あたちのすべりだい

 今日は「成人の日」だ。外見は無論のことながら、最近では気持ちすら20代を偽装できなくなり、遠くなりゆく20歳の幻影に郷愁を抱いてしまう。晴れ着で成人式に参加した20歳のフレッシュな姿をTVニュースで見ると、誰も彼も若者パワーで漲っており、オッサンにとっては(もう降参して素直になろう)実に羨ましい限りだ。

 さて、今朝は娘と近所を散歩をしていた。一昨日まではものすごく寒くて、外にいるだけでも寒風干し新巻鮭のようになってしまいそうだったが、今日は寒さがやや持ち直しており、外に居続けてもそれほど苦痛ではない。散歩ルートはいつも決まっていて、最初は公園へ遊びに行く。名も知れぬ小さな公園なので、先客に誰かいたとしてもせいぜい2~3人ほどが相場だ。

 滑り台がとてもお気に入りのようで、滑り台を目にした瞬間、宇宙語を絶叫して真っ先に駆け出していく。全く同じものを見て、毎回あれだけ感動と興奮に包まれるなんて、そんな瞬間は果たして大人の私にあるだろうか。街中で有名人を発見した際に、テンションが上昇することはあっても、さすがに絶叫まではしない(たとえ周囲に誰もいなくとも)。この底知れぬ好奇心パワーも(もう一回素直になろう)羨ましい。

 娘が目指していったのは昭和の香りが否めない滑り台であり、私が生まれた頃から稼働していてもおかしくないほどの年季の入った遊具だ。やや急傾斜な階段も、今では補助なしで一人で登ることができるようになり、頂上で'世界はあたちのもの'宣言をポーズで示した後に、笑顔で颯爽と滑っていくのが'あたちスタイル'だ。そして娘が生涯初めて滑ることに成功した思い出の滑り台でもある(といっても数ヶ月前の話だが)。

 今日は、同年代の見知らぬ女の子も滑り台を楽しんでいた。滑り台は二基あり、娘が階段を登り終えるまでその子は滑るのを待っていてくれて、一緒のタイミングで滑ってくれた。慣れない視線に何かを感じたのか、娘は砂場へと一目散に走っていき、今度は砂遊びを始めた。

 後ろを振り向くとその女の子がまた滑り台を登ってこちらを見ている。「おねえさんがすべろうとしているよ」と声を掛けても、娘は振り向こうとせず砂を弄っているし、女の子も一向に滑らない。しかし、娘が女の子に目を向けた瞬間、女の子は安心したのか滑走し、滑り終えた時にはぎこちないながらも娘は女の子へ拍手を送っていた。まだ他者との関わりが十分とは言えない娘が戸惑いつつも精一杯なコミュニケーションをとっていたこと、いつまでも覚えておきたい。

 娘には重要なことをまだ伝えていなかった。この滑り台で遊べるのは今日で最後だったということを。明日からのリニューアル工事が看板で告知されていて、おそらくあの滑り台は撤去され新しい遊具が設置されることになるだろう。たとえ資産価値がないほど古くとも、私と娘にとっては大切な滑り台。工事現場を見て、自分の大切なものが奪われたと泣いてしまうだろうか。


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