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【Story of Life 私の人生】 第49話:闘病生活の始まり Part 3

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第48話:闘病生活の始まり Part 2、最初の入院中のお話をメインにしましたが、今日はその後のお話をしようと思います。

一年生の2学期半ばから3学期殆どの期間、全く学校に行っておらず、その間勉強も全くしなかった私ですが、退院翌日に担任の先生との三者面談があり、その結果1週間後の期末試験と追試を受けることに同意して、翌日から学校に復帰しました。
約4ヶ月ぶりに制服を着て、久々に自転車に乗って駅まで行き、電車とバスを乗り継いで学校へいきました。
入院中は、エレベーターを使って、病院の売店や検査室に行くくらいで、全く運動らしいことをすることは無かったから、流石に「階段の登り降り」が多い通学は、体力的にかなりしんどかったです。

学校に戻り、久々にクラスメイト達に再会しましたが、学校に行けなかった期間が長すぎて、何となくぎこちなくて…
話にもついていけず、入院前のように、みんなと上手く馴染めません。
授業も、来週から期末試験というタイミングだから、もう全部チンプンカンプン!
ただ、先生からは試験の出題範囲をある程度教えて貰えたから、とりあえずサブノートや問題集を家で1週間やってみることにしました。
体育の授業は、小学生時代に逆戻りで、6年ぶりに「見学」さんに。
高校でやっと「念願だった運動部に入部出来るところまで来たのに」と思うと、とても寂しく、悲しかったです。

部活の方は、バトミントン部はこんな状況だから、当然退部しました。
放送部の方は、そのまま続けていましたが、学校に復帰した時は、期末試験1週間前の「クラブ活動お休み期間」に入っていたので、授業が終わっても部活なし。
学校が終わると、真っ直ぐ家に帰るだけでした。

そうそう、スーパーマーケットのレジのアルバイトは、入院した時、母にお店に連絡してもらいました。
入院期間が想像よりかなり長かったから、結果的に辞めることになりました。

家の方では相変わらず、父の「ジャイアンリサイタル」が続いており、当然ですが、期末試験の勉強に集中できる状態ではなく…
中学生の頃は、父の「リサイタル」終演後から、FENが聞こえなくなる午前0時まで、集中して机に向かって頑張れたけれど、病院生活では夜9時消灯で、夜中に目が覚めたら「オールナイトニッポン」を眠くなるまで聴く生活が習慣化してしまっていたから、即座に順応することが出来ませんでした。
そんな感じで、あっという間に1週間が過ぎていき、期末試験が始まりました。

試験期間中は、学校は午前中だけだったのですが、1日4時間ずーっと試験。
私は物覚えが悪くて、一夜漬けが全くダメなタイプなので、1週間でポイントを絞って、要点をスマートに覚えることは出来ず、ただ頭の中がグチャグチャの状態。
それでも、現代国語、英語のグラマーとリーディング、生物、地学、日本史、地理、保健、家庭科、音楽(芸術は音楽を選択していました)は、中学生時代に習ったことも多い科目だったから、どうにかギリギリ赤点より上の点数が取れ、一発でクリアすることが出来ました(汗)
が、数学、英語のコンポジション、古文は完全にお手上げでした。
体育も、授業に出ていないし、実技が出来ないから、完全にアウト。

体育以外の3教科は、試験休み中に「お約束通り」追試を受けることになりました。
自分では、ほぼ全教科の追試を覚悟していたから、3科目だけで済んで内心ほっとしました。
追試のスケジュールが渡されたのですが、追試は午前中だけではなく、午後も入って3日間で行われましたので、自分が受ける科目の時間に合わせて、学校に行くことになりました。

いざ学校に行ってみると、追試を受けるのはてっきり私1人だけかと思っていたのに、多い科目ではなんと10人も一緒に受ける子がいて、正直ビックリしました!
一緒に受ける子達に、何故追試を受けることになったのか理由を聞いてみました。「試験当日病気で休んだ」とか、「試験中に具合が悪くなって保健室にいた」とか、私と同じように「入院していて学校に行けなかった」とか、「単純に赤点を取った」など、理由は人それぞれだったけど、8クラスで10人だから、平均すると各クラスに1人位は受けるもんなんだなぁって、妙に関心した覚えがあります。

