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【Story of Life 私の人生】 第89話:スポーツ・ジャンキー時代 Part 3 〜 スキー事始め

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第88話:スポーツ・ジャンキー時代 Part 2 〜 テニスどハマり をお送りしました。
前回までは、テニスジャンキー状態だった頃のお話をしましたが、今回はスキーに関するお話をしようと思います。

私がスキーを始めたのは、年号が昭和から平成に変わったばかりの1989年2月のこと。
テニススクールに通い始めて半年目で、毎日コートに立っていないと禁断症状が出てきた頃になります。
そもそも、私は東京生まれの東京育ち。
両親の出身地も、神奈川と埼玉なので、雪とは全くご縁がない環境で育ちましたし、学生時代は、病気で殆ど運動が出来なかったこともあり、学校主催のスキー教室とも無縁でした。
そんな状態だから、一生スキーとは縁が無いと思っていたのですが…
スキーを始めたきっかけはとても単純で、会社の社員旅行が「富良野でスキー」だったからなのです!

当時は、まだ派遣社員の頃でしたが、香港の社員旅行の時と同じようなノリで、社長から「2月に社員旅行でスキーに行くから!」と言われました。
社長に「どこに行くのですか?」と聞いてみたら、「富良野だよ」と言われました。
当時、倉本聰さんの「北の国から」が流行っていた頃だったので、富良野には行きたいとは思ったものの、道具もウエアも持っていないし、そもそも「スキーは怖いスポーツ」だと思っていたので「富良野には行きたいけど、スキーはやったことが無いので、見学でも良いですか?」と聞いてみました。
すると、社長さんから「スキーをやらないなら、会社で留守番だよ!」と、即答されてしまい…
さあ困った!
富良野には行きたいけど、それにはスキーをやるしかないのです。
会社のお兄さん達に聞いてみたら「北海道のスキーは、自腹で行ける金額じゃないから、行った方が良い」と言われてしまい…
渋々スキーをすることにして、参加することにしたのでした。

とはいえ、いくら何でも「完全初心者」状態で、ゲレンデに放置されても困る!
であれば、ちょっとは滑れる状態で行かなければと思い、テニススクール仲間(彼女はスキーの草レーサーで、毎週末スキースクールの合宿レッスンに通っていました)に相談し、私もスキー合宿に参加させてもらうことになりました。
板とストックは借りればいいけど、とりあえずウエア、小物とブーツだけは必要と言われたので、会社のお兄さんに連れられて、会社から徒歩圏内の神保町のスキー店街に行ってみました。
その頃は、「私をスキーに連れてって」という映画が流行っていたこともあり、どのお店も人、人、人という状態!
自分から「積極的にスキーをしたくない」私は、まず人の多さに酔いそうになりました(泣)
ウエアは目が飛び出るくらい高いし、小物もゴーグル、手袋、インナー、靴下、帽子など、本当に沢山必要でビックリ(驚)
スキーバッグも当然必要で、これも結構お高い…
極め付けはブーツで、これが一番大変でした。
後日分かったことなのですが、私の足幅は1Eとかなり細いため、既成の靴では合うものが全く無いのです(泣)
最初に買った靴は、当時流行っていた「リアエントリー」方式、履きやすいけど、ブーツの中で足が動いてしまう状態のものが殆どで…
店にある靴を片っ端から試着させてもらい、どうにか靴もお買い上げ。
3時間以上掛かって、どうにか必要なものをゲットし、買ったばかりのバッグに詰め込んで帰宅しましたが、これが冗談抜きで大きい上に重たい!
キャスターが付いているバッグでも、当時はエスカレーターのある駅は殆ど無くて、電車の乗換えの階段は、冗談抜きで地獄状態!
これを持ち運んでスキーに行く人の気が知れないと思った程でした(汗)

また、スキー合宿は「金曜日の夜に仕事が終わったその足で、上野駅に集合して出発する」と聞いていたので、混雑の酷い朝の通勤電車にこんな大荷物を持って行くのは嫌だなぁ〜と思っていたら、彼女は「荷物はスキー宅急便」で宿に送って、手ぶらで行けば良いと言うではありませんか!
「そうか、その手があったか!」と目から鱗の私!
宿泊する宿の住所を教えてもらい、即座に荷物を送ったのでした。

