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ミスジャッジに、ありがとう。

今回のテーマは、ミスジャッジ、です。日本語でいう誤審。スポーツの世界に止まりません。一般社会でも、学校でも、あるいは家庭でも、ミスジャッジされることは、良くあります。(裁判でも皆無ということはなく、あれば冤罪ということになるのでしょうが、そこまで触れると話が大きくなりすぎるので、今回は除外します)。対象は広いのですが、やはりスポーツの世界を例にとって進めたほうが分かりやすいので、そうします。

今日、野球やサッカーなどのメジャースポーツはビデオ判定を積極的に採り入れはじめました。プロのラグビー界では、TMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)という映像による判定がかなり以前から採用されており、ラグビーファンにとっては、判定を左右する微妙なプレイは何度も再生して確認することを当たり前のように思っており、なぜ他の競技(NBA等を除く)で採用されないのか不思議に感じていました。もちろん、ビデオ判定を導入するには、それなりの資金が必要なことは明白ですが、ラグビーやNBAにできてサッカーや野球ができないのは理解できません。おそらく資金だけの問題ではなく、文化的側面や政治的意図があったのでしょう。

スポーツのジャンルにより導入の時期や経緯はさまざまですが、また賛否両論もありますが、ビデオ判定によりミスジャッジが減少したことは明らかです。おそらく今後は、ビデオ判定の導入が加速し、それこそ人間の審判が必要なくなる日も来るかもしれません。そうなれば、ミスジャッジという言葉も死語になるでしょう。本当にそれでいいの? AIが審判をして何が楽しいの? 誤審が原因で乱闘騒ぎが起きたあの頃のほうが人間味があってよかったんじゃないの? と懐古主義の方々は思うでしょう。確かに観るほうにとっては、ミスジャッジも試合の醍醐味といえるかもしれません。しかし、プレーヤーからすれば、勝敗をかけた全身全霊のプレイを誤審などされたら、たまったものではありません。あってはならないことです。こんな理不尽なことはありません。日本のプロ野球では、微妙な判定をした審判によく監督が詰め寄り、場合によっては殴る蹴るなどの暴力を振るうシーンが見受けられますが、良い悪いは別にして、気持ちはわからないではありません。

少し脱線します。たったいま、良い悪いは別にして、と書きましたが、悪いに決まっています。昔から疑問に思っていることがあり誰かに教えていただきたいのですが、なぜ野球には乱闘があるのでしょうか? なぜ野球の審判には権威がないのでしょうか? たとえばラグビーでは主審は絶対的な存在で、主審のジャッジに誰も文句は言いません。サッカーなど他の競技も、レフリーには権威があり、誰もその主権を犯すことは適いません。ほんとうに不思議で仕方ありません。

本題に戻ります。プロ野球の例は論外としても、自己の、あるいは味方チームメイトのプレイをミスジャッジされた(と思った)とき、感情的になるのは当然です。人間としては当然の心理だからこそ、そのとき、どんな態度をとるかが問われているのです。真剣に戦っていればいるほど、怒って当然、激昂して当たり前のミス(と思える)ジャッジを、逆に許すことができたら、凄いと思いませんか? 何を呑気なことを言っているのですか。感情を露わにして何が悪いのですか? 勝負がかかっているのですよ。きっとあなたはこう反論するに違いありません。気持ちは理解できます。ミスジャッジされた悔しさは当人にしかわからないでしょう。ミスジャッジに感謝しろなんて、悠長なことを言っていられるのも部外者だからかもしれません。しかし、部外者だからこそ大局的に見える世界もあるのです。だから、聞いてほしいのです。

かなり昔のことです。日本プロ野球の往年の名選手だったある方が、ナイトゲームの解説中だったか、あるいは雑誌のインタビューだったか詳しくは忘れましたが、こんな発言をされました。「4番打者が審判の判定にいちいち文句を言ってはいけない」。4番バッターというのは、要するに花形選手のことです。そんな大選手たるもの、審判の判定に動じることなく、もっと毅然としていなければならない、とその元名選手は言いたかったのだと思います。横綱が常に横綱相撲を求められるように、優れた選手にはそのパフォーマンスを超越した人間的な大きさが求められるのでしょう。未熟な選手にミスジャッジを超越した態度を取れと言っても無理かもしれませんが、スター選手には必須の資質です。

だから、あなたはミスジャッジという予想外の出来事に対して動揺などしてはならないし、まして審判に詰め寄ってもいけない。にっこりと微笑み、それによって生じた問題を解決できる機会が与えられたことを、喜ぶべきなのです。なぜならあなたは、すでにスター選手だからです。そうでなくても、すでにスター選手であるごとく行動してください。遅かれ早かれそうなるのですから。もしまだレギュラーではなく控えの選手でも、あなたがミスジャッジに対し平然としていられるようになれば、先発で使ってもらえる日は、すぐそこまで来ています。

最初にお断りしたように、今回は話をわかりやすくするためスポーツに絞って考察を進めてきました。ミスジャッジは、他の分野では、謂れなき誤解であり、迫害であり、認められないことであり、評価されないことなどに言い換えることができると思うのですが、そんな目に遭遇したときは、このミスジャッジの話を思い出していただければと思います。


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