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子どもの頃、祖母が家の周りをウロチョロしているノラ猫にご飯をあげていました。

私は家に居ついたノラ猫さんが産んだ子猫の中で、要領が悪く、体も小さくて、兄弟の生存競争で負けてしまう子ネコをこっそりかばって、優先してご飯をあげたりとかわいがっていました。

ところが、1歳くらいになったころ、どこかで転落し、鼻から出血。
動物病院を受診し、私のお小遣いで止血剤を注射してもらいましたが、出血多量で亡くなってしまったのです。

苦しんでいるネコに何もしてあげられなかった無力感から、目の前で苦しんでいる人を助ける仕事につきたいと思いはじめたのです。

高校2年生の春でした。

そう思っていた矢先、本屋さんで『医療従事者の仕事と養成校の紹介』という本に出会い、買って帰りました!

そこからは、消去法です(笑)。

注射はできない、針で皮膚を刺すことも見ていられないので看護師は無理・・・等々・・・最終的に、理学療法士が残ったということです。

職場の駐車場に捨てられていた猫が我が家の娘になる

それから15年後、理学療法士として老人保健施設で働いていたときに、段ボールの箱に入れられて、ネコが駐車場に捨てられていました。
同級生がメス2匹を飼ってくれるというので、我が家で2週間ほど預かることになったのですが・・・。
反対していた夫のほうがお嫁に出せなくなってしまい、我が家の姉妹ネコ・うり&びびは我が家の娘になりました。

その1年後、息子を出産。
我が家にとってうり&びびは、こうのとり❤

ところが、息子が1歳半になった頃、かぜがきっかけで咳がとまらなくなったのです。
これは、ネコ毛が原因の小児喘息かも疑いはじめて、どうしたらよいのか調べたところ、アレルゲンを減らすためには掃除の前に片づけと気づく。
それから、アレルゲンになりやすい布モノから捨てはじめ、筋肉痛になりながら家じゅうのあらゆるものを捨てはじめました。

ネコ毛がアレルゲンだったので、笑顔みんなで一緒に暮らすために、毎日のグルーミング&掃除生活がはじまりました。

足腰が弱くなってびびの介護がはじまる

15歳のおばあちゃんになった頃、黒猫・びびは目が悪くなったことに伴って、足腰が弱くなってきました。
それから、食事誘導・介助、トイレ誘導・介助が必要になり、介護環境をととのえていきました。

最初は、水を飲みに行った後、顔に水滴がたくさんつきはじめ、ご飯をエサ台からばらまくばらまく。
口腔機能が悪くなり、その後、カリカリご飯が食べられなくなりました。

その後、トイレでかがむことが難しくなり粗相が増えたので、大きな猫トイレに買いかえましたが、すぐに段差が越えられなくなりました。
スロープをつくったりしましたが、排泄環境つくりでは悪戦苦闘し、16歳になってからは仕事など長時間留守にする時にはオムツを着用するように。

座布団の段差にあがれず、臀部が床に落ちてしまうので、2020年冬にカーペットを購入。

せっかく作った猫ドアもくぐりぬけることが難しくなってきたので取り外し、目が悪くなってくると、玄関に落ちてしまうようになったので、ペットゲートでガードを設置。

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隙間という隙間に挟まり、お気に入りの木製ソファは危険な家具になり、リビングに置いてあるモノは、どんどんほかの部屋に移動。

というように、どんどんモノを移動し、モノが増え、介護環境をととのえていきました。

開口呼吸、元気だったうりが先に旅立つ

2021年1月、元気だったうり(17歳)が、突然、開口呼吸困難の状態となり、胸水と診断されました。

炎症性の胸水であれば水を抜いて抗生剤を飲めば治るけれども、うりの場合は水を抜いても一時的でエンドレスに水を抜き続けなくてはならない。
最後は楽しく負担が少ない生活を送って欲しいと考えて、胸水は抜かないと決めて療養生活17日目の朝方、旅立ちました。

後を追うようにびびも旅立つ

最後の冬は、びびがつるつる滑ってうりに突進して怒られないように、うりがゆっくり眠れるような場所を確保するために、3段座布団で高さを出してうりの寝床を確保。

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けれど、うりの具合が悪くなると、厚手の座布団の上で寝るよりも薄い座布団で寝るようになりました。すると、びびはうりの近くで仲良く寝るように。

そして、うりがいなくなってから、19日後、あとを追うように、びびも旅立ってしまいました。

2年間という介護をした期間は思っていたよりも長く、びびのことを思い出すのは、介護をしていたころの姿ばかり。

虹の橋の向こうでは、二人仲良く、小鳥さんと遊んでね。




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