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春の予感

ダンコウバイの花芽は、まだ頑なな姿でいた。
ひとりでのぼる坂道は、息が上がってさみしくつらかった。
どれだけ支えられ、癒されていたか。
いやというほど思い知ることとなった。

玄関を出た途端、寒くないじゃんと思い、顔の半分だけで笑った。
これならいぬもよろこんで散歩に行くだろうに。
そう思った途端、視界が滲んだ。
数日前のこと。

いぬは立ち上がれなくなり、夫は障害者になった。
娘は来月中にはこの家を出ると決めたらしい。
さみしい春が来る。そんな予感がした。胸が潰れる。
いぬの世話をやくために仕事を辞めたわたしは、再び、求職者となった。
いまは立てなくなったいぬの介護に追われているけれど、わたしが外で働きはじめたら、夫はちゃんといぬの世話をやいてくれるだろうか。それよりなにより、わたしはこのこの最期に立ち会えるだろうか。
そんなことばかり考えている。

どうか、もうだれもわたしを置いていかないで。
そんな馬鹿げた思いでTwitterのタイムラインを追ってみたけれど、わたしの知る人はもうだれもいなかった。わたしを知る人は、と言い換えてもいいのかもしれない。当たり前と言えば、当たり前のこと。
長い付き合いの洋服屋の姉さんとは、もうすでに疎遠になりつつある。

泣きごとのように、さみしくてさみしくて、とわたしが綴ってみせた人は、わたしを憎んではいないだろうか。笑ってはいないだろうか。疎ましく思ってはいないだろうか。
居場所ということばに過敏になっている。
安心して過ごせる場所。じぶんらしくあれる場所。
そんなもの、最初からなかったような気もする。


本当は、そんなわたしがわたしを置き去りにしたのかもしれない。


If Winter comes, can Spring be far behind ?


いずれにしろ、春は来るのだろう。
少し、眠りたい。





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