ねがいごと、ひとつ
なにげに、うっかり、きゃっちゃんはもうお散歩に行けないのかなあ、なんて考えてしまって、なみだが出る。
ああ、きゃっちゃんというのは、同居のいぬのこと。
わたしの、最愛。
きょうは先代のいぬの命日。
彼もいまだにわたしの最愛。
最愛がふたつなんて、おかしいだろうか。
わたしが愛なんて、もっと、おかしいだろうか。
窓外に目を向けると、庭に先日の雪がまだらに残っている。
ふと、せっかく冷たくないようにと雪を掻いてあげたのに、わざわざ雪のある所を歩きたがったおじいちゃんになってからの先代のことを思い出す。
いたずらっぽい顔で、うれしそうに笑っていたっけ。
きゃっちゃんは大きな形をして相変わらずあかちゃんみたいな顔をしているけれど、先代は晩年、ちゃんとおじいちゃんらしい姿になっていた。
体高が70センチを超える大型犬で、若い頃はそれはそれは美しく速く走った。
彼のおかあちゃんとおじいちゃんは本物の牧羊犬だった。
年をとってからはたくましかった腿も細り、もともと長く細いつくりのその脚が心配で心配でたまらなかった。
実際、大きな体を支えるのが難しくなり、ハーネスを使って引き上げながら散歩をした。
でも、そのうちお散歩コースを回ることもできなくなり、玄関前の坂を上がるのも一苦労となった。
彼は、先代は、外でしかトイレをしないこだった。
大雪の日も、台風の日も、コートやサイズの合っていないカッパを着せて外に出た。
どんな悪天候のなかでも、彼はじぶんの楽しみを譲らなかった。
彼は、ごおぉぉぉぉという大きな音とともにトンネルから現れ、眩しい灯りをなびかせながら走り抜ける夜の電車を見るのが好きだった。
ずぶぬれになりながら、ふたりで並んで見上げたきらきらの光の帯を思い出す。
彼の最期の日のことを、わたしはいまも忘れていない。きっと、ずっと、忘れない。
彼は本当に最後まで親孝行な立派ないぬだった。いまも。
最愛。
きゃっちゃんは相変わらず、食べたり食べなかったり。
けいれん止めのクスリの影響がまだ残っているのか、自力では立ち上がれず、窓の手前に置いたトイレトレーに行くこともままならない。
先日の雪掻きで痛めたわたしの腰と膝が、ひーひーと悲鳴を上げている。
まあ、いいさ。最愛のためだもの。
きょうは、ずっと願っていた。
決して口には出さないけれど、こころのなかで、ずっと願っていた。祈っていたと言ってもいい。ごめんねの気持ちと一緒に、先代犬のじぇっくんに向けて。
どうか、まだ、連れていかないで。
もう一度きゃっちゃんと一緒にお散歩したいの。
だから、お願い。お願い。
こころから。
どうか、届いていますように。
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