余談ですが、平成スキーヤーの私は、荷物は「運ぶもの」ではなく、「宅急便で送るもの」と言うマインドです。
なので、今でも当然ですが「手ぶらでスキー」派です(笑)

話を元に戻します。
スキー合宿は、群馬県の丸沼高原スキー場でレッスンが行われ、宿はスクールの校長先生が経営されているペンションとなっていました。
レッスンは土曜日の朝8時からなので、始発電車で行っても間に合わないということで、金曜の夜出発になっていたのです。
夜7時前後の「特急あさま号」か上越新幹線に乗って、上野から高崎まで行き、普通電車に乗換えて沼田まで。
この時間だと、当然宿の夕食は無いので、乗換えする高崎駅で駅弁を買っていくことになります。
そこから沼田発の最終バスに乗って終点まで行き、宿の送迎車に乗換えて20分位走り、夜10時半前後にペンションに到着するという感じでした。

宿に着いたら、まず食堂で駅弁を食べ、お風呂に入って寝るという感じ。
そして翌朝は8時に宿を出るので、朝食は7時から。
この時点で、ある程度の着替えやゲレンデに持っていく荷物の準備が出来ていないとダメな訳です。
そもそも「スキー完全初心者」の私ですから、何をどうすれば良いのか全く分からない!
ただでさえ緊張していたせいか、朝はかなり早く起きたくせに、支度にもたついてしまい、初日は朝ごはんを食べる時間が5分くらいしかなかったです…

朝食後は、送迎車でスキー場まで行き、着いたら皆さんはリフト券を買いに行きました。
レベル別のクラスに分かれて、その日のレッスンが始まりました。

完全に初心者だったのは私だけだったので、コーチにマンツーマンで教えてもらうことになりましたが…
午前中のレッスンは、まず「板の運び方」、次に「板の履き方」、そして次に「カニ歩きのやり方」でした。
鈍臭い私にとって、カニ歩きはかなり大変!
全然進まないし、ちょっとした坂なのに、全く登れない!
全身汗ビッショリになり、ゼーゼーしてしまう状態で1時間くらい格闘し、やっとほんの少しだけ「板を履いた状態で移動」が出来るようになったら、次は「転んだ時に起き上がる方法」になったのですが…
まずストックが邪魔!
そして、どうやったら「起き上がって立てるか」のコツが全く掴めず…
これも1時間くらいジタバタ格闘して、やっと1回だけ起き上がれました(泣)
本来なら3時間レッスンなので11時半で終わりなのですが、起き上がれたのお昼頃。
コーチは呆れながらも、付き合ってくれました…

他の皆さんと合流して、ゲレ食でお昼を食べることになったのですが、この時点で青色吐息状態の私は、精神的にも肉体的にもダメージがかなり大きかったらしくて、全く食欲が無く…
コーンスープだけ飲んで、午後のレッスンに行くことにしました。

1時から午後のレッスンがスタートし、午前中と同じコーチが面倒を見てくれることになりました。
まず、カニ歩きで10メートル位登り、そこから直滑降をする練習から始まりました。
最初は、殆ど斜度がない(勝手に止まる)場所でしたが、少しづつ斜度がある場所に移動していきました。
となると、今度は「止まる」ことが出来ないと困る訳です。
「すっ転んで止まる」という手もあるけれど、それはかなり危ないし、起きるのが大変だということは、午前中のレッスンで身を持って体験していたので、「ブレーキ操作」だけはしっかり覚えないといけないと思いました。
板を八の字にしてブレーキを掛ける練習をし始めた頃から、天候がかなり悪化してきました。
雪がどんどん降ってきて、台風のような突風が吹き始め、猛吹雪状態となりました。
また、気温もどんどん下がっていきました。
コーチから「練習やめますか?」と聞かれましたが、何しろ「富良野デビュー」を控えているので、ほんの少しでも滑れる状態にならないと困る!
「いえ、まだ大丈夫です!」と、猛吹雪の中、カニ歩き→直滑降→八の字ブレーキの練習を延々と繰り返していきました。
他のクラスはレッスンを切り上げていましたが、私は4時までレッスンを続けました。

