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【Story of Life 私の人生】 第73話:手術 〜 暗黒時代の終焉 Part 2

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第72話:手術 〜 暗黒時代の終焉 Part 1 をお送りしました。
今日は、手術前日から当日のお話をしようと思います。

手術を受けなければ、無顆粒球症で死んでしまう可能性がある。
手術を受けて成功すれば、薔薇色の未来が待っているかも知れないけど、手術中のショック死などのリスクもある。
と、主治医の先生から説明を受けて、私なりに考え抜いた結果、最終的に出した答えは「どっちにせよ死ぬ可能性があるのなら、手術に賭けよう」でした。
手術が成功しても、失敗しても「これで全てが終わる」と思うと、スーッと心が軽くなったことを覚えています。
手術は、1週間後の1月25日に決定し、それまで1週間は、手術に向けた検査で毎日忙しくなりました。

手術前に、麻酔をかけて行う検査があったのですが、検査が始まってすぐに突然気持ち悪くなり、吐いたことを覚えています。
その時、一時的に心臓が止まったらしく、先生方が大慌てしていたことを朧げに覚えているのですが、実際の手術の麻酔をどうするかで、先生方がかなり検討されたようで、手術3日前から何度も検査が繰り返されました。

そして手術の前日。
朝から術前検査やら、色々な先生方がかわるがわるお見えになり、問診やら診察やらで、ご飯もゆっくり食べていられない状態!
母はいつも通り「最期の晩餐かも知れないから」と、おかずを沢山持ってやって来たのですが、私は食べる暇がなく、先に同室の皆さんに配ってもらっている間に、消毒液のお風呂に入りに行き、胸から上半身にかけて剃毛してもらって、やっと病室に戻りました。
やっと夕飯が食べられると思ったところに、今度は麻酔科の先生御一行がお見えになりました。
夕飯は5時半までに食べるように指示されているのに、この時既に5時15分。
朝から忙しくて、ろくにご飯を食べていなかったので、空腹MAXで不機嫌な私。
「すぐに終わるから」と言われ、明日の担当の先生の紹介から始まり、問診開始となったのですが…
イライラしながら時計と睨めっこしながら問診を受けていたのですが、途中でタイムリミットの5時半を過ぎてしまい、結局終わったら5時50分でした(怒)

先生に「夕飯を食べても良いですか?」と聞いたら「もう時間過ぎているのでダメですよ」と、あっさり言われてしまい、嫌がらせかと思って泣きそうになりました。
その時の担当の先生の名前が「安康(アンコウ)」、空腹の中「アンコウ鍋」や「鮟肝」がグルグルと浮かんできて、冗談抜きで恨めしくなりました。
先生方が帰った後、母は「あらら、最期の晩餐も無しか!」と大爆笑していましたが、私からすれば「笑ってる場合じゃやないよ!」と、少々殺意が沸きそうな感じ。
よく「食べ物の恨みは怖い」と言いますが、まさにその状態でした(汗)

母が家に帰った後、看護婦さんが来て「今日はよく寝てくださいね」と言ってくれたのですが「夕飯抜きになっちゃったから、空腹で眠れない!」と、半分怒りを爆発させてしまいました(汗)
消灯時間になって目を瞑っても「アンコウ鍋」が頭から離れず、想像するだけで空腹が増して、全く眠れず…
それでも、どこかで電池切れになったらしく、気づいたら朝になっていました。

手術は朝8時にスタートするということで、7時くらいから予備麻酔の処置が開始。
「アンコウ先生」がお見えになり、処置をして下さいましたが、先生の顔をジロジロ眺めて「アンコウ鍋」を想像していましたっけ。
両親が7時半過ぎにやってきたのですが、「退院したらアンコウ鍋を食べさせて欲しい」と言ったことを良く覚えています。
これが、手術前に両親と交わした最後の会話でした。

8時になり、ストレッチャーに乗せられて手術室へ移動。
腹膜炎の時は、自分の足で歩いて手術室に入ったから、なんだか大袈裟に思えて変な気分でした。
手術室に入って、大きなライトの下の手術台に乗せられた時「ああ、これが俎板の鯉か」と、妙に納得したことは覚えています。
全身麻酔をかけると言われ、数を数えるように言われたのですが…
数日前の検査で麻酔トラブルがあったせいか、量を加減したらしく、104まで数えたことは覚えています。
その後は、何をされたのか全く記憶にありません(笑)

目が覚めたら、気管にチューブが入った状態、点滴沢山に尿カテーテルが繋がった状態で、何もしゃべれない状態でした。
気管チューブを抜いてもらい、鼻に酸素吸入のチューブを付けられて、ストレッチャーに乗せられて手術室から部屋に戻りました。
ストレッチャーから両親の顔が見えて、思わずVサインをした事を覚えています。
「ああ、生きて戻って来れた」という気持ちと「これで終わった」という安堵の気持ちで、幸せに包まれていたように思います。
部屋に戻って時計を見たら、夕方4時過ぎでした。

