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流れる花

今年もボタンヅルの花が盛大に咲いた。
線路側の斜面から飛び出した枝や蔓や大小様々な形の葉が鹿避けのフェンスをすっかり覆ってできた緑の壁に、2センチ足らずの白い花が、溢れて流れ出たようにたくさん咲いている。

ちっちゃ。
この花、こんなに小さかったっけ。

思わず声に出して驚いて、確かきょねんも同じことを言ったなあ、などと思う。
そしてどういうわけか写真を撮ろうと近づくたび、やっぱり同じように何度でも驚いてしまう。

ちっちゃ。
この花、こんなに小さかったっけ。


7月の終わりくらいから見えはじめた蕾は小さな薄緑色からぷっくりとした白色になり、8月に入ると同時に高いところから、ぽつり、ぽつり、と開きはじめた。
一旦咲きはじめれば次から次と、川のような曲線を描いたり、落ちる滝のしぶきのようにあっちこっちと飛んだりしながら、あっという間に咲き広がった。

そう。ボタンヅルは水のイメージ。
枝垂れた萩や花を終えたウツギ、この時期猛烈な勢いで蔓延る葛の頑丈な蔓などにうまいこと寄り掛かったり、その合間を縫ったりしている細い蔓に、ぎっしりと、または飛び飛びに花がつき、ゆるやかに曲がりながら続く川や、落下する滝を描きだしている。
水の流れを真似るかのようにたくさんの花が連なって咲く姿は、わあっと思わず声を上げてしまうほど、美しい。

バス通学だった子どもの頃。
どろどろに疲れてうとうとしながらの夏の帰路。
S字カーブを越えた先でそろそろ降りる準備をしなくちゃと、まだうつらうつらで見る左手には斜面の岩肌から直に流れ出る小さな滝がいくつもあり、落ちてはまた岩肌に当たり、細く伝い、実家の窓から見える湖から流れ出て続くごつごつとした川へと流れ落ちていた。

ごつごつした川というのはおかしいかもしれないけれど。
わりと大きめの岩がゴロゴロしている間を縫うように走る急な流れを、当時の私は、ごつごつした川だなあ、と思いながら眺めていた。
大雨の日や融雪の頃は水かさが増し、なお激しく流れ、窓を閉めたバスの中にいてもごうごうと鳴るのが聞こえるようだった。

滝のように落ちて咲くボタンヅルを見るたび私は、あの岩肌から落ちるいくつもの細い滝を思い出す。そして、川を遡った先の湖の畔を思い浮かべる。
ああ、もうじき家に着くなあ、という懐かしくあたたかな小さな安堵感と一緒に。




ボタンヅルはその名の通り蔓性の植物で、花期は8月から9月とある。標高が高めのこの辺りでは9月の頭までといったところか。
葉の形や様子がボタンに似ていることからその名がついた。
毒性あり。蔓や葉の傷ついたところから出る液に触れると“かいかい”になるらしい。

繊細な形をしたボタンヅルの花の十字に開いたベース部分は花びらのようだけれどそうではなく、1枚1センチ足らずのそれは萼へんというらしい。
ボタンヅルに花びらはなく、十字の真ん中からはつんつんとたくさんのおしべめしべが飛び出している。

この花を見るたびいちいち“ちっちゃ”とおもうのは、きっと、写真に収めたたくさんの花をひとつひとつ拡大して見てしまうからだろう。
散歩道に沿って続く緑の壁面を、ハギの赤紫の花なんかと一緒に飾るその白く繊細なつくりの花たちは、いくら見ても見飽きることがない。

よく似た花にセンニンソウがある。
初めてその花を写真に収め、名前を知りたくて色や形を手がかりに検索した時、最初にいき当たったのがセンニンソウだった。

正直なことを言うと、じぶんが見つけた花がセンニンソウではないと知った時、私はちょっと、チッ、と思った。
センニン=仙人ということばになぜだか魅力を感じていた。らしい。
いまとなってはその感性は我ながら謎だし、いまではボタンヅルでよかったとさえおもっている。
ちなみにセンニンソウにはまだお目にかかれていない。

などと能書きを垂れたがっているうちに、花の時期が終わってしまう。
写真をたくさん撮ったので、見ていただけたら、うれしいです。

それにしても、この花の写真の多さときたら。
選ぶのにまた時間を取られてしまった。
写真を選びながら、ああ、わたし、この花が好きなんだなあ、などとふと思ったりした。



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