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仕事の記録 ヤマハサウンドシステム トップ退団「幕あい 第二幕 Act4 公益財団法人 富士市文化振興財団富士市文化会館 ロゼシアター 長谷川 圭一 様」

新富士はいままで何度となく東京浜松間を行き来して通過していたが初めて降りたのだった。
新富士からほど近い富士市文化会館ロゼシアターはいわゆる市民会館だが素晴らしくきれいに整備されていて感動的だった。
市民の文化を担う市民会館の存在の重要性は大きく、僕自身「浜松市民会館」で高校時代に第1回の吹奏楽部の演奏会を開催したし、高校までは浜松市民会館で、たくさんのライブを見た。
スペクトラム、Hi-Fiセット、ブルーグラスのバンドも見たし、いろんな高校の吹奏楽部の演奏会も見た。演劇教室でお芝居も観たし、それを見て役者を目指したクラスメイトも何人かいた。
特に印象深いのが浜松を代表するビッグバンド、ブルーノーツのコンサートで、これは高校時代にかなりシビれた。何度も言っているが、渡辺香津美がデビューしたての時にゲストで来て、自分たちのバンドでの演奏にくわえてブルーノーツとのジョイントをした。これはかっこよかったし、楽屋に押しかけて渡辺香津美さんと握手させてもらい、パンフレットにサインをもらったことを鮮烈に覚えている。
またブルーノーツの別のコンサートでは司会がジャズ評論家本多俊夫さんだったんだけど、息子で今やサックスの第一人者である本多俊之さんがビッグバンドの「スイス組曲」というシリアスで前衛的な曲に飛び入り参加して、ソプラノサックを吹きまくった。それがとてつもなくかっこよかったし、ジャズのかっこよさへのファーストンタクトだったように思う。
後で聴いたが、この飛び入りはまったくアクシデントだったようで、その場で譜面の構成を変えて終わりまで完走したが、サイズが倍ぐらいになっていたようだった。俺はあの演奏の感激して、まったく技量も知識も足りなかったが、ブルーノーツの原田さんにお願いして、高校生メンバーとしてトロンボーンの花島とともにブルーノーツに参加し、練習に出入りしたりして、すこしだけジャズをかじらせてもらった。
今思うとそうとう無謀だが、そういうことがやれるガキでよかった、とも思っているのだった。

以上、本文とは関係ありませんでした。むしろこれは俺の音楽史の番外編か。

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