い出しに行く必要もなく、料理もせず洗濯も掃除もメイドがしてくれる。うわー、これはもう生き地獄ではないか!と私は思う。

動物園にいる野生動物達が3食昼寝つきの穏やかな生活を限られた敷地内で20年も30年も続けていたら体力は確実に低下し精神的にもノイローゼになるのと同じ。人間だって本来は自然界の動物なのだ。一見自由があり恵まれている環境のようではあるが、与えられた環境下で選択のない暮らしは真の自由から程遠いものだ。ホテルから一歩外に出たら危険だからといって長い間ホテルの敷地内から外出しないでいると足が確実に衰えてくる。いくら毎日ジムに行ってトレッドミルで30分走っても、しないよりはマシだと思うが、たかがしれている。どんなに美しい光景でも視野の中に入る光景はいつも同じで変わり映えがない。

自分の食べるものは自分で調達し自分の好みの味に調理することは、私にとってこの上もなく贅沢なことだ。汚れた服と下着を自分で洗って清潔を保つのも体力があるからできる事であり、かつまだ社会性が失われていない証明のようなものだ。
雪の多い長くて寒い冬が終われば春の日差しが暖かく眩しい。仕事や家族の世話の為に忙しくて本が読めないとせめてゆっくり本を読める日が欲しいと切に願うが、毎日好きなだけ本を読む時間を与えられれば、それさえもいつか飽きてくるであろう。

外から極楽のように見える優雅な生活でさえ、そんなものは実態のない蜃気楼のようなもので、魂が震えるほどの感動を得るとは全然関係のないものだと気がついたら、人生の達人になったようなもの。名声や地位、金、金銭、物質的にだけ恵まれた環境では人間は満足できないようになっていると私は思う。それらはいつも永遠に続くものではないので、手にしたら離れていくのを恐れていつも不安にかられる。ところが魂のレベルで幸せを感じていれば、自分の周りの環境がどんなに変化しようと金や地位を無くしても、幸せはいつもそこにあるのを知っている。

バケーションも蜃気楼のごとくはかなく消え去るものとわかっているからこそ、どんなに楽しくても贅沢な時間を過ごしていても現実に戻る日が来るのをいつも頭のどこかに感じている。少なくても私の経験から言えば、魂が震えるほどの感動は温暖で毎日変化のない南国のバケーション中で見出すことは難しい。勿論感動がなくても幸せだと感じられたらバケーションの意義はもう十分果たしているとは思うけれど。




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