試験そのものは、期末試験と全く同じものでした(笑)
期末試験の採点結果は、試験休みに入る前に全部戻ってきていましたから、家で出来なかったところの見直しだけはしていたのですが、まさか全く同じ問題を使うとは思っていなかったから、思わず心の中でガッツポーズしてしまった(笑)
お陰さまで、どうにか及第点を取ることが出来ました。
体育は、実技が出来ないから、お題を与えられてレポート提出となりました。

追試の結果は、その週の金曜日に学校に行って聞くことになっていました。
とりあえず、担任の先生の思惑通り?、追試で全教科クリア出来てしまったので、無事に二年生に進級することが決まりました。
ファンキーな担任の先生から呼ばれて、「お前、やれば出来るじゃん」と言われたことを、よく覚えています。
が、これで良かったのか、悪かったのか…
今でもよく分かりません。

結果として、一年生の時は正味半分弱くらいしか学校に行くことが出来ませんでしたから、クラス全体が団結して行う行事として参加出来たのは、年間を通じて入院前に行われた文化祭だけでした。
復学してすぐに期末試験、終わると試験休み、終業式で1日学校に行ったら春休みになってしまったから、クラスメイトと打ち解ける前に終わっちゃった感じで、とても残念でした。
二年生になる時にクラス替えがあり、三年生はそのまま持ち上がりだったから、どちらかと言えば、後半2年間の方がまだ印象に残っています。

そうそう、その後の病状がどうなったかをお話ししなければいけませんね。
薬のコントロールチェックのため、病院へは2週間に1度行く必要がありました。
外来診察の曜日は決まっていたから、特定の曜日は2週間に1回は学校を休むことになりました。
また、薬のコントロールが上手く行かない時は、入院することになりました。
二年生の時は、1ヶ月程度の入院を2回しました。
一年生の時よりは、期間的には短かったけど、外来診察で休む日もあったから、学校に行った日数は、一年生の時よりは少しマシといった程度でした。

また、一年生の授業を半分受けていない状態で二年生に進級したから、想定通り授業について行くのはかなり困難でした。
ただ「追試でクリアすれば進級」という「お約束」だったし、追試の試験問題は本試験と全く同じだということを既に知っていたから、良い悪いは別として、かなりお気楽で、舐め切っていた感があります。
理系に進学するなら、数学は絶対に外せないのですが、二年生の時点で完全につまずいてしまったので、「高校から大学の薬学部に進学」という道は、その時で完全に諦めました。
大学の薬学部進学を諦めた時点で、「勉強する気は全くなし」の状態になってしまったから、最終的に、卒業に必要な最低単位の履修で卒業することを選択しました。
そんな訳で、三年生の時は、月曜、火曜、木曜、土曜は1時間目から4時間目の午前中だけ、水曜は3時間目から5時間目だけ、金曜は3時間目と4時間目だけという授業の取り方をしました。
この年は入院することはありませんでしたが、自ら学校に行く時間をみんなの半分程度にしちゃったから、結果として高校の3年間で学校に行ったのは、全体の半分程度しかないということでしょうか。
学校に半分くらいしか行かなかったから、結局クラスメイト達とも上手く馴染むことが出来なくて「あいつは我が道を行く変わった奴」だと思われていました。

また、入院していない時は割と時間があったから、二年生、三年生の頃はアルバイトでかなり稼いでいました。学校の同級生よりも、アルバイト仲間と一緒にいる時間の方がずっと多かったです。

それでも、修学旅行には行けたし、三年生の時の鎌倉遠足にも行けた(3年間で遠足はこの1回だけ参加出来ました)ので、それはそれで楽しかったけれど、全体的に学校生活での思い出はかなり少なく、どちらかといえば、学校以外の思い出や出来事の方が多い時期でした。

また、病気をきっかけにして、両親から「穀潰し」扱いされていたことで、二年生あたりから再度関係がギクシャクし始め、なるべく家に寄り付かない方法を模索していた時期でもあります。
この辺りは、後日改めてお話ししようと思っています。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第50話:守銭奴への道 まっしぐら Part 1 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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