#2「音の河」武満徹
つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。
まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいるように、自分の目の前にドレミファソラシドが置かれている。
(さあどうぞ!ボナプティ!音符で遊びたまえ!)
武満には、仮に「あらかじめ準備された音」をどれだけ壮大に組み上げられたとしても、自分もその中にいるような「音の河」へは届かないという予感があるのだろう。
(まるで、砂浜で壮大な城を立てても、そこには入れないように)
純度100%の音符をどれだけ組み上げても
テーブルに置かれた、人工の、きれいな、妄想の、理念的な、作品にしかならない。
そして、そこに僕らは住んでいない。
(ヨーロッパの人間は、最初の秩序を「準備」して、それを組み上げることによって神的秩序を顕現させようとする、変な性癖がある。)
(その性癖に付き合わされてきた日本人が、自分たちの性癖を取り戻そうとしている。)
(しかし、俺たちの性癖とはなんだ?性癖を言語化したことはないし、そもそも言語化ということ自体が、ヨーロッパの性癖なのだ。)
(性癖と性癖の争い、まぐわい、すれ違い。)
Triggered and Inspired by
『木村敏対談集1 臨床哲学対話 いのちの臨床』、青土社、2017年。
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