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【Story of Life 私の人生】 第44話:高校受験

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第43話:父のこと をお送りしました。
今日は、高校受験から進学にまつわるお話しをしようと思います。

三年生の2学期になると、高校受験のことについて考える時期となりました。
吹奏楽部の同級生のうち2人は音大付属高校を志望しており、入試に向けたピアノや声楽のレッスンに重点を置くようになっていました。
私は、この時点では漠然と「将来薬剤師になりたい」程度の目標しかなかったので、選択肢としては「普通科の高校に行く」しかありませんでした。
どの学校を受験するか、毎日「学校ガイド」を眺める日々。
「絶対ここでなくちゃ嫌」という学校は、なかなか見つかりません。
私立にするか、公立にするか、かなり長い間悩みました。
2学期の期末試験の前までに、志望校を決めなくてはいけなかったのですが、最後の最後まで決められずにいました。
小学校も中学校も公立だったから、何となく「私立の高校も良いかな」程度。
また、当時の都立高校は「学区制」だったので、通常なら受験した学区の中のどこかに振り分けられるシステムになっていました。
自分の希望する学校に行ける確率は1/3なので、その点に抵抗もありましたので、第一志望は私立高校にしました。

志望校をどの学校にするか、その時の私の選択基準というと…
共学の学校で、通学するのが楽しそうなところで、制服が格好良ければ、なお良いという程度でした(笑)
当時は、共学の私立高校が少なかったので、選択肢は3校に絞られました。
最終的に選んだのは、3つのうちで「一番都心にある高校」でした。
今になって考えると、その学校は文系大学の付属高校だったから、薬剤師を志望している私が行くべき学校じゃなかったのですが…
単純に、学校の「場所」だけで選んだ感があります(笑)

第一志望は私立だから、滑り止めとして都立高校を受験することになりました。
あくまでも「滑り止め」だから、1つランクを落とした学校を受験するよう、学校からアドバイスされました。
どうせ行くつもりはないし、ランクを落とすのだから、古くからある「学区校」ではなく、自分で学校を選んで受けることが出来る「単独校」の方が良いなと思い、開校4年目の学校を選びました。
また、この学校を選んだもう一つの理由は「制服」でした。
当時の都立高校は、原則「私服」だったのですが、私が選んだ学校は「制服」があり、しかも1期生が、自分達でデザインを考えて作ったものということでした。
男女ともにブレザージャケットにネクタイ。
女子はチェックのベストにボックススカートだったので、当時としてはかなり斬新なスタイルで格好良かったのです。

余談ですが、その頃、東京都知事が変わりました。
前都知事が作った、大赤字の財政難から脱出するために、父は数年間昇給なし、賞与カットになっていました。
我が家の財政状態は、その煽りをもろに被っていましたので、正直なところ私立に行かせる余裕はなかったと思います。
それでも、特に文句も言わず受験はさせてくれました。

さて年が明けて3学期が始まり、志望校の願書を貰いに行きました。
学校で内申書を書いてもらい、1月下旬に願書と一緒に提出しました。
私立の受験料は、都立の7倍くらい高かったので、両親にとっては、かなりの出費だったと思います。

2月の中旬に、私立の試験がありました。
家からバスに乗り、電車を3回乗り換えて、志望校に行きました。
交通の便は良くないから、家から1時間15分くらい掛かりました。
学校は都心の賑やかな場所にあるから、周辺はとてもキラキラ眩しい!
それだけで嬉しくて、完全に舞い上がっていました。
試験は5教科だったので、お弁当タイムを挟んで、午後までかかりました。
疲れたけれど、手応えはまずまずだったから、ルンルン気分で帰宅しました。
合格発表は2日後にあり、母と一緒に見に行きました。
自分の受験番号を見つけた時は、本当に嬉しかったです!

