オリンピック開会式を観終えて

開会式自体は概ね楽しく観られた。ピクトグラムのパフォーマンスは素晴らしかったし、ドローンも、劇団ひとりも、ミスターも、大坂なおみも個人的には大いに盛り上がった。

ただここに至るまで、色んな巨大なものが、巨大な力で、分かりやすく巨大さを持って、巨大に降りかかってくる感覚が怖かった。自分の大切にしているものを、たった数時間でめちゃくちゃに傷つけてしまうくらいに、オリンピックの持つ力は巨大だったわけで。(そう、開会式前日の話ね。)
2020年の初めくらいまではオリンピックは大好きだった。その祝祭感、洗練されたブランド感、大会期間中は知らないスポーツでさえもずっと観てしまう。大会期間中だけ柔道の審判のモノマネをして「技あり!」とか言ってる人だった。

ただ、一歩立ち止まって、あるいは強制的に立ち止まらされた時に、今ここにある惨状とそれでも尚開催される祝祭を比べたときに、何が正しいのかがもう分からない。
オリンピック中止の訴えは理解できるけれど、自分が署名しようとは思わない。スポーツを見ることは大好きだし、競技は開催されてほしいけれど、「スポーツの力」とか言う奴は正直くたばって欲しい。できればお手軽に「希望」とか「感動をありがとう」とか言う奴も、一緒に。
どっちにも居場所はない。きっとまっすぐで立派な意見を持っている人は、「一貫性がない」だの、「流されてる」だの言うでしょう。

ただ、開会式でImagineが流れてきた時、なんかひとつ紐が解けた感じがしたのは本当。

長い時間かけて200以上の国と地域を紹介した後に、それぞれの国や地域の特徴や文化をその都度アナウンサーが紹介した後に、

Imagine, there's no country.

って、笑っちゃうでしょ。しかも「アジア」「アフリカ」「アメリカ大陸」「ヨーロッパ」「オセアニア」とかいう雑な括り。ジョン・レジェンドどんな気持ちでアメリカ大陸背負ってるん?

でも、そんなもんなのかもね。
それくらい安易に矛盾は起きているし、自分たちも抱えてる。丁寧にひとつひとつ数えた後に、急に雑に囲う。大切にしてきたものだって忘れるし、一昨日ツイートした怒りも明日には覚えてない。
矛盾とともに暮らしていくしかないのかな。立派に生きられないうちは。

立派でありたくもないかもな。

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