プログラム17 逃げなさい。

主人公が決死の覚悟で敵地に乗り込み諜報活動をする。スパイ映画ではよくあるシーンだ。その際、主人公は万一拉致されたときのため、拷問されないように自決用の毒薬か自爆装置をもっている(たいていの場合、侵入は成功し自爆することなくハッピーエンドになるけどね)。今回のプログラムはここでいう自爆装置に相当する。使わないに越したことはない。いや君が生涯を通じ使わないで済むように祈っている。しかし、人生何があるかわからない。窮地に陥り絶体絶命のピンチに襲われた時には、このプログラムのスイッチをためらうことなく押してほしい。使用する確率は1%もないだろうが、イザという時のために、このプログラムは肌身離さず心に刻んでおくことを強く勧める。

さて。君は強い人間だ。ちょっとやそっとのことでは弱音を吐かない。どんな困難に直面しても逃げずに立ち向かう。小学生の頃からつねにそう教育されてきたし、成人してからは自己啓発書や成功哲学関連の本からそう学んできた。だから、辛いことや悲しいことがあっても我慢して耐えてきたし、そうすることが大人として当然の素養だと信じている。君はとてつもなく正しい。困難から逃げてはいけない、という教えは、おそらく時代を問わず、洋の東西も問わず、普遍的に伝承されつづけてきた。この教えを語った名言やことわざは数多く見いだせるに違いない。

私も、かたくなにそう信じてきた。人生は修行だ。困難があって当たり前。目の前の困難から逃げたら、それは何倍にもなって追いかけてくる。逆に困難に立ち向かったら、それは嘘のように消えていく。こんな思想を座右の銘として生きてきた。私にとってこの考えは絶対的な真理であり、たとえ天地がひっくり返ろうとも、死ぬまで変わらぬ人生論の、はずだった。

しかし

その日は、人生の後半になって突然やってきた。信念が音を立てて崩れ去った。長年信じていたものの虚構が剥がされ180度意識が転回した。たとえるなら、洗脳を解かれた新興宗教の信者のような状態といえるだろう。自分が信じてきたもの、学んできたものは、なんだったのだろう。そして、悟った。これまで“逃げてはならない”と説いてこられた多くの識者たちは、逃げ出さずにはいられないほどの恐怖に出会わなかったから、そう言えたのに違いない。もし出会っていれば、“逃げてはならない”などと軽々しく語れないはずだ。それでも、どんな恐怖に遭遇しようとも“逃げてはならない”のが人生の絶対的真実だとおっしゃるなら、それはそれでいい。ただ、私は従えない。この身をもって体験した智慧を、ここで君たちに語るだけだ。

カラダがとつぜん動かなくなった

ある年、ある経緯があり、あることに取り組まなければならなくなった。広告の仕事とは無関係の分野だ。正直やりたくはなかった。が、後には引けなかった。思い切って飛び込むしかなかった。長年、逃げないことをモットーにしてきたからか、最初は自分に鞭打ち、ひたすら頑張った。必死になって抵抗した。しかし、日に日に疲労は蓄積してきた。それでも気がついたら半年が経過していた。あと半年。1年やり遂げたら自分は逃げなかったことになるのではないか、と思い始めた矢先、私のからだは動かなくなった。やらなければならないという意思はある。行かなければならないという意地もある。休んではならないという責任感もある。ココロは常識的に機能していた。その一方でカラダは悲鳴をあげていた。この時期、私は自動車で移動していたのだが、ある日のこと、次の信号を左折すれば目的地に着くのに、思いとは裏腹にハンドルを左に切れなかった。車は直進し、さらに右足はアクセルを強く踏み込んでいた、まるでその場から逃げ出すように。唖然とした。会社員が出社拒否をする気持ちが、学生が登校拒否をする想いが、このとき痛いほど分かった。

その問題から逃げてもいいか、いけないか?

