プログラム09  雨の日を愛しなさい。

楽屋話になるが、9回目のレッスンはもともと「ジャズをライブで浴びなさい」というテーマだった。だが、悩んだ末に、すこし早すぎると判断した。効果のあるメソッドであるのは経験上自信があるのだが、一流になる前の段階でジャズのライブハウスに頻繁に通わせるわけいかない。そもそも、行きたくても現実的に行けないだろう。絵に描いた餅になること明白だから、演題を急きょ変更した。将来、今回の上級編、特進クラスみたいな講座を万一やることになったら、プログラムのひとつに採用したいとは考えている。

天気の悪口を言わないと運は良くなる

ある大富豪から聞いた話である。もっとも手っ取り早く、今すぐにでも運を良くする方法がある。それは、天気の悪口を言わないことだそうだ。天候は神の領域。晴れるも、曇るも、雨降るも、すべて意味があるからそうなる。人間はただそれを受け入れるしかない。それを、雨は鬱陶しいとか、太陽が眩しすぎるとか、自分の都合で天気の悪口を言うひとがあまりにも多い。そもそも天気予報からして、雨=悪い天気、晴れ=良い天気という図式で報じている。このような世界のなかで、その日の天気がたとえ自分にとって不都合なものであっても、愚痴や泣き言ひとつ言わず受け入れる人を神は放っておくだろうか。そんな人の運は間違いなく良くなる。…以上が大富豪の教えである。

この説の真偽は、私にはわからない。個人的には、運命は存在すると思うし、すべては運命で決まるとさえ思っている。だから大富豪の教えも正しいに違いないとは思うが、このプロジェクトは運を語る場ではない。

雨を愛する理由

では、なぜこの話を取り上げたか? 雨の日を愛することは、運勢を良くするためではなく、コピーライターは苦手なもの、ネガティブなものとも取り組まなくてはならないからだ。好き嫌いを仕事に持ち込めない。不思議だといつも思うのだが、関わりたくないと避けている商品(企業)の仕事が、舞い込んでくるケースがなぜか多い。魂を試されているような気がする。

TOYOTA車が嫌いな君に、TOYOTAから依頼がくる。

auユーザーの君に、docomoから依頼がくる。

共産党支持者の君に、自民党から依頼がくる。

お酒の飲めない君に、SUNTORYから依頼がくる。

煙草を吸わない君に、JTから依頼がくる。

子供を流産した君に、mikihouseから依頼がくる。

妻に逃げられた君に、積水ハウスから依頼がくる。

断ることができたら、どんなにラクだろう。しかし、私たちはNOといえない。四の五の言わず取り組まなければならない。マイナス感情を抑え、その商品を愛する者に変身しなければならない。雨の日を愛する行為は、そのためのトレーニングだ。

座りたい椅子より、座れる椅子に座る

かつて博報堂に岡田直也さんというコピーライターがいた。ADの大貫卓也さんと組み、「としまえん」の一連の広告など傑作を連発した方だ。ある年のことだ。その岡田さんは、とある理由によりゴルフは絶対にしないと某業界誌で公言した。共感できる、真っ当な理由だった。その後、岡田さんの後日談は聞いていない。ただ、もし岡田さんに、GOLFのクラブメーカーから仕事の依頼があったら、彼はどうしたか、ずっと気になっていた。運良くゴルフ関係の仕事に縁のない人生だったことを祈るばかりだ。このようなコピーライターもいるには、いる。しかし、かなりレアケースだ。こだわりを持つことは、美しい。それより美しいのは、そのこだわりさえ否定できる精神だ。椅子取りゲームを思い浮かべてほしい。座りたい椅子に座るより、座れる椅子に座る。そうすればゲームに勝てる。

雨を愛するのに精神力はいらない

小難しい話はこれくらいにしよう。先に「雨の日を愛する行為は、そのためのトレーニングだ」と書いたが、雨を愛するのに精神力はいらない。雨を愛そうと決めたその日から、雨が違って見える。雨音が違って聴こえる。雨の芳しい匂いを感じる。これまで遠ざけてきたもののあまりの美しさに気づき、失われし過去を後悔するだろう。雨はそれほど神々しい自然現象なのだ。このように雨を愛せるようになると人生が変わる。君の住んでいる地方は、一年に何日雨が降るだろうか? これまで条件反射的に憂鬱な気分になっていたそのすべての日が、ワクワクする日に反転する、まるでオセロのように。君が、新しい君に反転する。

今日は、ここまで。


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