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新型コロナウィルスについての自分のための備忘録3 新型コロナウィルスは資本主義への挑戦なのか、 あるいは文明への挑戦なのか

株のトレーダーや金融の人たちは、
コロナショックがいつ終わり、
株価や経済活動がいつもどるのか、
どの程度戻るのかをすでに論議している。
(ほんとに元に戻るのか? 数年単位ではないのか)

しかし、現代の賢人たちは、
新型コロナウィルスは資本主義への挑戦であり、
産業革命以来の体制からのパラダイムシフトとなると言っている。


つまり、コロナウィルスはなくなることがない。
常に共存するものになる、という認識だ。
つまり、これからはWITH コロナの時代。
さらに言えば新型コロナウィルスの後にも、
まだまだ未知の疫病が蔓延する可能性は常にある。
ペストにしても、スペイン風邪にしても、
SARSにしてもMARSにしても。

それを忘れていただけなのだと。

中国共産党が中国での新型コロナウィルスを
報道通り抑え込んだのであれば、
ひょっとしたら民主主義をベースとした資本主義は
即断即決・即時徹底実行が行える
中国的な共産主義に敗北したことになるのかもしれない。

プライバシー権、近代個人主義は
疫病によって打破されてしまうのか。


別の視点もある。

都市のように人間が集積することで生産性向上、
生活のクオリティを上げることをしてきたことは
資本主義も共産主義も同じだ。
ある意味中国のほうが、よりロジカルで戦略的に
集積化、都市化を進めたとも言える。

新型コロナウィルスはその「文明」そのものに牙を剥いている。
三密は、まさに都市であり、オフィスであり、学校であり、工場であり、
レストランであり、パブであり、夜の街である。

そこがウィルスに狙われているとしたら、
我々は今までの生き方を変えなくてはいけない。
デジタライゼーション、風の谷。
デジタル技術で、
開放、疎とともにある暮らしは実現できるのか。

では、デジタライゼーションの前提である電気とデジタル技術は、
そこまで信頼できるのか。

問いは続く。

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