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自己肯定感について

そんなnoteを見てしまったものだから、なんか書かなきゃいけないような、僭越ながら私自身も語りたいことがあるような気がしてきた。バイト帰り、最終電車の中の戯言です。
(見出し画像は人生の不可逆性を表しています)

私は最近、自己肯定感が上がっていったような気がする。それは1年間の留学をホームシック無しで乗り越えたたからもしれないし、ひとまず就活を終えて内定とやらを貰えたからかもしれない。

ただご指摘の通り、「上には上がいる」。当たり前よ。1年留学したところで、大学1年生から正規留学してるやつに、4年間アメリカの大学で学んでバチェラーディグリーを獲得したやつに、英語力で勝てるわけがない。何度会話に取り残されたことか。

ただ、少なくとも私の実感としては、私の自己肯定感は決して他者と比べた何かから来るものだけではない。そういった要素もゼロではないけど、やっぱり他人本位の自己肯定感は、脆い。

いつも考えるのは、自己肯定感が底辺だった時のこと。高校時代。中学までのアイデンティティだった「優等生」が崩れて、クラスメイトも全員とは言わないが他人を見下す奴ばっかりで、マジで学校に行きたくなかったあの時期。

本当に自分は何もできないと思っていたあの頃と比べれば、現時点での全ての要素がプラスになり得る。
目に見える形で何を成したかよりも、どうやってここまで来たか。どこまで自分が人間的に豊かになれたかとか、どれだけ素晴らしい人に囲まれて暮らしているかとか、色々と実感できてる時点でもう勝ち。

自己肯定感は、自分自身の数値化できる要素だけに見出さない方が良いのかもしれない。「あなたと関われてる私最高」みたいな感じでも得られる自己肯定感はある。
少なくとも私は、今仲良くしてる友達全員にそんなことを思えてて、幸せ。

でもここまで書いたところで、全くもって説得力のあるアンサーになった気がしない。だって私もめちゃめちゃ他人と比べてるから。

現状の自分を認めて許すのが半分、反吐が出るほど嫌ってハングリーにグリーディーに次を求め続けるのが半分、くらいがちょうど良いのでは。今の私は寧ろ許しすぎちゃってる部分がある。

少なくとも上の奴らを妬んでる間は今の自分をよくできる余地がある。

「現状に満足して威張ってんの?俺ら発展途上でもカッケーぞ」ってやつです。

異論反論は大歓迎です。

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