プログラム19 カラマーゾフの兄弟を読みなさい。

この先、この講座の続編ができる可能性はないではないが、ひとまずこれが最後のプログラムになる。一般的な短期集中講座の場合は、最終回は最終回らしく、華やかに話を盛り上げ、希望を与え、受講者を日常へ景気よく送り出すのが通常のスタイルだろう。だが今日は残念ながら君たちが期待するような話にはならない。できれば目を背けたい現実の話になる。しかし、あえて最後にこの話を持ってきたのには理由がある。なぜ、こんな夢も希望もない話をするのかを頭に置きながら、聞いていただきたい。

さて。これまで、一流のコピーライターになるために必要なステップを紹介してきたが、最初の段階でもっと念を押しておくべきだったと後悔していることがある。オリエンテーションの場で、私は権太坂コピーライター養成所の考える一流について説明した。そして、ここは賞を獲るためのノウハウを提供する機関でないことも強調した。オリエンテーションに出席した方は、この点に同意したうえで、各プログラムを受講してくれたことと思う。しかし今になって心が痛む。私は言葉が足りなすぎた。もし君たちのなかで、一流になれば、たとえ賞に縁がなくても人生の成功者としての道が拓けるだろうと期待している人がいれば、謝りたい。今さら何だが、一流のコピーライターになったからといって、誰もが成功するとは限らない。もちろん、成功者と呼ばれる人も出てくるだろうが、それは一流になったこととは何の関係もない。別の要因によるものだ。

年収をアップしたい。出世したい。知名度をあげたい。尊敬されたい。地位を得たい。愛されたい。こういった、いわば現生利益は得られないと思っていただいて、まず間違いない。とつぜん幸福になることも、孤独が急に癒されることも、去っていった人が帰ってくることもない。それどころか、一流のコピーライターは、その独特の存在のため、組織のなかでは必ず浮くだろう。上司に疎まれ、キャリアアップどころか飼い殺しにあう可能性もある。最悪の場合、どこかに飛ばされるか、リストラされてしまうかもしれない。そんなリスクを背負っているのが、予備軍も含めて一流のコピーライターの宿命だ。失業も一流のコピーライターが受け入れなければならない人生の一部だと知っても、くどいようだが、それでも君はなりたいと思うかい? 

リストラされるという経験

会社都合で余儀なく退社を迫られる経験は、そう多くの人にあるものではない。辛いかもしれないが、しかし貴重な経験であるともいえる。そのレアな体験を一流のコピーライターは高い確率ですることになる。とはいっても、全員が体験するわけではない。せいぜい0.1%、1000人に1人くらいの割合だろうか。このプログラム19は簡単に言うとその0.1%の人たちを対象につくられた失業中の過ごし方特集になるが、会社から戦力外通告を受けていない方や、自己都合で会社を辞めた方にも充分役に立つ情報になるに違いない。

これまでのすべてのプログラムを読まれた方はもうお察しだろうが、今回は、そう、プログラム17『逃げなさい。』の続編で、リストラに限定した話になる。

それは突然やってくる

ある日、君は上司に呼び出され戦力外通告を受ける。現実にリストラを体験しないとこの先の話は真に迫らないかもしれないが、今は何となくでいいので疑似体験してほしい。ということで、Xデーは突然やってくる。予期せぬことなので状況がなかなか理解できない。ようやく我に帰り、解雇を現実として受け止められるのは、かなり時間が経ってからだろう。この段階で多くの人は未経験のマイナス感情に襲われる。怒り、不安、悲しみ、怯え、絶望など、どの感情が強く表に現れるかはその人の性格によって変わってくるが、冷静でなくなるのは共通だ。しかし、いつまでも落ち込んでばかりはいられない。だんだんと現実が見えはじめ、新たな食い扶持を探し始める。世渡り上手な人はこれまで築いてきたネットワークを頼りに自分の売り込み活動をはじめる。求人サイトで転職先を探す。『宣伝会議』『ブレーン』など業界誌の求人欄を見る。とりあえずハローワークへ行く。この機会にフリーに転向する人もいるだろうが、いわゆる就活に走る人がほとんどだろう。収入がなくなる不安に直面するのだ。当然の行動だ。ところが、ここに大きな問題がある。気づいたかな。ヒントはプログラム16『走るのは止めなさい。』に書かれている。そう、無職・無収入になる不安を動機として行動しているため、潜在意識がその不安を呼び寄せてしまう。だから就活が上手くいかない。フリーになっても依頼がこない、という現実がやってくる。では、どうすればいいか。もしこの先、君が解雇か解任かあるいは更迭か、リストラに類似した仕打ちに遭遇することがあったら、これから私が語ることを真っ先に思い出してほしい。あせる気持ちはわかる。が、あせったらすべてが台無しになる。