後で分かったのですが、この時の気温は丸沼高原スキー場開設以来の最低気温を記録した(北海道並みのマイナス20度以下!)そうです!
お陰で、私もコーチも、顔が半分凍傷に近くなってしまいました!
(本当に迷惑な話ですね、コーチ本当にごめんなさい)

レッスンが終わり、送迎車でペンションに戻り、氷のように冷え切った身体をお風呂で温めて、ペンションの「お洒落なフルコースディナー」をいただきました。
食後は各班に分かれてのミーティングで、私はコーチから色々とアドバイスを頂き、翌日のレッスン概要を聞いて初日のスケジュールが全て終了しました。
他の皆さんは、毎週来ている常連さんなので、ミーティング後に飲み会をしていましたが、私はこの時点で全身筋肉痛でクタクタ…
部屋に戻って爆睡でした。

翌日のレッスンは、前日のおさらいからスタートしました。
コーチから「今日はリフトに乗りましょう」と言われたので、リフト券を買いに行くことになったのですが…
リフト券売り場に行くには、その時の私から見ると「かなりの急坂」を滑って行くしかありません。
コーチから「あれだけ練習したんだから、絶対に大丈夫!」と太鼓判(励まし)を頂いたのですが、いざ滑り出すと「猛スピード」の体感で、途端にパニック状態!
怖くなって腰が引けてしまい、八の字ブレーキどころの騒ぎではなく…
リフト券売り場横の網に、思い切り突っ込んでしまい、まるで「底引網に引っかかった魚」状態になってしまいました(泣)
コーチに助けてもらってから、リフト券を買い、リフト乗り場まで牛歩の如く歩いて行きました。
この時点で、精神的にかなりのダメージを受けていて、もう泣きたい気分と、帰りたい気分でいっぱいの状態でしたが、後ろから「富良野」が追いかけてくるという「雁字搦め」状態。
コーチがリフト乗り場のおじさんに「初心者です」と告げると、リフトが「停止に近い」くらいゆっくりのスピードになり、何とか乗ることが出来ましたが、降り場も大変でした。
そのままスーッと前に滑れば良いだけなのに、怖くて椅子から立ち上がれず…
リフトを止めてもらって、何とかリフトから降りるという始末。
そこから初級コースに行き、プルークボーゲン(八の字で滑る)を教わり、1時間以上掛けて降りて来たところで、午前中のレッスンが終了となりました。

この日も食欲が全く無く、ゲレ食を食べることが出来ず、ダメダメな自分が悔しくて泣けて来ましたが、一方では負けず嫌いの顔がムクムクと顔を出してきて「絶対、富良野で滑ってやる!今日の午後で、絶対に滑れるようになってやる!」と変な意欲が湧いて来て(汗)
午後の3時間のレッスンは「苦行」以外の何ものでもありませんでしたが、とにかく歯を食いしばって頑張り、どうにか初級コースを4本滑れるようになりました。

4時に2日間のレッスンが全て終了し、閉校式。
一応「やり切った感」は残りましたが、全く楽しくない2日間でした。
送迎車でペンションに戻り、バタバタと帰り支度をして、宅急便で荷物を家に送る手続きをして、送迎車でバス停まで送ってもらい、皆さんと一緒に電車で帰宅しました。
一緒に行った方達は、草レースで上位入賞する常連さん達でしたが、彼女達には彼女達なりの「上級者」としての悩みがあるようで、帰りの電車の中では技術的な話で持ちっきり。
私には「縁もゆかりもない話」なので、1人缶ビール片手に、上野駅までぼーっと窓の外を眺めていました…

そして翌週、遂に3泊4日の富良野社員旅行に出発する日を迎えました。
社員旅行のお話と、その後については、次回詳しくお話しようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第90話:スポーツ・ジャンキー時代 Part 4 〜 富良野スキー&その後 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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