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映画「嘆きのテレーズ」 マルセル・カルネ監督 1958年制作を観て

テレーズ(シモーヌ・シニョレ)は、病弱な夫カミーユ(ジャック・デュビイ)と義母の世話に明け暮れて、若いのに自分の楽しみは全くない生活を送っていた。過去の恩がある親子のために自分の青春を犠牲にして尽くしているが倦み疲れていた。そんなある日、夫が友達になったといってトラックの運転手を家に連れてきて毎週の社交の会にも誘うようになった。ここからは、お決まりのテレーズと友人の恋の始まりとなるのだが、テレーズは自分の恋と恩返しの板挟みになり、彼に冷たくなったり、彼の意のままになったりする。理性と情念の葛藤だ。

そうしているうちに、夫にも二人の仲を知られ、夫は泣いたり脅したりしながら彼女を離すまいとする。そうして、パリに三日間出かけて冷静になろうと、夫は二人だけの旅行の算段をする。テレーズは気が進まないながらも、旅行で話し合っても気が変わらなければ身を引くという夫の言葉を信じて旅行の話を受け入れてしまう。それを知った愛人(ラフ・ヴァロン)は同じ列車に乗って追いかけていく。そして風に当たるためデッキにでてきたテレーズと合流する。そこにコンパートメントで目を覚ました夫がテレーズがいないことに気づきデッキにやってくる。そこで三人は出会い、夫と愛人がもみ合いになり、夫を列車から突き落としてしまう。愛人をつぎの駅で下ろして逃がしテレーズは遺体の身元確認に立ち会い、これまでのことを深く後悔する。

事件は大々的に新聞に書かれ、二人は会うことも儘ならなくなってしまった。息子の事故死を知った義母は倒れてしまい、全身不随で頭脳だけが生きている状態になりテレーズの介護を受けて生活をするようになったが、息子の事故死にテレーズが関わっていると直感した義母は精いっぱいの非難の目をテレーズに向ける。そんな苦難の日々を送っていたテレーズに、列車の同じコンパートメントにいて寝ていた水兵が新聞の記事を頼りにテレーズの居場所を突き止めて、一切を目撃していたが口止め料として50万フランをくれ、それで自分は中古自転車屋を開業するのだと言ってきた。そして愛人の力に頼り断ってきたが、水兵も食い下がる。そうこうしているうちに、事件はデッキの扉を開けていた鉄道会社の落ち度だということで決着して、慰謝料が40万フランテレーズに入ることになった。

そこで、水兵に40万で口止めをして、念書を書かせた。だが裁判所に告発書を書いて水兵は午後5時までに自分が帰らなかったら郵送するようにとホテルのメイドに言い残していて、40万フランが手に入ったので5時までに帰ろうとした。ところが、テレーズの店の前で交通事故に遭ってしまい、彼は死んでしまう。そのため、テレーズも愛人も口止めが成功したと思っているが、告発書は投函されてしまい、すべては暴かれるだろう、と予感させるところで映画は終わる。

この映画は救いが無い。テレーズが彼の申し出に応じなくても家での奴隷状態は続くわけで、彼と出奔しても、夫が警察に捜索願を出すだろうし、夫が死んでも二人は結ばれないどころか、最後は罪に問われなければならないのだから。どうすれば良かったという展望のまったくないストーリーだと思う。そこには宗教的な制約があるわけでもなく、イプセンの「人形の家」のノラのように女性解放を唱える訳でもなく、国家の制度により、奴隷か罪びとかの選択しかないという閉塞状況がフランスの戦後だいぶ経った時代に描かれていることに少し驚いた。

カタルシスのないこの映画の見どころはシモーヌ・シニョレの理知的な美しさか。リヨンの街の光景か。

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