その答えは君の頭や心にあるのではない。カラダが教えてくれる。正確に表現すると筋肉から指令がくる。ある日とつぜん、君の前に問題が立ちはだかった、としよう。力ずくか、工夫をするか、時が来るまで待つか、君は何らかの方法で解決を試みるに違いない。これが一般的な対応の仕方だが、この段階で精神的にはどれほどハードに感じられようとも、カラダが脳の指令通り動くなら、その問題は君にとって取り組むべき課題であり、解決できる問題だということだ。世の教え通り、君は逃げることなく立ち向かうといい。できれば、プログラム04で紹介したように、逆境さえチャンスと捉えた織田信長のように振る舞えるとなおいいだろう。一方、この時、どんなに踏ん張っても君の足が動かないなら、君の潜在意識は君にストップをかけている。取り組んではいけない問題だと強く訴えかけている。もし、このメッセージを無視して頑張ってしまったら、君はおそらく潰れるだろう。いや経験上言えることだが、どんなに強い精神力の持ち主でも、潜在意識のメッセージを無視して頑張れることなどできない。潜在意識からストップがかかったら、君にできることは大人しく従うことだけだ。問題の解決は諦めて、ただただ逃げるしかない。そうすることの意味は、きっとその場ではわからない。何年か先に、思い知る日が来るだろう。

人生にはシナリオがある、と聞いたことがある。生まれる前に、自分で自分の人生のシナリオを書いてくるのだそうだ。通常はそのシナリオに沿って人生が展開するのだが、何かの手違いでシナリオから逸脱してしまった時、軌道修正をするために潜在意識から強制的にメッセージが届くようにできている。本来やらなくてもいいことなのに、またはやってはいけないことなのに、そのことをやらなければならない立場に立ってしまったら、カラダは動かなくなる。また、本来やるべきことをやらずに他のことに取り組んでしまっていたら、潜在意識はカラダを動かなくして、いま取り組んでいることを止めさせ、本来やるべきことに目を向けさせる。そんなメカニズムが、どうやら人生には設定されているようなのだ。

では、どこに逃げるか?

“逃げるな”という思想を盲信していると、その考えを裏付けするような情報しか集まってこない。私は、逃亡中に、かつて逃げたことのある著名人のエピソードを血眼になって集めた。自分以外にも例があれば、逃げるという行為を正当化できるかもしれないと考えたのだ。要するに、安心材料を求めたわけだ。調べだすと、これが意外にでてきた。逃げてはならないと思いつめていた頃には目につかなかった情報が、不思議なことに集まりだした。プログラム11に登場していただいたクリエイティブディレクターの岡康道さんは電通時代、悲惨な営業職から逃げたい一心でクリエイティブへの転局試験を受けたという。異動後は、かつて経験した営業地獄には戻りたくないという切羽詰まった思いで仕事にかじりつかれたそうだ。

ちなみに余談だが、君も業界の人なら電通さんの猛烈さは知っていよう。今は少し緩くなったそうだが、当時どれだけ岡さん(をはじめ多くの電通マンおよび博報堂さんをはじめとした広告代理店全営業職の人たち)が大変な思いをされたかは、後世に語り継いでもらいたい。仕事優先、お客様優先の美名のもとに多くの方が尊い命を落とされている。このことは決して風化させてはならない。

本題に戻そう。ドラムボーカリストのシシド・カフカさんをご存知だろうか。彼女は幼いころ学校になじめず閉じこもりがちだったが、そのとき彼女が居場所にしたのは大好きなドラムを叩くことだったという。逃げ込んだ居場所が自分を前に進める原動力になったと朝日新聞のインタビューに彼女は答えている。

岡康道さんもシシド・カフカさんも辛い思いを我慢しなかった。そして逃げ、逃げ込んだ先で自分の居場所を見つけた。

逃げ切った先にあるもの

おそらく多くの人が、逃げることなく人生を全うすることになるだろう。一流になるための通過儀礼として逃げる経験が必要ということはない。逃げた一流の人もいるが、逃げなかった人はその何倍もいる。冒頭でも述べたが、君が絶望的な恐怖に遭遇することは、ほぼ無いに等しいが、それでもある日突然カラダが動かなくなってしまったときは、ぜひこのプログラムを再起動していただきたい。逃げることをためらってはいけない。また、逃げ切った先が、すぐそのまま君の居場所になるとは限らないことも付け加えておこう。岡さんやシシドさんのように居場所がそこにあるケースもあるが、さらに何回か逃げることを余儀なくされて見つかることもある。というか、どちらかといえばそのケースのほうが多い。それでも逃げたからには、自分のやりたい事、やりたかった事に取り組むべきだ。それがすぐに収入に直結しなくても、それをやるためにそこに導かれたことを信じてやりつづけよう。かりに借金をするはめになっても、元は何倍にもなって回収できる、君が予想もしない時期に、予想もしない方法で。

今日は、ここまで。


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