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自分の選択に迷ったら〜”good person”

時間はいのち

私は好き嫌いが激しい人間なので、やりたいことや好きなことは夢中でやるけれど、義務感や惰性でやっていることは自分でもびっくりするくらい上手くいきません。義務感で何かをやっても絶対に上手くいかないし、上手くいかないから気分も下がり、余計に出来なくなるという悪循環に陥ります。

 最近は開き直って、やりたいことだけをやることにしています。そして、自分がやっていることは全て「自分で選んだ好きなこと、自分がやりたいこと」という自覚を持つことでモチベーションも湧いてくる気がします。

 そんな風に開き直れるようになるきっかけをくれたのが、お医者様の日野原重明先生の「いのちのおはなし」という本でした。

日野原先生が子供たちと対話をするストーリーで、そこに「いのちとは何か」という問いがありました。

「いのち」が何であるか・・・。
分かっている気でいたのに、いざ言葉にしようとすると何も出てきません。


「いのちってなんだろう??」

 答えが見つからないままページをめくると、そこには「いのちは一人ひとりに与えられている時間のこと」と、ありました。

それからは、何かをするときには「時間はいのち」と考えるようになりました。「お付き合いで」とか、「お断りすると悪いから」という理由で何かをすることはなくなりました。

すると、不思議なことに自分がやりたい仕事だけでスケジュールが埋まるようになり、一緒にいたい人とだけ時間を過ごせるようになりました。やりたい仕事だけを選んでいるので、楽しくて感謝を込めて一生懸命になります。そうするとお客さんも喜んでくれて、「またお願いします」と、更に「やりたい」と思える仕事の依頼が沢山くるようになりました。

私、わがままじゃないのかな?

ただ、ときどき「本当にこれで良いのかな?」と、不安がよぎることがあります。
私はもともと我儘な人間なのに、そのうえ好きなことだけを選んでやるなんて、どんどん我儘になっているんじゃないのかしら・・・。

そんな時に思い出すのが、「I am a good personであると信じる」ことです。
これは、アメリカで大学に通っていたときに同級生のリアが私に言ってくれたことでした。


リアはワイオミング州の出身で、代々続く牧場の跡取り娘です。リアが言うには、彼女が育ったワイオミングは、家族を始め友達もみんな保守的で「女性は結婚して子供を産むのが良いこと」と言われ続けていたそうです。そういう価値観にリアはずっと違和感を感じていました。

一方、日本で生まれ育った私は、学校や周囲の「みんなが同じことをする」という暗黙の前提のようなものに窮屈さを感じつつも、周りに合わせることができない自分に劣等感のような感覚を持ち続けていました。

私たちが通っていたマウントホリョク大学は、女性は大学入学を認めてもらえなかった時代に「女性にも高等教育が必要」という意志で創られた、アメリカ最古の女子大です。大学創立の精神は校風として受け継がれており、「自分の道は自分で切り拓きなさい」「世の中の役に立つ人になりなさい」という教えは在学中に至るところで感じていました。

リアも私もマウントホリョク大学に進学し、「周りと違う」と感じなくても良い、「自分は自分らしくあれば十分である」と思える場所を見つけたような気がしていました。ワイオミングと日本という全く違う環境(国)で育ちながら、私たちは同じ大学に辿り着き、そこで同じような心地よさを感じていたのです。

そんな背景もあってリアとはいろんなことを語り合いました。
 ある日、「自分のやりたいことをやる人生」ということについて話していたときのことです。私が、「やりたいことをやる人生を選びたいと思う一方で、それは自分勝手な行動で周りに迷惑をかけているのではないかと、ときどき心配になってしまう」と打ち明けたときにリアが言ったのが、「I am a good personであることを信じる」ということでした。

私は ケイコが「good person」であることを知っている。大切なのは、ケイコ自信が自分のことを「I am a good person」だと信じて、「good person」だから正しい判断が出来ると思うことだよ。私はいつも自分にそう言い聞かせているよ。

ワイオミングの牧場という保守的な環境で育つなかで、他の誰が「good」と言ってくれなくても、リアは「I am a good person」と自分に言い聞かせて「自分には自分の価値観があり、心の声に従って行動する」という想いで生きているんだな、と感じました。

そして、私も自分が「good person」であることを信じて生きようと思いました。

GoodとNiceの違い


因みに、「I am a good person」というのは、「I am a nice person」とは違います。

「 I am a nice person 」というのは、「好ましい人」つまり礼儀正しいとか、優しいとかそんな人となりを表します。

 それに対して「I am a good person」と言った場合は、もう少し深いところ、その人の心根や人間性の話になります。”nice”が行いや振る舞いなど表面的なことで「良い」と言っているニュアンスなのに対して、”good”は深いところ心や内面について語っている感じですね。

「私って我儘なんじゃないだろうか?」「これで良いんだろうか?」と不安になった時には「I am a good person」と言うリアの言葉を思い出しながら、「I am a good person」という言葉に恥ずかしくない生き方をしているか自分自身に問いかけています。

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