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【Story of Life 私の人生】 第72話:手術 〜 暗黒時代の終焉 Part 1

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第71話:自暴自棄 をお送りしました。
今日は、転機となった甲状腺手術にまつわる話をしようと思います。

12月初旬に、この年4度目の入院生活スタート。
今回は無菌室に隔離ではなく、久しぶりに普通の6人部屋となりました。
内分泌の病棟だから、同室はバセドー氏病の患者さんばかりで、現在抗甲状腺薬コントロール中の方、これから手術を控えている方で、ほぼ同年代の女性達でした。
私を含めて、みんな常に「お腹を空かせている」状態の人ばかり(笑)
高校生の時に入院した時は、周りが食事制限のある方ばかりだったから、毎日嫌味を言われて辛かったけれど、今回は同じような患者さんしか居ないから、ある意味「天国」でした。

母は、入院した日の午後に病院に来てくれ、主治医の先生を交えて病状の説明と、今後の治療方針のお話をしました。
まずは、急性腎炎の治療。
扁桃腺が腫れた原因の細菌を退治すれば大丈夫との事で、点滴と減塩食で1週間程度で治るだろうとの事でした。

甲状腺の方は、アイソトープ、基礎代謝を含む詳細な検査を全部やって、現状把握からスタート。
ついでにアレルギー、婦人科なども含めて、全身隈なく検査してみて、必要に応じて治療をしていくということになりました。
抗甲状腺薬の副作用については、薬を2か月間もサボったにも関わらず、白血球数の異常があるので「間違いない」と認識しているとのこと。
となると、治療の最終的な選択肢は「手術一択」との事でした。
可能な限り「甲状腺ホルモン値を正常に近い状態」で手術することで、手術リスクを下げる事が出来る上に、術後の予後のリバウンドや後遺症リスクも減るので、当面抗甲状腺薬の投与をしてみるとの事でした。

2度目の「無顆粒球症」で無菌室に入った時、「甲状腺全摘出すると副甲状腺も一緒に摘出することになるからという理由で、手術を選択肢から外した」という話を先生にしてみました。
先生曰く、「今は「全摘出」せずに、部分的に甲状腺を残す「亜全摘出手術」が主流となっているから、なるべく副甲状腺を摘出しないようにしている」と説明してくれました。
また、部分的に甲状腺を残すことで、正常なホルモン量を造る事が期待出来るという事も分かりました。
わずか数年の間で、手術の技術が格段に進歩していたとは、晴天の霹靂状態!
とはいえ「完全なリスクフリーではない」と、釘は刺されましたが、私も母も、ほんの少しだけど、希望の光が見えたような気がしました。

先生との話が終わり、母は病室に寄って、同室の皆さんに挨拶をしていました。
そこで、私と同じような「欠食児童」が沢山いることを知り、何だか嬉しそう。
病院が今までよりも近くなったこともあるのだと思うのですが、母は沢山の手作りのおかずやお菓子を持って、2日に1度病院に来るようになり、同室の皆さんに振る舞うようになりました。
みんな、常にお腹が空いているから、本当に喜んで食べてくれる訳です。
「自分の手料理を沢山の人に食べてもらう事」が母の生き甲斐だから、ある意味「Win-Win」の状態だったのかな(笑)

話を元に戻します。
急性腎炎の症状は1週間程度で良くなり、翌週から身体全体の「精密検査」が始まりました。
アトピーの症状はかなり酷い状態だったので、病棟から皮膚科外来に通院もしました。
ある程度、検査結果が揃ったところで、抗甲状腺薬の投薬を再開しましたが、副作用チェックの為、毎日採血をするようになりました。
そうこうしているうちにクリスマスが終わり、年末年始の休暇シーズン。
12月27日夜から1月3日夜までの間、外泊扱いで一時帰宅する事が出来ました。
帰宅と共に我が家の「年中行事」の手伝いをし、就職活動の為に帰省しなかった彼を我が家に招き、一緒に年越しをし、1985年の正月を迎えました。
そして1月3日の夜、母から沢山の「お土産」を持たされて病院に戻りました。

年明け早々から、甲状腺ホルモン値は殆ど下がらない状態なのに、無顆粒球症の症状がだんだん強く出るようになっていきました。
本来なら「甲状腺ホルモンが正常値に近づいた状態で手術」というプランで進んでいたのですが、1月の2週目が終わった時点で、副作用の症状がかなり強くなり、「これ以上、抗甲状腺薬の投薬は無理」という判断になりました。
両親が主治医の先生に呼ばれ、改めて治療方針についての話し合いをすることになりました。
この時、両親は主治医の先生から採血するよう依頼されました。
その結果が出た段階で、話し合いになりました。

主治医の先生は、開口早々「ご両親の血液検査の結果、バセドー氏病は母からの遺伝らしいという事が判明した」とお話ししてくれました。
家族3人、顔を見合わせてビックリ!
次に「無顆粒球症の副作用が強いため、これ以上投薬を続けられない」と告げられ、「かなりの高リスクだけど、早急に手術をした方が良い」と言われました。
主治医の先生は、私が臨床検査技師養成所を2年で中退していることを知っていたから、全ての検査データを見せてくれた上で、手術中にショック死の可能性があること、副甲状腺が摘出されてしまう可能性もあるという事など、考えうるリスクを全て説明してくれました。

この時点で「成人」していたから、私がどうするかを決めることになったのですが…
答えを出すのに、1日猶予をいただきました。
両親とも話をしましたが、父は狼狽えるだけで役に立たず。
母は「遺伝だった」という事実にショックを感じていたようですが、「自分の思う通りにしなさい」と言いました。

両親が帰宅した後、1人でじっくり考えました。
手術を受けなければ、無顆粒球症で死んでしまう可能性がある。
手術を受けて成功すれば、薔薇色の未来が待っているかも知れないけど、手術中のショック死などのリスクもある。
さて、私はどちらを選んだら良いのだろう?
私が最終的に出した答えは「どっちにせよ死ぬ可能性があるのなら、手術に賭けよう」でした。
翌朝、両親に電話で「手術を受けることにした」と連絡をし、主治医の先生にお話しし、その日のうちに「手術同意書」にサインをして、1週間後の1月25日に手術をすることに決定しました。

手術までの1週間は、手術に向けた検査で毎日忙しくなりました。
この時点では、不安も全て消えて無くなっており、何故か「気分は晴々」した状態でした。
「これで全てが終わる」と思っていたのかも知れません。

少し長くなってしまいましたので、この続きは、次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第73話:手術 〜 暗黒時代の終焉 Part 2 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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