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まいにちがにちようび

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日々思いついたことやハテナに思ったことを、なんとなくエッセイに。
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まいにちがにちようび

もしもがもしもではなくなったら、ということをよく考える。 もしも「まいにちがにちようび」だったら何をしようか。 考えてはみたものの、散歩をしたり、近所の喫茶店に行ったり、絵を描いたり、ラジオを聴いたり、意外といつも通りのことしか思いつかない。 日曜日とはそんなものなのかもしれない。 お休みの日はよく喫茶店にいく。 先日は、西荻窪の喫茶店「それいゆ」でナポリタンを食べ、珈琲とついでにケーキも食べた。雰囲気も最高、珈琲も一流。その上、軽食も絶品でケーキまで食べられるときた。

地上0.005メートルの浮遊感

ある日、足の裏から足首、ふくらはぎにかけて、鈍い痛みと気だるさで目が覚めた。筋肉痛にも似ているこの痛みに、当の本人は全く身に覚えがない。金縛りのようななにかとてつもない力が、私の両足にまとわりついているのではないか。もしや深刻な病か・・・と近い将来を想像し青ざめた。 まてよ、よく考えてみろ、この痛みには必ず原因があるはずだ。私は目線を自分の足から部屋へと移した。普段と変わりないように見えた1Kの小さな部屋だったが、よく見ると床に無造作に脱ぎ捨てられたTシャツやズボンが、風呂

おやつは300円まで

遠足のおやつといえば、何を思い浮かべるだろうか。 私の通っていた小学校では、遠足のおやつは300円までと決まっていた。なので、子どもたちは300円という制限の中で、なんとか沢山のお菓子を手に入れようと悪戦苦闘するのであった。 しかし困ったことに、小学生が大好きなポテトチップスやじゃがりこ、キノコの山やたけのこの里はどれも100円程度。どれか一つを買ってしまうと、300円のうち1/3をまるまる使ってしまうことになってしまう。だがしかし、中身が何個か入っているお菓子は必殺「交

しっくりがやってくる

「なんかよい」とか「しっくりくる」という言葉をよく使う。 「なんか」とは何なのか。「よい」とはいったい何が「よい」のだろうか。「よい」と思うからには、何か「よい」というところがあるはずなのだが、それを言葉にするのが難しい。 同じように、「しっくりくる」の「しっくり」を説明するのも難しい。「しっくり」とは一体何なのだろうか。 「この石ころは見るからによい石ころだ。」 「ほほう、確かに。見るからによい石ころだ。」 「このあたりなど、とてもしっくりくる。」 「ふむふむ、このしっ

おまえ、そこにいたのか

『見えている世界』と『意識して見る世界』は全く別のものである。 日々視界に入ってくるたくさんの情報の中から、特定の物事が急にはっきり見えてくる瞬間がある。こんなに近くにあったのに、なんで今まで気づかなかったんだろう、というちょっと不思議な体験。少し意識するだけで、途端にそればかりが目に入ってくるようになる。 2021年8月、東京末広町にある PARK GALLERY にて人生初となる個展『石ころをひろった』を開催した。その個展の期間中の、梅雨明のけ真夏日のある昼下がりの出来

2度目の人生はゴミ箱だった

前回の記事で、私の通っていた地元香川県の小さな絵画教室(研究所)「アトリエ孤路庵研究所」での出来事を記述した。 今回も、引き続きアトリエの話をひとつ。 S先生は物を捨てられない症候群なのだが、捨てられないどころかさまざまな物を拾ってくる。拾ってきては、棚の上や石膏像の周りにオブジェとして展示し、ゆくゆくはデッサン、着彩のモチーフとなる。年々増え続ける謎のオブジェ(モチーフ)により、1週間前に描いていたデッサンの続きを描くためには、自分のモチーフを発掘するところから始めなけ

アトリエ孤路庵研究所

実は漫画家を目指していた若かりし高校生の私は、やんわりと美術大学を目指すようになった。 県内の国立大学の教育学部に進学し、教師になって欲しいと願う母の大反対を押し切り、小さなアトリエに通い出した。アトリエの思い出を一つ一つ書き出すと、ちょっとやそっとでは読むことのできない超大作になってしまう。それくらい、濃ゆい時間を過ごした。 「アトリエ孤路庵研究所」は都心の美術予備校とは全く異質の絵画教室(研究所)なのだが、教えてくれるS先生は私の人生で出会った奇人の中でも3本の指に入