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とりとめのない話

今朝も天窓が白かった。
またうっすら雪が積もった。
いぬと散歩に出ようと、いつも通りブーツに左から足を入れ、右足を入れようとしたら、あら、入らない。

ああ、そうだった。
きのうの夕方、ブーツのファスナーが下ろせなくなったのを思い出す。
雪掻きの時、湿った雪に何度も足を突っ込んだからファスナーの滑りが悪くなったのかもしれないし、履き潰すつもりで一年中ずっと履いていたせいかもしれない。
抜くはなんとかできても、履くのは無理。
困った。雪降ったっていうのに。

仕方なく、以前通勤で履いていたブーツを出してくる。
履き口にふわふわのファーがついていて、伸ばしても折り返しても履けるやつ。中もあたたか。
底は全面防滑仕様だけれど、踵が少し高いのが気になる。散歩向きじゃない。
ましてや興奮するとすぐ正体をなくすいぬとの散歩だ。滑って転んだらどうしよう。

案ずるより産むが易し、という。
ほかに履くものがないんだから、と諦めて雪道に出てみれば、これがなかなか、滑らなくていい感じ。
踵が高い分、つま先側に重心が寄るからだろう。
以前、父が言っていたことを思い出す。
「爪先に少し体重を掛ければ滑らないもんなんだ」
雪道で滑って転んだらイヤだからと、外に出たがらない母に向かって言ったことだった。

そうだった。そうだった。
母は結局、道に雪が残る間は外に出ないままだったけれど、父のその言葉は私の体には十分に染みついていた。
あのファスナーの動かなくなったブーツで歩く時だって、自然とわずかにつま先に重心を寄せていた。もちろんあれだって防滑ブーツではあるけれど。

東京で大雪が降った時、足元にお気をつけて、とニュースキャスターが言った。
足の裏をしっかりと全部着けてペンギンのように歩いてください、と続けた。
おしゃれなコートに身を包んだ都会の人たちがそうして歩く姿を想像して、ちょっと気の毒に思った。
ひたすらフラットな場所なら、それでもいいかもしれない。ペンギン歩きでも。
でも、ペンギンだって転ぶ時はある。段差とか。傾斜のあるとことか。
テレビで見た記憶がある。まあ、気のせいかもしれないけれど。

そういえば、スピードスケートをがっつりやっていた小学生の頃、膝をしっかり曲げて後ろに体重を掛ける訓練をさせられた。
させられた、なんて言っちゃいけないけれど、なにしろ、練習きらいだったから。
スケート靴の刃を真っ直ぐ立てて膝を曲げてお尻を落とすと、それだけで前に進む。
ヤンキー座りみたいなカッコでいると勝手ににゅる~っと前に進むので、おもしろい。

逆に、前に重心を描けながら、ゆっくり足を開いたり閉じたりすると、後ろに下がることができる。足を揃えて左右に揺らしても後ろに進む。
まあ、スピードスケートでは後ろに下がる技術なんて必要ないんだけれど。
練習中の休憩時間はリンクの隅で、ともだちとそんなことばかりして遊んでいた。

ああ、そうだった。
父はこうも言っていた。
膝を少し曲げて爪先に少し力を入れろ、と。
結局は、重心を低く前に掛けてバランスをとりやすくしろ、ということだろう。
棒立ちで後ろに体重を掛けたまま滑って足を取られたら、誰だってもう転ぶしかない。後ろにも刃が長いスケート靴のようにはいかないのだ。


父は、雪道を歩くのが上手だった。
氷の上もお構いなしにざっざっと歩いた。
若い頃は山スキーばかりしていたそうだ。
ひとりスキーを担いで山に上がり、誰も踏んでいない、どこまても白く平らな雪の斜面を滑り降りる。

何度かホワイトアウトに遭遇し、ああ、もう死んだかな、と思ったことがあるそうだ。
どちらを向いても少し暗い白の世界にぼおっと仄明かりが映り、ああ、あれがお迎えの明かりか、ついに俺も年貢の納め時か、と思いながらそちらに進んでいったらスキー場のホテルの前だった、という話を、私は何度も聞いて、とても気に入っていた。

死ななくてよかったね、と。

ほんとは、父は死にたがっていたんじゃないか、と気づいたのは、もっとずっと後のことになる。

なんだか話が飛び飛びなようだけれど。
誰もいない雪道を歩いていたり、ひとり、どこまでもきりのないような雪掻きをしていたりすると、どうしても子どもの頃のことや、父が話してくれたことやしてくれたことを思い出す。

山育ちで、冬はどこまでも真っ白な景色が当たり前だった。
通学のバスから降りたら吹雪いていて、少し先のじぶんの家が見えないこともあったし、ともだちの家に行こうと近道をして、胸まで積もった雪をかき分けながら進んだこともある。
雪道をもっと上手に歩いていたし、あの頃は、もっと寒くても平気だった。

父にスキーを教わっておけばよかったな。
父はスキーの指導員の資格を持っていた。
私はスキーができない。
長野県民のくせにスキーできないの?と言われたことが何度もある。
仕方ないじゃん、冬休みはスケートと食器洗いばかりしていたんだから。

そんなことを、雪が降るたび思い出すようになったのは、わりと最近のこと。
また忘れないうちに。
ちょっと、そんなことを思った。

ああ、あと、新しいブーツ買わなくちゃ。











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