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性被害を取り巻く社会

[性虐待 魂の殺人]
性虐待は魂の殺人と呼ばれ、私は何人もの性虐待の被害者と会ってきた。

彼らは文字通り魂を殺されるような、精神的な危機状態を経験している。1回の被害であったとしても、フラッシュバックや不眠
希死念慮に襲われる。

『減るもんじゃなし』
『そんな服装してたから』
『そんな場所にいたから』
『誘ってたんじゃないの』
『処女だった』『どんな下着だった』『楽しんでいたのでは』『性被害じゃなく痴情のもつれでしょ』


精神的な症状をくぐり抜けて、裁判に訴えるにも。

被害に関わらないことを司法や警察に非難され、二次被害が待ち受けている
何度も同じことを聞かれ、
これを耐え抜いて起訴に持ち込むのは至難の技だ。

中でも驚いたのが、
警察での取り調べの方法。
伊藤詩織さんはBLACKBOXの中で人権を無視した、取り調べの手法を明らかにしている。

警察官の取り調べでは等身大の人形を使い、5-6人の男性警官に見られながら。
体育館のマットのうえで、
どんな体位でレイプされたのか、彼女は詳細を聞かれながらの取り調べを受けた。
どん風に動いていたのかまで!
そんな事聞く必要あるはずがない。


何度も気を失い、吐き、
拷問のような取調べを受け、
友達や家族の付き添いは認められなかった。

性犯罪の被害者に罰を与えるような捜査手法だ。

性犯罪に関して医者も訴えることを勧めない、患者がどんな目に遭うかを医者も知っているからだ。

ただでさえ性被害に合った人達の精神状態は重篤なのに、

その状態でこのような
セカンドレイプが司法や警察、検察で待ち受けている。
男性から被害を受けた人は男性が全く受け付けなくなることが多いが
ほとんどの警察官や検事は男性だ。

伊藤詩織さんは警察の取り調べの時どうしても女性の警察官をと頼んで
散々話したくない被害を話した、後に女性警官は『すいませんが私は交通課なのでもう一度男性警察官に話してください』と言われた、有り得ない対応だ。

2023年に不同意性交等罪に変わった警察や司法検察での対応も変化すると信じたい。

7月に国連ビジネスと人権作業部会が訪日し、
司法や警察での研修についても言及していた。

司法、警察関係者の性的また人権的意識が変化することを願いたい。
日本はあまりにも人権意識が低い。

[性犯罪の時効撤廃を]

不同意性交等罪で時効は10年から15年に延長されたものの、

性犯罪は起訴が難しいだけではなく
文化的にも被害者を責めるような文化があり、
被害者は自分が被害にあったことを長年話すことすら出来ない。

老齢になってやっと
過去の被害体験を話せるようになる人も多く、その年代になっても
いまだに過去の経験に苦しんでいる、
何度もフラッシュバックし、過去を過去にできてない人が沢山いるのだ。

被害によって記憶の混濁、
つまり乖離状態になり被害をはっきりと訴えられない事も。
起訴までに多くのハードルがあるのだ。

出産や初体験によって幼い頃の記憶が呼び戻されその記憶に
苦しむ人もいる。

『被害者にとって過去は過去では無いのだ』

イギリスとカナダは性犯罪の時効は無い、
またフランスは30年ドイツは20年と日本よりも長い。

オーストラリアでの調査によると被害者は被害を言えるようになるまで平均で23.4年かかるとの結果が出ている。

日本の性的なことを話にくい文化を考えると、
15年はやはり短いと言えるだろう。




[しずかちゃんは
傷ついて居ないのか]

1980-90年代のアニメでは、

女の子にイタズラをして彼女達も喜んでいるかのような表現が多くあった。

ドラえもんのしずかちゃんは
お風呂をのび太くんに覗かれ真っ赤になって怒るが、次の場面には仲直りしている。

フィクションではそうであっても。
あなたが過去にスカートめくりした相手が傷ついていないだろうか?
もしも彼女たちが
不登校になっていたら?
リストカットしていたら?何十年も外に出られないとしたら?
拒食症になっていたら?

その責任は誰にあるだろうか?
相手の心が弱かったからだと切り捨てていいのだろうか?アニメやメディアに責任はないのか?

自分がやった行為が単なる冗談であったとしても。

受け取る相手がそうだとは限らない。

自分が見ている世界と
相手が見てる世界。
自分が理解している事と
相手が理解している事は。

必ずしも同じでは無い。

アニメというフィクションの中の出来事だがあれを見て育った世代の人間は
女性の性を軽々しく扱って良いものだと思っている人が多い。
そして、この世代の
女性自身も自分の性を軽々しく扱いって良いのだと思ってしまっている
事が多い。

自分自身もそうだったかも?と
ハッとさせられる経験がある。

段階の世代や団塊ジュニアより上の世代は『性』に関することをアップデートしないといけないのだ。

自衛隊での性暴力で五ノ井さんが自衛隊と加害者達を訴えているが、
彼女は公判の途中で気絶して救急車が呼ばれる事態になった。

彼女は服を着た状態で性行為をする
フリを他の隊員たちがいる前でされたが、

加害者達にとっては単なる娯楽や冗談だった、実際に性行為をしたのでは無く、

そんなに彼女が傷つくとは思っていなかった、まして訴えられる程のこととは思っていなかった。
しかし
彼女にとっては子供の頃から憧れていた自衛隊員という職業を断念し、
大なトラウマを背負う行為となってしまった。

加害者達が五ノ井さんにそこまでの被害を与えたいと望んでその行為をやった訳では無いだろう。
しかし、
あまりにも男達と女達たちの認識が違いすぎる。

性被害者や性的虐待の被害者たちを見てきて思う事は、
『性』問題は人間として、深くアイデンティティに関わる問題で
そこを暴力的に侵されてしまうと。

精神の根源的な部分が毀損してしまう。

だからこそ精神的に大きな症状が出るのだ。

しかし、暴力的な性行為を好む人もいるでは無いかと言われるかもしれない。

SMの女王様の友達いわく、
SMは深い人間的な信頼関係があるからこそ本人達が楽しめるものであり、
喜びをもたらす側面があると言う。

つまり、深い信頼関係がそこにあり
お互いにどのような性的な行為をするかの合意があり
コミュニケーションが図られているからこそ、
その行為が喜ばしく人間としての喜びを与えてくれる行為となるのだ。

だからこそ
不同意性交等罪が新設されたのだ。

女性たちからこの信頼を得るために、
太古の昔から
男性たちは和歌をたしなみ、
言葉を尽くして愛を伝えて来たのではないか。

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