「#Amazonプライム解約運動」への違和感

 日曜日、ツイッターを見ていたら、松本人志と三浦瑠麗がAmazonプライムのCMに出ていることを問題視し、「もうAmazonを利用しない」というようなツイートをいくつか見かけた。私は2017年12月、最高裁のNHK受信料合憲判決直後にテレビを手放したので、そのCMを見たことがなかったが、私にとってAmazonはいろいろな意味で欠かすことのできないツールなので、「いいね」はできかねた。

 するとその日のうちに、「#Amazonプライム解約運動」がトレンド入りしていることを知り、それに対して、もやもやとした違和感を覚えるようになった。

 その後、月曜日には毎日新聞デジタル版に、「#Amazonプライム解約運動 CM出演者起用に批判 過去の言動問題視、会員らSNS拡散」という見出しの記事が載った。
https://mainichi.jp/articles/20200818/ddm/012/040/154000c

松本人志も三浦瑠麗も大嫌い

 まず最初に断っておくが、私は松本人志が大嫌いで顔も見たくない芸人であり、番組は見たことがないが「ワイドナショー」(フジテレビ系)のMCとして毎週のように問題発言を繰り返していることも知っている。

 また、三浦瑠麗に関しては、数年前に朝日新聞などに「リベラルを装ったどっちもどっち派」の国際政治学者として登場するようになって以来、3・11後に一時もてはやされた海沼博に似た胡散臭さを感じ、その後、「スリーパーセル発言」などで馬脚を現わしてからも彼女をありがたがって重用する朝日新聞に対しては、その都度ツイッターで批判してきた。

 なお、本日のLITERAの記事によると、松本は以前からAmazonプライムのCMに起用されており、三浦が今月から新たに起用されたということなので、「#Amazonプライム解約運動」のハッシュタグをつけたツイートの多くがふたりを同列に並べて批判しているが、ここでは三浦を主に念頭において先を進める。
https://lite-ra.com/2020/08/post-5585.html

なぜ違和感を覚えたか?

 私がなぜ「#Amazonプライム解約運動」に違和感を覚えたかというと、その前段には、上述したようにAmazon不買的な意見に必ずしも同調できないといったそもそもの見解の相違があった。

 ひとつには、今Amazonを問題にするのなら、もう何年も前から問題とされてきているように、Amazonの労働基準法違反企業ないしは脱法企業的な体質こそ問題視すべきであり、実際、そのためにAmazonを使わないという人も知っている。しかし私は、それでもなおかつ、いち消費者としてAmazonの利用価値の方を選択して、今まで様々にAmazonを利用してきた。

 ちなみに、プライムに関していえば、今まで1ヶ月限定の無料お試しは何度も利用してきているが、音楽配信や動画配信サービスの内容に魅力を感じず、一度も有料利用したことがない。だから今回、こんなにもAmazonプライムを利用している人が多いのかと、ある意味そちらの方に驚きを覚えたほどだ。

 しかし、私が感じたいちばん大きな違和感は、このハッシュタグにつけられた運動という2文字に対してである。なぜならそれは、それへの同調を人々にはたらきかけるものであるが、はたしてこの問題がそこまでして人々に呼びかけるほどの問題か、という疑問があるからだ。松本人志や三浦瑠麗が嫌いでそのCMに不快感を覚える、彼らを起用したAmazonが問題だというのなら、勝手にプライムを解約して理由を問う欄に思いの丈を書けばいいし、そのことをアピールしたいなら、ツイッターに「#Amazonプライム解約しました」とハッシュタグをつけてツイートすればいいだけの話だ。

水原希子と三浦瑠麗

 逆のことを考えてみた。3年前、民族差別や人種差別等に歯に衣着せぬ批判を行い、自分の考えをはっきり表明してきた水原希子がサントリーのCMに起用されたとき、ネトウヨ界隈から一種の不買運動的な動きがまき起こった。

 私はこの問題を今回の問題と同列視するつもりはない。なぜなら、水原希子はなにひとつ悪く言われるようなことはしていないが、三浦瑠麗は「学者」としてもタレントとしても多くの問題発言をしてきているからだ。

 だが、その三浦とて、なにか犯罪行為をはたらいたわけでもなかろう。LITERAが指摘しているように、起用される側の見識の問題はあろうが、起用する側が不買運動的なものの対象とされるようなことなのか?

