アウエーに、ありがとう。

今回のテーマは、アウエー。ホーム・アンド・アウエーのアウエーです。あくまで一般論ですが、スポーツの試合では、ホームチームのほうが有利だと言われています。競技によってその度合いは違いますが、わたしの知る限り、もっとも顕著なのが、ヨーロッパや南米のサッカー。これは極端にホーム有利で、アウエーチームは戦う前から負けて当然、ドローに持ち込めば上出来の意識で試合に臨むので、超守備的なシステムを採用します。逆にホームチームは、とにかく「絶対に負けられない」ので、超攻撃的スタイルでガツガツ攻め込みます。本当にわかりやすい構図です。サッカーほどでないにしても、ホームとアウエーの影響はNBAにも見られます。ホームとアウエーで交互に戦うプレイオフなどは、やはりホームチームのほうが勝率がいいようです。ラグビー界でも、たとえば南アフリカのヨハネスブルグでは、あの世界最強のオールブラックスでもなかなか勝てないとか、オークランドのイーデンパークではここ何年もオールブラックスは負けていないなどの逸話があるくらい、ホームの優位性が証明されています。

これら世界標準ともいえる傾向に対し、日本ではあまりホーム絶対有利の法則は当てはまらないと感じるのは、私だけでしょうか? プロ野球がいい例です。伝統の巨人—阪神戦。舞台は甲子園球場。ホームは阪神です。たしかに球場は阪神ファン一色。しかし、だからといって阪神の勝率がいいわけではありません。それ以前に、巨人は負けて当然という意識で試合に臨まないでしょう。阪神と巨人を例に出して一般化するのは批判があるかもしれませんが、どうもこの国は、海外に比べて地元チーム絶対の意識がいい意味で希薄なような気がします。とはいえ、ホームでは大勢の観衆に応援してもらえ、アウエーではブーイングの嵐という構図は変わらなく、アウエーで戦う辛さはこの国でも多くの人が感じている普遍的なことなので、今回取り上げた次第です。

ということで、そろそろ本題に入りたいと思うのですが、その前に、アウエーでも普段の力が出せる、いやアウエーだからこそホームよりも実力が発揮できるという人がいます。表現を変えれば、味方の応援を重圧に感じて逆に力が発揮できない一方、敵の罵詈雑言を浴びれば浴びるほど燃えるタイプ。こんな人種にとってアウエーは天国以外のなにものでもありません。私も若干そんな傾向があります。天邪鬼というのでしょうか、それとも感情障害なのか適応障害なのか、そういった障害に分類されてしまうのかわかりませんが、おそらく私だけではなく、隠れアウエー人間は結構いるのではないかと睨んでいます。そんな私たちにとって、アウエーという(標準的な意味での)逆境?は、自然に感謝できてしまう状況なので、アウエーに弱い一般の人の立場に立って論じるのは、もしかしたら、ややもすると、とても偉そうな口調になってしまうかもしれないという懸念があることを、まずお断りさせてください。

では、始めます。まず、アウエーでこそ生き生きプレイできる私たちの目から見れば、アウエーで萎縮してしまう精神状態は、失礼ながら洗脳されているとしか思えないのです。これはメディアの罪です。ホームは有利、アウエーは不利という情報を喧伝すれば喧伝するほど、頭脳に刷り込まれ、それが絶対になります。何の疑問も生まれません。たしかに、応援団という存在があるように、応援はその試合の結果を左右する力があるのでしょう。応援されればされるほど、誰でも実力以上の力が発揮されるものです。サポーターもそうですね。なぜサポーターかというと、選手をサポートするからです。もしサポーターの存在が試合結果になんの影響も与えなければ、サポーターの存在理由はなくなります。サポーターは自分たちのサポートが選手を鼓舞できていると信じているからサポーターになるのです。なので、応援(サポート)の多いホームが有利で、少ない、まったくない、それどころか罵声を浴びせられるアウエーが不利なのは、決して事実誤認ではありません。

ただ、よ〜く考えてください。信じるのは構いません。影響を受けるのも否定しません。しかしあなたには、影響を受けないという選択肢もあるのですよ。応援されて力が漲るのは、ある意味、幻想なんです。人の声に影響されやすい人とされにくい人とでは程度の差はありますが、たとえ影響されやすい人でも、それは影響なんだと認識すれば影響の呪縛から解放されます。ポジティブに影響されるなら、そのまま影響され続ければいいですが、ネガティブな影響なら影響される必要などまったくないわけです。こう考えると、アウエーでの嫌な気持ちも少しは和らぎませんか。たかが声援です。たかが、などと言うと必死で応援している全国のサポーターさん方に怒られるかもしれませんが、声援をされない立場からすれば、たかが、くらいに思っても、失礼にはあたりません。

さて、問題はここからです。気分が少しくらい軽くなっても、まだ感謝にまでは昇華されていませんね。感謝に変わるのは、ある気づきが必要です。それは、あなたが優れていればいるほど、正確に言うと、凄いと認められれば認められるほど、あなたへのブーイングは大きくなります。あなたに活躍されては困るからです。なかには、あなたが脅威であればあるほど、味方より敵であるあなたに畏敬の念を無意識で感じる人もいて、その人たちはそんな背徳の気持ちを隠すために、あなたに噛み付きます。かわいいもんじゃないですか? どうですか? アウエーでもっともっと非難されたくなってきませんか? アウエーであなたの凄さをますます見せつけたくなってきませんか? アウエーが待ち遠しくなれば、もうこっちのもんです。

そうアウエーへの感謝は、意外に簡単だったのではないですか? ただし、副作用があるので、注意してください。それは、アウエーの苦手意識がなくなれば、ホームが逆に居心地悪くなるかもしれません。モノゴトは得てしてそんなものです。

最後に。ここまで書いて、ちゃぶ台をひっくり返すようですが、アウエーという深刻な状況を感謝に変える必要性を感じている選手は、そう多くないかもしれません。別にアウエーでは今まで通り弱くてもいいのでは、と多くの選手はうすうす感じているはずです。この予感は正しいと思います。昔から、アウエーは相手に花を持たせる場だったはずです。そんな暗黙の了解の上に成り立っていた、いわば古典的様式を、あえて破壊する必要はありません。が、そんな悠長なことを言っていられない、アウエーでの勝率を改善する責任を問われている指導者のために、今回は書きました。選手たちの意識改革のヒントになれば、幸いです。


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