リストラされるという幸運

当たり前だが、リストラされた君に誰も「おめでとう」とは言ってくれない。だから、自分で自分に言わなければならない「おめでとう」と。誤解してほしくないので補足すると、これはマイナスの出来事を強引にプラスに受け止めるポジティブシンキングではない。アファメーションでも、やせ我慢でも、言い聞かせでも、予祝といわれる行為のすすめでもない。人生にそう何度も訪れることのない現実におめでたい出来事だから、ストレートにそう言うに過ぎない。にわかには信じられないかもしれないが、ここは素直に頷いてほしい。

想像してごらん。もし宝くじで10億円が当選したら君はどんな気持ちになる? どんな表情をするだろうか? リストラの事実を知った時、それと同じ感情を抱き、表情を浮かべてみよう。難しいかな? では君が心の底からリストラを有難く感じられるように、リストラされることの具体的なメリットを見ていこう。

人生を強制的にリセット

朝、目が醒める。昨日までは出勤の準備に追われ、あわてて支度をし駆け足で玄関を飛び出していた君が、今日はゆっくりと起き上がる。フレンチローストの珈琲を淹れ、窓から射し込む朝の陽光に目を細める。今日一日、自分は何をしてもいい。100%自由だ。この解放感こそ、リストラ後にはじめて感じる醍醐味だろう。これまでのしがらみや人間関係も、やり残してきた仕事からも完全にリセットされるのがリストラされた人間の特権だ。すべては過去の話。無視しても一向に構わない。君は白紙になる。君のまったく新しい人生がここからスタートする。本来、転生輪廻しなければ得られない経験を今回の人生の中だけで味わうことになるのだ。この時、君をリストラ対象にした人事責任者に君は感謝するに違いない。いや冗談ではない。

自由であることの幸福を存分に満喫したら、本を開こう。君は自由だから何をしてもいいのだが、こんな状況こそ古典にふれる絶好のチャンスだ。とくに長編に取り組むのはこの機に限る。同じ長編でも、たとえばスティーヴン・キングの『ダーク・タワー』なら通勤電車の中で気軽に読めるだろうが、腰を据えて読みたい古典であれば、ラッシュアワーは避けたほうがいい。誰にも邪魔されることのない時間があってこそ古典に集中できる。リストラされた後の日々こそ、まさにそのゴールデンタイムだ。私は『カラマーゾフの兄弟』を、静かに、ゆっくりと読み始めた。会社員時代には持てなかった時間だ。リストラされて本当に良かったと、このとき心から思った。本来なら現役を引退してからしか得られない境地を現役の世代で味わえるのだ。こんなに素敵なギフトはない。もちろん現実はそれどころではない。収入がなくなるのだ。そのことを考えれば、とても優雅に読書などしている場合ではない。1日でも早く再就職先を決めなければ、落ち着かない。だからあせって就活に走る。で、空回りする。

もう一度くり返す。あせる気持ちはわかる。が、あせったらすべてが台無しになる。とは言っても、あせりという感情にフタはできないので、あせったままでもいいから、古典の頁を開こう。ビビりながらでもいいから、古典に手を伸ばそう。カラマーゾフの兄弟を読みなさい。いいかな、『カラマーゾフの兄弟』ではないよ。『カラマーゾフの兄弟』のような長編の古典を読みなさい、という意味で、今回のプラグラムのタイトルにはあえて『』をつけなかった。気づいてくれたかな?

