プログラム12 その手を、しっかり洗いなさい。

一流のプロでも停滞期はある。なかなか勝てない。入らない。伸びない。まとまらない。筆が進まない。何も浮かばない。見つからない。決められない。届かない。そんな行き詰まったときの対処法が今回のテーマである。とはいえ人それぞれ、十人十色の世界。君もきっと独自の方法を持っていることだろう。これから、先輩コピーライターのあの手この手を紹介するが、もちろん強制はしない。試してみて肌に合わなければ、君が今まで培ってきた方法で乗り切ってください。ただし、今までの自分から脱却したい、人生を変えたいという気が少しでもあるなら、自分に合わないと感じる方法にあえて切り換えてみるのも有効だ。古い自分に合わないことも、継続していくうちに徐々にフィットしてくる。慣れたころには新しい自分に生まれ変わっている。行き詰まったときの対処法というきわめて日常的な習慣を変えるだけで、自分を変えることができるなら、使わない手はない。

土屋耕一さんの場合

香りのいい石鹸で手を洗う。しばらく取り組んでもいいコピーが湧いてこないとき、土屋耕一さんはそうしたそうだ。大御所の方法論だからだろうか、この行き詰まり脱却法は或る次世代コピーライターに紹介され、当時の業界では一躍広まった。土屋耕一さんのことを君たちはどの程度知っているか分からないが、その人間的魅力から信奉者が多く、独特のコピーを模倣する追従者が私のまわりにも少なからずいた。文体を真似るくらいだから、行き詰まったとき、同じように手を洗いに行ったライターもさぞかし多かっただろう。土屋さんのこの方法は、おそらく経験から編み出されたものだと思うが、香りで嗅覚を刺激することや手を刺激することは、脳の活性化を促すことにつながるから、理に叶っている。すべての人に有効な普遍的方法といえるだろう。試してみる価値はある。もっとも、土屋さんのような個人事務所だからできた面は否めない。君の会社が入っているオフィスビルの洗面室で、同じことをして同じ効果を期待するのは現実的に難しいだろう。いい香りのマイソープを持ち込んで丹念に手を洗っている姿を人に見せたくないなら、そこまでしなくていい。ただ、洗面室に設置されている無香料の洗剤でも、またそれほど時間をかけなくても、手を洗うという行為は頭も心も一瞬で切り換えることができる効力があるので、行き詰まったときは、ぜひ思い出して欲しい。そして、もし可能なら、洗い終わった後には、ペーパータオルやハンドドライヤーなどを使わず、上質のハンカチで手を拭くことをすすめる。ハンカチにはこだわるべきだ。濡れた手を優しく拭く素材の質感の良さが、手を洗う効果を何倍にも高めてくれるだろう。

仲畑貴志さんの場合

いくつかの自著により、土屋耕一さんの手洗い作戦を世に広めた仲畑貴志さんだが、では本人はどうしたか。時間を20分に区切り集中する。20分が仲畑さんの限度だそうだ(別の本では30分と語られているが)。それでダメなら、中断してお茶を淹れる。再度20分(〜30分)チャレンジする。それでも出なければ、中断して外に出る。戻って再び20分(〜30分)取り組む。これを延々くりかえす。地味でオーソドックスな方法だが、いい仕事をするためには結局これに尽きるという。なお仲畑さんは中断中に風呂に入ることもされたそうだ。アルキメデスの逸話ではないが、たしかに入浴中にアイディアは浮かびやすい。が、私たちは真似できないので検討から除外する。

名前は明らかにされていないが、仲畑さんのライバルだというコピーライターは、なにも浮かばないときは本棚に並んだ書籍のタイトルをひたすら見るという。これは興味深い。誰が言ったか忘れたが、神は寡黙ではない、雄弁だ。あなたの問いかけに、神は、あなたのいる空間、環境に答えを示される、という。何か考え事をしている時、偶然開いた雑誌の見出しに、信号待ちをしている交差点で偶然見かけた看板の中に、スイッチを入れたテレビに偶然映ったアナウンサーの声に、解決の糸口を見つけた経験はないだろうか。これを意味のある偶然の贈り物、セレンディピティという。研究者が実験の失敗から予期せぬ発見をするときなどによく起きる現象のようだ。

だから君も行き詰まったときは、下を見るな。顔を上げ、周りを見回せ。他の社員の会話に耳を傾けよ。そこで目に映ったもの、耳にした社員の声に、君の求める答えは隠されている。

究極の方法

いま私の手元に、2017年1月23日付の朝日新聞がある。その1面“折々のことば”のコーナーに、今回のテーマである行き詰まりに関連した記事を見つけたので紹介したい。今ではヒフミンとして人気者になった将棋の加藤一二三名人は、あるとき先輩の升田幸三名人からこう言われたという。〜君の将棋は今、行き詰まっている。でも、それがいいんだ。中途半端に活躍するよりいい〜。これに対し加藤名人はこう解説する。〜行き詰まっているというのは、これまでとは違う困難に直面しているということ。これまでのやり方では処理できない、もっと根本的な問題に遭遇しているということ。その意味では、今こそ将棋との向き合い方がごそっと入れ替わるような好機にあると、棋士の大先輩は後輩に告げたかったのだろう〜(元記事:2016年朝日新聞夕刊掲載「人生の贈り物・加藤一二三」から)

行き詰まることは、決してマイナスではない。好機である。それを君にわかってほしく引用した。だから、停滞期に入ったら、対処法を考えるより、まずは喜ぶといい。チャンスがきた幸せを噛み締めなさい。笑顔をつくりなさい。行き詰まっている今を生きなさい。行き詰まるという状態こそが人間が飛躍させる鍵になる。余談だが、もし人工知能の開発者が人工知能に行き詰まる状態をプログラムし学習させることに成功すれば、そのとき初めて人工知能が君のライバルとして前に立ちはだかるだろう。行き詰まる状態を知らない人工知能など君の敵ではない。

話を戻す。雨が降ったら濡れればいい。勝てないときは負ければいい。行き詰まったら行き詰まったままでいい。何も対処しないのが究極の対処法と知りなさい。なに? 2時間後にコピーを送らなくてはならないんです。そんな悠長なこと言っていられません、だって?。ではすぐに、手を洗いに行きなさい。

今日は、ここまで。

死ぬときは、死ぬがよろしい。(白隠禅師)


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