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どしゃ降りの言い訳

勇気を出してみようかしらだなんて。
どうしてこういうつまらない言い回しをするのか。
じぶんでも呆れる。
勇気を出したところで、身動きは取れない。
勇気なんか出すまでもなく。どこかに行きたいし誰かに会いたい。

遠くでなくてもいい。
おっ!と思いついて、あらよっ!と出掛けられたらどんなにいいだろう。
誰かと約束して、待ち合わせして、時間も忘れて話せたらどんなにいいだろう。
くったりと眠るいぬはもうだいぶ正気を取り戻したように見えなくもないけれど、おっ!と思いついて、あらよっ!は、とても適わない。本当に適う時が来てしまったら、それはそれで、きっとわたしは悲しみにくれているだろうし。
破る可能性の高い約束はやっぱりできないしね。
いちばんがっかりするのはじぶんだって知ってる。

けいれん止めの薬の後しばらくは、いぬはだいたいこんな感じ。
くたんとして眠っているか、突然むくっと顔を上げじっとこっちを見つめてくるか。ふらつく足であちこち歩き回ったり、食べ物に執着してひどい興奮状態になったり。どこ見てるかよくわかんないし、座ってって言ったって座りゃしないし。
まあ、でも、前回のけいれん発作のあとよりはだいぶいいし、もちろんけいれん発作が起きるよりは全然いい。

いぬのてんかん発作なんて大小含めていつ来るか見当もつかない。手の打ちようもない。どうしてそれをわたしがひとりで引き受けることになったかは、もう面倒だから忘れたことにしている。
それに、それは、誰にも強制されていることじゃない。じぶんの選択。そうするしかなかったとも言えるけれど。だから、仕方ない。

それでも。やっぱりどこかに行きたいし誰かに会いたい。


きのうはえらく冷え込んで、いよいよ身の危険を感じてヒーターを点けた。身の危険てどうよ。でも、とにかくものすごく寒くて。
埃を取ったりきれいにしたつもりだったけれど、それでも、ヒーターのスイッチを入れると毎年嗅ぐ季節はじめの独特のにおいがした。焦げ臭いとまではいかないけれど、香ばしくなにかがそっと燃え消えるにおい。なにかって、まあ、取り残した埃なんだろうけれど。

数日前に確認した灯油の残量は、ほぼないに等しかった。
お財布にいくらあったかと思い出す。あれは支払いに回すお金だから、と首を振る。灯油が買えない。なんて惨めな暮らしなんだろう。
いや、買えないなんて言ってられない。
散々悩んで、こんな雨の日に、配達をお願いする電話を掛けた。
いちばん雨脚の強い時間に配達が重なったのは私のせいじゃない。
そんな当たり前のことさえ、じぶんが間違っているような気がして。
そもそも配達のお兄さんは文句もなにも言ってやしないのに。

じっとしているだけじゃなにも変わらないのなんて知ってる。
それに、実際はじっとしてるわけじゃない。ただ待ってるわけじゃない。そう何度も何度もじぶんに言い聞かす。聞かない。というか、効かない、そんな言い訳。
いつもだれかに笑われている気がしてる。責められている気がしてる。
それもぜんぶじぶんの中だけで起こっていること。



何年か前の晴れた日の写真は、駅に向かう道すがらで撮った大きな木。
トトロに似てる。そう思って撮ったのを思い出した。あの木はまだトトロみたいだろうか。それとももう違ういきものになってしまっただろうか。
いつからかあの道とは別の道を通るようになった。出掛けの急坂が本気の急坂で膝がつらすぎて。
このままじゃ歩けなくなるから引っ越しなさい、と言った整形外科の先生の顔を思い出す。佐野史郎似の素敵な先生だったな。レントゲン写真のコピーにいっぱい矢印を書き込んで説明してくれたっけ。

もう何年会っていないだろう。
もうきっとわたしのことなど覚えていないだろう。
私はまだ歩けています。だから大丈夫。

きょうは朝からずっと雨が降っている。
ヒーターの設定温度は17℃。娘の帰宅時間近くになったら18℃にしよう。
明日は晴れるだろうか。
雨でも晴れでも、いぬには元気でいてほしい。
そして、やっぱり、どこかに行きたいし誰かに会いたい。
そして、も、やっぱり、も、なにに掛かってるのかちょっとわからないけど。

週末が来る。
どうか、よい週末を。




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