これで「都心の学校に通う女子高生」になれるんだなと、ワクワクしたことを覚えています。が、そんな私とは裏腹で、母は複雑な心境だったようです。

都立の入学試験は、その1週間後だったのですが、合格した第一志望の学校は「都立併願」に対応したシステムになっていたので、まず「入学金の手付金」を払い、都立の合格発表後に残金を支払うことで入学が確定、もし都立を選択する場合は、支払った手付金の返金はしないというシステムになっていました。
母が手付金を支払ってくれたので、私は「もう都立は受けなくて良いんだな」と思っていて、リラックスモードで数日過ごしていたのですが…
ここから、思いも寄らない「どんでん返し」が起こりました。
都立入試の2日前、両親が「驚くべき提案」をしてきたのです。
当時、私のお小遣いは月に100円だったのですが、もし都立に行くなら月1万円にするということでした。
100円が1万円ということは、100倍の値上げ(驚)
「上手い話には裏があるはず」とは全く思うこともなく、単純な私は、何の疑いもなく、1万円のお小遣いに目が眩み、都立の試験を受けることに同意しました。

そして2日後、同じ学校を受ける同級生と一緒に、試験を受けに行きました。
そもそもが「滑り止め」で、ランクを落としているし、第一志望の学校は合格しているから、かなりリラックスモードで試験を受けました。

2日後の合格発表は、同級生と一緒に見に行きましたが、幸い不合格になった子は誰もおらず、全員で喜びを分ち合いました。
私の場合は「小遣いの100倍値上げ」が確定したので、別の意味でも嬉しかった!
学校からは「ちょっと勿体ないね」と言われましたが、元々の第一志望校の方は「入学辞退」の手続きをし、都立の入学手続きをしました。
結果として、都心のお洒落な場所にある学校ではなく、埼玉との県境にある都立高校に行くことになってしまい、それはかなり想定外でしたが、それだけ「お金」に目が眩んだということは否めません。

「上手い話には裏がある」のだから、当然話はこれでは終わりませんでした。
確かに、お小遣いとして、毎月1万円を貰うことが出来ました。
が、両親から「高校は義務教育じゃないから、学費と交通費は自分で支払え」と言われ、晴天の霹靂状態の私。
高校の学費は月5800円で、交通費は電車とバスで月4100円。
合計すると月9900円の出費だから、結果として残りは100円だけ!
実は、今までと何も変わらないということが判明したのでした…
「話が違うじゃないか!」と猛烈に抗議しましたが、次に言われた言葉は「働かざるもの食うべからず。小遣いが欲しかったらバイトしろ!」でした(泣)
もう完全に騙された感満載。
悔しくて、悲しくて…
両親だけではなく、騙された自分にも、めちゃくちゃ腹が立ちました。

まあ、冷静になって考えてみれば、学費と交通費は「自分で払った」ことになっているのですが、実際は「両親からもらった小遣いで払った」訳です。
両親が学校に支払ってくれるか、私が間接的に支払うかの違いだったのですが、当時の私には、その点に全く気がついていませんでした。
後になって良く考えてみれば、私立の入学金(プラス寄付金)と、1年分の授業料だけあれば、都立高校3年間の学費や制服代、修学旅行積立金などを全部支払ってもお釣りが来るくらいの金額でした。
当時の我が家の財政を考えると、私立の学費を3年間支払うのは、冗談抜きでかなり厳しかったと思います。
そういう意味で考えると、私が都立に進学したことで、両親はかなり安堵しただろうなと思います。

また、あくまでも結果論になるのですが、高校時代の私は、病気で入退院を繰り返していましたから、もしあの時私立高校に進学していたら、卒業どころか、最終的に高校を中退する羽目になっていたのではないかと思います。
この辺りのお話は、後日じっくりさせていただこうと思っています。

無事に高校も決まり、3月に中学校を卒業しました。
同じ高校に行く同級生もいるけど、小学生時代からの友達や、中学からの友達とは、それぞれ別々の道を歩むことになりました。
卒業式の日は、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡り、本当に寂しさでいっぱいでした。

思い返せば、親とのトラブルも殆どなく、学校生活も充実していて、本当に楽しい3年間でした。
私の人生の中で、楽しい思い出が一番多い、平和な時期だったと思います。

〜続く

これで中学生時代編は完結です。
次回からは、高校生時代編をスタート、第45話:高校入学 に続きます。
私の人生ストーリは、まだまだ続いていきますが、これからも過去としっかり向き合って行こうと思います。

これからもよろしくお願いいたします。
またお会いしましょう♪

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