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映画「かくも長き不在」アンリ・コルピ監督 1964年制作を観て

マルグリッド・デュラスの原作。アリダ・ヴァリ主演。

アリダ・ヴァリ演じるテレーズは繁盛しているカフェを切り盛りしている。そして馴染み客のうちの1人トラック輸送の運転手にヴァカンスに誘われている。ところがある日、一人の浮浪者が「セビリアの理髪師」を歌いながら通りかかる。それは第二次世界大戦で行方不明とだけ通知された夫に似ている。テレーズはヴァカンスで店が閉まっている隙に、彼を探し求めて町中を歩く。とうとう彼のねぐらを突き止めて、様子を見る。現代のスピード重視の人間からすると驚くほど慎重だ。最近の映画だと、「私が妻よ、覚えていないの?」と詰め寄りそうな場面だ。

そして、ようやく彼の視線の中に入りどんな生活をしているのかを聞き出す。四方山話の中で、自分のカフェにまた来てくれることと食事を一緒にすることを約束する。そして、彼女はカフェのジュークボックスにオペラの曲を5曲入れてもらい、彼が通るときに大きな音量でそれをかけ自然に店に入ってくるように仕向ける。店には母親と兄弟を呼び寄せ、彼の前で大きな声で思い出話をするが、彼には反応がない。それを見て、母親と兄弟は別人だろうと判断する。それでも諦めきれないテレーズは、食事に誘い、訪れた彼に音楽をかけ食べ物の好みを聞いたり、記憶が何時から無いのかを聞いた。好きな曲、好きなチーズの種類からテレーズは彼が夫だと確信する。だが、踊っているときに彼の頭を撫でて大きな傷があり手術か、脳の損傷があったことをテレーズは知る。

彼はそれ以上話すこともなく、立ち去ろうとしたが、店の常連や近所の人々が「行くな!」と言い、彼の本名を皆で呼んで引き留めようとした。すると、彼は初めは他人事のように立ち去ろうとしたが、瞬間的に何かを思い出したように恐怖の表情で両手を挙げ、道路を駆け出した。そして皆は彼を追いかけたが、逃げ去ろうとする彼の正面から大型の車が・・・。そして、嘆きのテレーズとでも言えばよいのかテレーズは意気消沈しているところに、ヴァカンスに誘った彼が、「彼は大丈夫だ、だけど立ち去ってしまったよ」と言う。その言葉にテレーズは「きっと冬になれば戻ってくるわね」と失望と希望の入り混じった表情で言う。そこで終わるのだが、「彼は大丈夫だったよ」というのは嘘で、きっと彼は天国に召されたに違いない。テレーズの心の苦しみを考えると彼は本当のことを言えず、彼女に不確実な希望を持って生きつづけて欲しいと願ったのだろう。「かくも長き不在」は永遠の不在に。

昨今の人々のやり取りと比べても、人間はこんなに繊細なやり取りができるのだ。と思う反面、人々が束になって1人を追い詰めると追い詰められた人はあえなく破滅へと至ってしまうものなのだと、人びとの善意すらも恐ろしい力になり得ると考えさせられた。アマゾンプライムビデオで。

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