少ししたところで、主治医の先生が「ホルマリン」の瓶に入った私の甲状腺を持って説明しに来てくれました。
通常なら両親に話をするだけだそうですが、元医療系の学生だったということで、包み隠さずにお話ししたいと仰ってくださり、とても嬉しく有難かったです。
手術で摘出した甲状腺は45グラム、体内には3グラムだけ残っているとのことでした。
正常な甲状腺の重さは15グラム程度なので、3倍以上に肥大していたようです。
切除した甲状腺の中には、副甲状腺は入っていない事を確認したから、カルシウムの心配は無いとの事でした。
ただ、甲状腺ホルモン値がかなり高い状態で手術をしているから、残した甲状腺がどの程度しっかり働いてくれるかは、今後様子を見るしかないということ。
でも、これで薬の副作用からは解放されることは確実になった訳です。
あの辛さを思えば、少しくらい「不具合」があっても、耐えられると思えました。
首を大きく切っていますが、吸収糸で「裏縫い」して下さったそうで、傷跡はあまり目立たない筈との事でした。
先生のお話を聞き終わり、私も両親も、心底安堵しました。
予後も良好だということで、両親が家に帰った後、鼻のチューブが邪魔だと思いながらも、すぐに寝落ちしました。
次に目が覚めた時は、翌日の朝でした。

朝の回診で主治医の先生が来てくださり、傷の状態を確認したり、身体に繋がれている機器の数値を確認してくれ、尿管カテーテルを抜いてくれました。
そこで「起き上がってみてください」と言われたのですが…
普通通り起きあがろうとしたら、首が痛くて頭が上がらない!
首を切っているのだから当たり前なのですが、横を向いて、手で身体を支えないと身体を起こすことが出来ず…
普段何も考えずに出来ることが、こんなに辛いとは思いませんでしたが、とりあえずどうにか起き上がることは出来ました。
次に「歩いてみてください」と言われました。
腹膜炎の時は麻酔の副作用が酷かったので、そのトラウマはあったのですが、今回は大丈夫。
ちょっとフワフワするかな?という程度でした。
「ああ、大丈夫そうだね」ということで、なるべく歩くように言われました。
ただ、声を出すのは少し辛くて、その日からしばらくの間は「森進一」さんのような感じでした(笑)

手術後初日の朝ごはんはお粥でしたが、首を切っているから「飲み込む時」に痛みが出ました。
でも、酷い扁桃炎程度なので、我慢できる状態でした。
丸1日半何も食べなかったし、あれだけ「アンコウ鍋」が頭の中をグルグルしていたのに、あら不思議!何故だかわからないけれど、全くお腹が空かなくなっていました。
後になって分かったのですが、甲状腺を45グラム摘出したことにより、今まで寝ているだけでマラソン77キロだった基礎代謝が、普通の状態まで下がったことが原因だったようです。
余談ですが、手術後2日後に体重測定したら、ご飯も食べていないのに、何と5キロも増加していました!

手術後は、起き上がる時、食べる時、話をする時に少し不自由はあるものの、特に具合悪くもならず、熱も出ず、順調に回復していき、2月1日に退院することが決まりました。
同室の人達も、私の手術日前後で続々と手術していきましたので、みんな同じような状態でした。
手術後、母はいつも通りおかずを持って来たのですが、私を含む全員「お腹が空かない」状態になり、今までのような「ハイエナ」状態で食べることが出来なくなり…
ある意味「喜ばしいこと」なのですが、かなり寂しそうでした。
余ったおかずは、隣の部屋の方に差し上げていましたっけ。

1月30日、私の勤務先のダンスホールから実家に「1月31日付で解雇する」という連絡が入りました。
退院は2月1日だから、それは困るなぁと思っていたところ、病院の相談室があることが分かり、ソーシャルワーカーの方に相談しに行きました。
その結果「入院中に一方的に解雇するのは違法行為」ということが分かり、会社にその旨を連絡しました。
マネージャーから「殆ど会社に来なかったから、解雇は当然だ」と凄まれましたが、ソーシャルワーカーの方が「違法行為」とお話しして下さり、会社側は「弁護士と相談して再度連絡する」ということになりました。
結局、翌日会社から「解雇通告1ヶ月前ということで、2月28日付で解雇」ということになったと連絡が来て、入院中に健康保険がなくなるという事態は回避出来て、一安心しました。

ソーシャルワーカーさんに、保険問題は回避できたとご報告しに行き、ついでに入院中の給料支払いが一切なかったことをお話ししたら「傷病手当の支給がある」ということが分かりました。
また、健康保険の「任意継続」をすれば、傷病手当は最長1年6ヶ月貰えるということも教えてもらうことが出来、健康保険や雇用保険の仕組みを詳しく教えてもらう事が出来ました。
この時に得た知識が、その後かなり役に立ったことは言うまでもありません。

結果的に、翌年の4月から社員として就職することになるのですが、4度目の入院から就職するまでの間「傷病手当」を受給することが出来たので、本当に助かりました。
色々なことが「良い方」に向いてきて、長いトンネルから脱出に向かって動き出した事を実感し、2月1日に退院の日を迎えました。
この日をもって、私の長かった「八方塞がりな暗黒時代」は終わりを告げたのでした。

〜続く

今日はここまでです。
これで暗黒時代〜八方塞がり編は完結です。
次回からは、20代〜心機一転再スタート編をスタート、第74話:退院 〜 再起の時 に続きます。

私の人生ストーリは、まだまだ続いていきますが、これからも過去としっかり向き合って行こうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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