小説家の田中慎弥さんは、高校卒業後、進学するでも、就職するでもなく、アルバイトさえせず、何もしていないと呼ぶ以外にない状態が長く続いたという。確固たる主義主張があってそうしたわけではなく、ただ働きたくないから働かなかったそうだが、そんな隠遁生活の期間中、田中さんは『源氏物語』の原文を2回通読したのだという。世間の人がまずはしたことがないであろうことをしたことは、一般的には意味がなくても少なくとも自分にとっては意味のなくはない行為だったと田中さんは謙遜気味に書かれている(2008年6月4日朝日新聞)。この行為が作家としての修行になったのかならなかったのか分からないが、ちなみに田中さんは、その3年後(2011年下半期)に芥川賞を受賞する。

田中さんの『源氏物語』と芥川賞の受賞に因果関係がないとは言い切れないが、追放され、干されて、何もすることのない日々に古典を読むことは、速攻で何かの役に立つ行為ではない。目の前の問題を解決してくれるわけでもないし、不安を帳消しにしてくれるわけでも、預金残高が増えるわけでも、運が変わるわけでもない。他人から見たら非建設的に見えるこの行為は、しかし君にとってはとても意味のある行為だ。通過しなければならない儀礼なのだ。それでどうなるのか、すぐには分からなくても、いつか知ることになる。その古典を読んだことが君のその後の人生を深く彩る礎になる。またまた突拍子もないことを言うようだが、君が今回の人生で読まなければならない古典があるにもかかわらず、何らかの理由で先送りにしているとき、その古典は君にリストラという経験を引き寄せさせ、強制的に読ませるのかもしれない。リストラに限ったことではないが、自分の身に予期せぬ何かが起こったときは、しかもそれが自分にとって不都合で不利益な出来事だったら、なぜそのことが起きたのか、その意味を考える癖をつけておくといい。被害者意識は厳禁だ。どんなことがあっても被害者になってはいけない。この世界に偶然はない。すべての出来事には意味があることを信じよう。

それでも不安な君に

しかし、とはいっても、君は気になって仕方がないはずだ。この先、果たして食っていけるのか。古典を優雅に読むなんて、そんな悠長なことをいつまでしていられるのか、気にならないといえば嘘だろう。そんな君のために、興味深い法則?を最後に紹介しよう。例によって信じる信じないは自由なのだが、安心材料が少しでも欲しいなら、このような考えを採用して生きてみるのも、ひとつの手だ。

2つあるのだが、最初に、作家の故・小林正観さんの説から。

〜無職の人が職を探したいときは、求人雑誌を探さず、20人ほどの友達に休職中であることを告げ、紹介してもらう。そして、来た仕事は皿洗いだろうが何だろうが、笑顔でただひたすら誠実にやり続ける。「好きな仕事じゃない」と、選り好みしている人には、何も始まらない。頼まれたことは、宇宙から与えられたこと。そうしていれば道は開ける、つまり理想の仕事に巡り合う。〜

もうひとつ。日本一の資産家といわれる斉藤一人さんはこう語る。

〜みんな仕事は自分で選ぶものだと思っているけど、仕事がその人を呼ぶの。私も最初は商人という仕事に呼ばれた。次は本を書く仕事に呼ばれた。次にお弟子さんの本を出すという仕事がまわってきた。そうしたら、講演という仕事に呼ばれるようになってきた。そのときその人にとって必要だと思われる仕事に呼ばれるんです。逃げられない。淡々と呼ばれた仕事をこなしていれば、自然と幸せに向かうものなんだよ。〜

いかがかな? 君の行く末は、君がデザインするのではなく、与えられるものだ。自分で何とかできる程度のものではない。必死の形相で、髪の毛を振り乱して打開しようとしても、無駄な抵抗に終わる。だから、静かに、心を落ち着け、安心して古典を開こう。自分の未来を信じて身を任せよう。あせらず、穏やかな日々を送る君のもとへ、ある日、爽やかな一陣の風が吹く。比喩ではない。現実の風だ。それが、君の次のステージの用意が整ったという合図だ。君は古典の頁を閉じる。また、君の戦いがはじまる。

今日は、ここまで。


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