認知症に、ありがとう。

今回のテーマは、認知症、です。大変に重いテーマです。表現にはよほど気をつけなければいけません。また、配慮しなければならないこともたくさんあります。改めて申し上げますが、生死にかかわる重篤な病や不慮の事故、犯罪被害などの当事者あるいは関係者に対して、赤の他人が感謝を語るのは人の道に外れた行為だと認識していますので私の記事では扱わないことを基本としています。が、なぜあえて、これら深刻な事件に勝るとも劣らない認知症を今回あえて取り上げたかといいますと、私の個人的体験が同じ境遇の方にとって有益な情報になるのではないかと思ったからです。もちろん、認知症といっても症状や状態は人それぞれですから、私の家族(母親ですが)の身に起きたことが一般化できるとは限りません。まして私は認知症の専門家ではないので、なおのこと強くは言い切れません。と同時に、まったくのレアケースとも言い切れないのも事実ですので、私の個人的体験から知った情報により心が軽くなる方が一人でも二人でもいれば意義があると考え公開を決断しました。それでも、認知症を取り上げたこのページをたまたま見かけた方の中で、不快な思いを抱かれた方がいらっしゃったら、この場を借りてお詫びします。

では、はじめます。この文章を書いている2020年5月現在、私の母は89歳です。母とは私の家族とともに同じ戸建住宅で同居していました。母は風邪ひとつ引いたことのない、いたって健康な人間でしたが、あれれ?挙動がおかしいぞと感じ始めたのは2015年頃。とつぜん、徘徊が始まったのです。ある日のこと、私の配偶者が急性虫垂炎を発症したため、救急車を呼び近くの病院まで搬送してもらったのですが、すべての処置を終え配偶者を病院に残し私が帰宅すると、母の姿がないのです。程なくしてご近所の方に連れられ母は無事に戻ったのですが、どこへ行っていたかと問い詰めると、ママ(私の配偶者のこと)がどこかへ連れて行かれたので探しに行ってきた、と答えました。どうやら、たまたま通りかかったご近所の方が、母の様子に不審な点があったため保護してくれたようなのです。このとき、私はとっさに母が認知症になってしまったと理解しました。おそらく、それ以前にも予兆はあったかもしれません。しかし、“まさか”自分の母親に限って、という思いがあったためか、予兆を見逃していたのだと思います。

この傾向は、おそらく多くの方が経験したことのある心理なのではないでしょうか? 「正常性バイアス」という心理学用語があります。ウィキペディアでは、

(引用はじめ)社会心理学、犯罪心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自然災害や家事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う(引用終わり)。

要するに、悲惨なことが起こることは情報として知ってはいるけど、“まさか”自分の身に起きるはずがないと、ついつい思ってしまう心理ですね。だから事態の正確な把握が遅れてしまう。家族の、おそらく多くのケースは親ですが、認知症などは、まさに正常性バイアスが働いてしまう典型的なケースでしょう。

話を戻します。この日から私にとって、母はこれまでの母ではなく、認知症患者になりました。そして、自宅介護が始まりました。母の認知症のこと、介護のこと。そして老人保健介護施設への入所のことなど、詳しくは省略します。ここでは、認知症になってしまった母のなかに見出した一筋の光明についてのみ紹介します。

認知症なのだから当たり前ですが、私と会っても、母は私のことを息子だと認識できません。私のことに限らず、対面する相手を別の人間と認識してしまいます。ちなみに母は私のことを、(その日によって違うのですが)彼女の弟さんに見えるようです。息子を見て息子だと認識できない母に接するのは、最初はただただ辛い思いがしたのですが、あるとき、ふと気付きました。母の会話を聞いていると、その弟さんをはじめ、すでに亡くなった方達が頻繁にでてくるのです。そしてその亡くなった方達は、認知症になった母の現実のなかでは、今でも生きているのです。母は高齢なこともあり、ご両親をはじめ、兄、姉、弟、さらには夫(私の父親)など、多くの方を看取っています。なぜか夫(私の父親)は、現在の母の現実には存在しないらしく一切話題には出てこないのですが、つまりは記憶のなかから一切消えているのですが、その他のご両親、兄、姉、弟さんは会話のなかに必ず登場します。認知症患者だから仕方ないと、最初は違和感を感じなかったのですが、面会するたびに母があまりにも嬉しそうに他界された方達のことばかり語るので、わたしはある日ある時、認識を改めました。認知症になったことで、母は大切な人を誰一人として亡くしていないのだと。そしてそれはそれで、喜ばしいことではないのかと。

認知症という病気を、神様はどんな理由でお造りになられたのかは、わかりません。その真相は別にして、認知症患者は大切な人との死別という酷く哀しい事実が消えるという現象は、私たち認知症患者を抱える家族にとって、覚えておくに価する情報だと思いましたので、批判を覚悟で披露させていただきました。


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