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「いまはもう、人生を語ろう」#04 フォークギターを弾きまくった日々

中学では放課後は吹奏楽部、家に帰ったらアコースティックギターをとにかく弾く、という日々だった。前回書いたように、ブルーグラスギターの福島さんが師匠だったから、ギターで勉強するべきことはいくらでもあった。

カーターファミリーピッキング、ラグタイムギター、チェットアトキンス奏法もそれにあたるかもしれない。そしてブルーグラスといえば、フラットピッキング。

ただ奏法的にそのあたりを教えてもらっていたとはいえ、やっぱり好きだったのはフォークであり、フォークギターだった。なので、神田川や妹などのかぐや姫の曲、吉田拓郎(それほどはまらなかったが、塾の先生が「春だったね」を貸してくれた気がする、あと「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」も。そのあたりは70年代の時代の香りだ、ちなみにその先生は岡林信康のレコード「見る前に飛べ」も貸してくれた、すごい)



今聞くと「春だったね」は、ディランのLike a Rolling Stoneだな。

https://www.youtube.com/watch?v=IwOfCgkyEj0


まぁいいか。

当時一番聞いていて、好きだったのがかぐや姫であって、かぐや姫のアコギのリードギターの正やんこと伊勢正三のプレイが好きだった。また「なごり雪」「海岸通り」などの正やんの曲も大好きだった。
とにかくこのあたりの曲はよく歌っていた。
ギターは正直言って、ブルーグラスをやっていたぐらいなので、まぁ楽勝だったと言っていい。今よりアコギは中学生の時に方が巧かったのではないだろうか。

そして今思うと、この時ギターが大好きではあったが、自己認識としてはフォークを歌いたい、という歌への気持ちの方が大きかった気がする。そしてそれは、今、ジャズでもボーカルをとるのと同じことのように思える。

つまり器楽より歌の方がすきなんだな。

というわけで中学時代はとにかく、家では阿呆のようにギターを弾いていた。毎日夜まで思いきり引いていたので、今思えばさぞかし近所迷惑だったと思うが、まぁ時代が緩かったのか、何も文句を言われたことはなかった。
暑い夏の夜などは家のすぐ外にある遊歩道路に出て、ギターを弾いていた。もろに真夜中のギターだ。
まちのどこかに、さみしがりやがひとり

中学生時代でギターにまつわる思い出は、こうやって書いているとジワジワ思い出されてきて、もう、それはたくさんあるのだった。
一つは、そうやって外の遊歩道でギターを弾いていたら、向こうから歩いてきたお兄さんが、スリーフィンガーをピックで弾く方法を教えてくれたってことだ。

「指でスリーフィンガーをやっていると、急にストロークをしたくなったときに困るだろ、だから、ピックを持ちながらこうやってスリーフィンガーをするんだ」

とその場でやってくれた。ピックで弾いてしまう方法と掌の中にピックをしまう方法と両方教えてくれた気がする。

今思えば夢のようだ。
歩いてくる兄さんがいきなりハイレベルなギターを中学生に教えてくれる。
楽器の街浜松ならではなのかもしれないが、それにしてもあまりにも素晴らしすぎる時代だったと思う。

さて、ちなみにこちらが、私のアコースティックギターの最終到達点であった、マーティンのD-35。いいギターです。最近全然弾く機会がなくなってしまって、倉庫に入っていたのでもったいないと思い、友人の中古ギターショップに委託販売品としておいてもらっている。売れたら嬉しいが、売れなかったら一緒に燃やしてもらうか。いや、もったいないので、誰かに弾いてもらいたい。響がギターを弾ければ喜んで譲るんだが。

ギターショップ浜松ビレッジにある俺のマーティン D-35



https://village335.jimdofree.com/martin/

https://village335.jimdofree.com/martin/

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