『井口ビジョン』のススメ

私には、初恋が2回ある。 

1回目は、父である。
このカリスマ性と愛嬌とスマートさには全人類対抗できるのは、アラン・ドロンくらいなものである。
見てみたいだろう。羨ましいだろう。
その気持ちだけ預かっておくので、想像豊かに期待を膨らませておいていていただけると嬉しい。

これは身内であるので、カウントしないとなると、私の初恋は、間違いなく井口資仁氏である。
もう時効だと高をくくって話すそのエピソードは、トレーシー・ハイド顔負けの純情さ。

5歳の時、両親に連れられて行ったオフシーズンの福岡市博物館。
出口付近のお土産コーナーの出来事。
確か、父がトイレに行っていて、私は母と二人で和同開珎の複製品などを見て待っていた気がする。
周りに人はそんなにおらず、40代くらいのおばちゃんと、おじさんがいたなあとぼんやり覚えている。
あの平成初期当時の独特の、写ルンですのような色褪せたセピア手前の色彩と、冬のにおい。
恐らく、オフシーズンのことだったのだと思う。

「きゃあ」

絵にかいたような黄色い声が耳に飛び込んできた。
先ほどのおばちゃんが、両手を口に当てて握手を求めていたのは、2人の背広を着た男の人に挟まれたスーツを着た井口選手だった。
当時ダイエーホークスのルーキーイヤーだった彼は、とっても輝いて見えた。
大きくて、ピシッとして、顔がキリっとして、周りの人に腰低く挨拶をしているその姿。

「なんだこのかっこいい人は」
「すごい」

数ある雷に打たれたような感覚の中で、この時の記憶は31歳の今でも、しっかりと体が覚えている。

「握手してもらいなさい」

そういわれても、はじめ私は恥ずかしすぎて一生和同開珎のサンプルを見ていた。
母は亡くなる間際までこの出来事を鉄板のお笑いネタにしていた。
歴史の教科書を見るたびに、私はこの日のことを思い出し、どういう想いをしていたかは察するに欲していただければ幸い。

そんな、少しだけませた私でも、しっかりと覚えていることがある。
あの時、名前も知らないお兄さんの身長がめちゃくちゃ大きかったこと、挨拶をしてくれたこと、手が大きかったこと、少しだけ(記憶補正もあるかもしれないけれど)笑いかけてくれたこと。
後日、テレビに出てきた井口選手の名前をお母さんが教えてくれたこと。
小学校1年生の時、ダイエーの話ができて、好きな選手の名前を言えたことでお友達ができたこと。

おかげで、私は野球が大好きになった。

時は過ぎて、井口選手は、メジャーリーグに挑戦した。
もうすこし時が過ぎると、帰国してロッテでNPBに復帰した。
そして、引退試合を経て、ロッテの監督になって、今は監督を退いて解説などでその活躍を見ることができる。

そんな彼が、今年、『井口ビジョン』という本を出した。
わざわざAmazonで予約したのに、書泉でサイン入り本を入荷したと案内があったので、もう一冊購入した。
https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322307000502/

私が大人になって、井口さんの考えで一番助けられたのは、『逆算』という考え方だった。
(これまでも今回の著作でもその考えは一貫されているように感じた)

常に目標を立てて「ここにたどり着くまでにどう積み上げればよいか」「問題を解消すればよいか」というものは、本来私が苦手な努力という手段。でも、これを発展させていくと「ここにたどり着くために、自分の手札を組み合わせていけばよいだろう」「私に関わる人たちがのひとたちが、より幸せになる選択どれだろう」という、自分が好きな作り上げるという工程が入ってくる。それも、たくさんの人と。

これは、私の25歳くらいからの人生がとっても楽になる考え方だった。

是非、皆さんもそれぞれの「眼」から、この本から各々の「ビジョン」捉えてほしい。
きっと、本を書き起こして、発信して、それらの言葉を受け取った人たちが、それぞれの人生を膨らませるというのは、世界が少しだけ豊かになることに繋がる。
この本には、そんなヒントがたくさんあった。

さて。
元々、泣き虫で怖がりで臆病な私は時々…多々「怖いな」そんな気持ちに支配されてしまう。
「こんなに寝て大丈夫かな」
「こんなに食べて大丈夫かな」
「またいじめられるのかな」
「また足元すくわれるのかな」

これは、小学生の頃からずっと変わらない。
そういう性格が少しでも変わればいいなあと思うけれど、年も取って、それ相応の失敗をこなしてきたのもあって、一歩はさらに重くなる。

でも、そういうちょっとだけ涙が出そうなタイミング、いつだって井口さんはスーパーヒーローのようにキラキラと未来や外は明るいよって教えてくれた。

あまり友達とうまく行かない日々に届いたダイエーのファンクラブで当たったMVPサイン入りポスターに、不登校のタイミングで知人がアメリカまでもらってきてくれたホワイトソックス時代のサイン。壁にぶつかったときに見た、引退試合の大きなホームラン。
何気なくつけたテレビの野球中継で図らず井口さんが解説だと「あっ、井口さんかな?」と、とても元気が出る。
野球を通じて知り合った人たち、野球が好きだったから仲良くなれた人たちの作用おかげで、今の私がある。

傷だらけでうまくいかないねって私でも、「ここで踏ん張ろう」と思えるのは、井口さんのプレーや著作から力をもらってきた。

私は、その出来事がとても嬉しい。

久我山学院が激闘を魅せてくれた本日、愛をもって「井口ビジョン」をおすすめさせていただいた次第。

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