 上述したように、嫌なら買わなければいい、利用しなければいいだけの問題であり、そういう消費者が多く出て、その商品の売上が落ちれば、損をするのは当該企業ということになる。また、問題のある人物をCMに起用すれば、いろいろ批判の声が上がるのは当然であり、その企業のイメージに傷がつく。逆に、起用人物に限らず、社会的に高く評価されるようなCMをつくった企業は、売上が伸びるだけでなく、企業としての社会的評価も上がる。

森永不買運動と東電1円不払い運動

 私も今まで不買運動を行った経験はある。ひとつは古い話になるが、私が生まれた頃に起きた森永ヒ素ミルク中毒事件だ。

1955年6月頃から主に西日本を中心として起きた、ヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者・中毒患者を出した毒物混入事件である。(ウィキペディア)

 この事件において森永乳業の企業責任を問うために、1960年代に不買運動が展開された。当時、このような重大事件を引き起こした企業は、欧米ならば当然倒産に追い込まれるとも聞いた。したがって私は、学生時代以降、今日に至るも、森永の製品は買わないようにしている。

 また、不買運動ではないが、3・11原発事故以降、東電の電気料金を銀行引落しから郵便振り込みに変更し、わざと1円不足して振り込み、送られてきた請求書で期限ギリギリに支払う「1円不払い運動」も行った。こちらも、当然廃業してしかるべき企業が国の庇護を受けてのうのうと存続していることが許せなかったからであり、当時、地域独占企業で他の会社を選べない状況下でできる消費者としてのギリギリの抵抗であった。

いちいち不買運動していたらキリがない

 一方、世の中に問題企業は山ほどある。Amazonも、上述したようにそこで働く労働者の処遇は劣悪極まりない。同様な労基法違反企業・脱法企業は枚挙に暇がない。例えば、ユニクロ、ヤマダ電機、セブン-レブン…。しかし、それだけの理由でいちいち不買運動を行っていたら、今の日本、何も買えなくなってしまうだろう。もちろん私が、死ぬまで金に苦労しない身分だったなら、労働者がよい待遇を受けて最上の環境の下で生産された最高品質の安心・安全で一流の商品のみを消費すればいいのだが、現実にはユニクロのジーンズやフリースを着たり、同じ商品でも少しでも安いものを検索してAmazonで注文する。

 そんな私でも、上記のような企業の労働者が労働組合を結成してたたかい、その結果、不当解雇されて争議にでもなったら、当該労働者らを支援し、連帯する証に、不買運動を呼びかけたり加わったりすることになるに違いないだろうが…。

不買と不買運動の違い

 ここで、単なる不買と不買運動の違いをはっきりさせる例を挙げておこう。

 私は3・11の東電原発事故以来、福島県をはじめとする東日本産の農産物や太平洋沿岸で獲れた海産物を買っていない。しかし、だからといって、例えば福島県産農産物の不買を呼びかけたことは一度もない。

 本来なら、事故直後、政府が国民に絶対安全な厳しい基準値を設け、一方で被害を受けた農漁民に手厚い補償をすべきだったのだが、現実にはそうならなかった以上、私としては放射能の内部被曝の危険性を訴えることはできても、最終的に何を買って何を食べるかは個々人の選択、生き方や人生観に関わる問題だと思うからだ。

 また私は、客室にトンデモフェイク本を置いている極右人物が経営するアパホテルを利用していない。他に、その何倍もするホテルしかないなら利用せざるをえないかもしれないが、幸い今はアパホテルとたいして料金の違わないホテルがたくさんある。

 先日、娘に会ったとき、アパホテルを利用しているというので、経営者が極右で、客室に「南京虐殺はなかった」というようなトンデモ本を置いているんだというような話はしたが、「利用するな」とか「ほかのホテルを利用すべきだ」というようなことは言わなかった。それはあくまで娘が判断することだからだ。

テレビ局への抗議運動こそすべき

 結論になるが、以上からどう考えても、AmazonプライムのCMに三浦瑠麗が起用されたくらいで、私の価値観からすると「Amazonプライム解約運動」にまでは発展しない。

 むしろ、それをいうなら、三浦や松本を起用する番組やテレビ局に対して、もっと抗議運動を展開すべきだろう。三浦や松本がテレビで少しでも問題発言をしたら、局に抗議の電話をかけまくる。その番組を二度と見ない「不視聴運動」を呼びかける。そして、テレビ局にデモを仕掛ける。

 その結果、テレビから、フェイクやヘイトを垂れ流したり、政権擁護を繰り返すタレントがひとりでも多く消えていけば、そんな問題タレントをCMに起用する企業もなくなることだろう。

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