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【Story of Life 私の人生】 第47話:闘病生活の始まり Part 1

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第46話:初めてのアルバイト をお送りしました。
今日は、高校生時代の闘病生活についてお話ししようと思います。

これまでのお話で何度か触れていますが、一年生の10月の入院を皮切りに、私の闘病生活がスタートしました。
結論から言うと、病名は甲状腺機能亢進症、バセドー氏病の悪化です。
かなり後になってから分かったことですが、先天的に母から受けついで生まれてきたようです。
高校生になっても、平熱がかなり高く(37度くらい)、心拍数も普通の人よりかなり高かったから「いつまで経っても、子供のままだ」と言われていましたが、まさかその原因が「病気」だったとは、誰も気付かなかったのです。

思い起こせば、中学三年生の後半から、体調の悪化が出始めていました。
学校から家に帰ると、疲労感が強くてグッタリ状態。
かなり辛くて、夕食前に一度横になって寝てしまう。
夕食の時に母に起こされ、食後は父のカラオケ「ジャイアンリサイタル」に耐えながら、学校の宿題をするという生活になっていました。
父の「リサイタル」は、近所迷惑になるからということで、9時半に「終演」すると決めていたので、まともに宿題に集中出来るのはそれ以降の時間帯。
FENをBGMにして、放送が聞こえなくなる午前0時まで机に向かい、深夜放送を聴きながら寝るという生活をしていたから、疲労感を「寝不足」と勘違いしていました。
ただの「寝不足」だと思っているから、辛いのは「自分のせいだ」と言われるような気がして、具合が悪いとは誰にも言えず、ただひたすら我慢をしていました。

そんな状態なのに、高校に入学したら運動部に所属し、アルバイトにも精を出していたから、どんどん身体に負担をかけてしまっていたことになります。
元々「大食い」と言われるくらい、よく食べる子供でしたが、高校に入ってから、食べる量がそれまでの倍くらいになっていきました。
食べてもすぐにお腹が空いてしまい、常に何かを食べ続けているから、母から「穀潰し」と言われていました。
どんなに食べても、どんどん痩せていくから「ダイエット」という言葉とは完全に無縁の状態。
同級生達から、かなり羨ましがられていました。

一年生の夏休みが終わり、二学期の授業が始まったあたりから、症状がどんどん悪化していきました。
最初に「変だな」と思ったのは、階段でした。
当時の駅には、エスカレーターもエレベーターも無かったから、常に階段を登り降りすることになるのですが、今までなんとも無かったのに、休まずに上まで登れなくなりました。
学校も、一年生の教室は5階だったのですが、教室に着くまでに何度も座り込むようになっていました。

次に「変だな」と思ったのは、自転車でした。
私の家は高台?にあり、どこに行くにも、行きは全部下り坂、帰りは全部上り坂になる場所だったのですが、駅から家まで自転車で帰る時、休まずに自転車を漕いで坂を上がれなくなりました。
トドメは体育の授業で、体育祭の練習の時、ちょっとした小走り程度でも心臓がバクバクして、何度か倒れて保健室に担ぎ込まれました。

ここまで来ると、流石に「かなりおかしい」と思うようになりました。
10月の体育祭の日、たまたま父が定期通院する日だったので「身体の具合がかなり変だから、お父さんと一緒に病院に行く」と言って、思い切って学校を休みました。
直感的に「近所のお医者さんじゃ絶対に治らない」と思ったのです。
父の通院は、月に1度だったので、このチャンスを逃がしてはいけないと思い、嫌がる父にくっついて、病院に行きました。

病院には、父の入院中に何度も自転車で行きましたが、この時は自転車に乗れない父と一緒だったことと、自力で自転車を漕いで行ける状態では無かったから、バスと電車を乗り継いで行きました。
父の主治医の先生の専門は心臓だったのですが、診ていただけることになりました。
問診で、かなり詳しく症状を聞かれ、レントゲン、超音波、心電図、血液など、半日位検査が続きました。

父は、自分の診察が終わったら、家に帰ってカラオケをするつもりだったようですが、私の診察が終わるまで帰れないので、かなりイライラしていました。
一通り検査が終わり、再度診察室に呼ばれたのですが、先生の第一声は、何と「明日入院して下さい」でした(驚)
父も私も唖然として「え?明日ですか?」と聞き直してしまいました。

先生のお話を要約すると…
血液検査の結果を見ないと、確実なことは言えないが、バセドー氏病の疑いが強い
ホルモンの検査は、この病院で出来ないから、外部に至急扱いで依頼した
心臓がかなり肥大していて結構深刻な状態だから、緊急入院が必要
という感じでした。

まさかそんなに酷い状態になっているとは、全く想像していなかったから、正直なところ、かなりショックでした。
先生から「何でこんなになるまで、病院に来なかったのか?」と聞かれたのですが、「気のせいだと思っていました」と答えるしかなく…
「この状態だと、普通は救急車で来るんだよね。よく電車で来たね」と呆れられ…

余談ですが、今まで色々な病気で病院にお世話になっていますが、いつもギリギリまで我慢して、最後は「自力」で病院に行くので、どんなに「辛い」と先生に訴えても、最初は「気のせいじゃないか?」と相手にされないことがしばしばあります。
大抵は、検査をしてみて「こりゃひどいや」となることばかり(汗)
いい加減「救急車」のお世話になることを学んだ方が良いのかも知れませんね。

話を元に戻します。
診察が全部終わり、父が会計に行くと、私の診察料金の請求額に驚愕!
当時、甲状腺ホルモン検査の料金は、今では考えられない位高額で、その日の父の手持ちのお金では、支払いが出来ない状態でした。
翌日入院することが決まっていたから、「明日支払う」ということになり、父と一緒に帰宅しました。
母に経緯を話して、直ぐに入院の準備に取り掛かり、学校に連絡をしました。
また、父の手持ち金で診察料を支払えなかったことを話すと、またまた母から「穀潰し」と言われてしまいました(泣)
確かに、私からすると「禁じ手」を使って、都立の高校に進学させた位だから、我が家の財政状況は、かなり厳しかったと思うので、それは本心だっただろうなと思うのですが、病気になってまで「穀潰し」と言われるのは、やはり悲しかったなぁ…

かなり長くなってしまいましたので、この続きは、次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第48話:闘病生活の始まり Part 2 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


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