プログラム11 修正依頼と戦うのは止めなさい。

後期を始めます。

テーマに入る前に、休講中に意を強くしたことがあるので、まずその話をしたい。人工知能がつくった広告コピーが発表される日は、もうすぐそこまで来ている。早ければ(このテキストを執筆している)2020年内にその日は来るかもしれない。この分野の人工知能は、自動運転技術などと違って実用化のための法整備は必要無い。囲碁や将棋とも違い、勝敗は問われない。要するに、クオリティが高くない未完成のレベルでも、世に出すことが可能だ。そのコピーの良し悪しや、広告効果は置いておいて、人工知能が世界で初めてつくったキャッチフレーズというだけで、話題になる。メディアに取り上げられる。ニュースになる。広告費に換算すると云々という例の話になる。宣伝活動に積極的で新しもの好きの経営者が放っておくはずがない。電通や博報堂と手を組み、水面下で粛々と準備をすすめているだろう。人工知能のコピーは各種広告賞関係者も無視できない。とにかく膨大な露出量になるだろうから、いくつかの賞は持って行かれるはずだ。広告賞狙いのコピーライターにとっては穏やかな話ではないだろう。Xデーは近い。さぁ、私たちも先を急ごう。

コピーに修正依頼はつきもの

作家の村上龍さんがまだ若かりし頃、週刊現代か、新潮か、文春か、ポストかに、こんな内容のエッセイを書かれた。〜自分は小説家になってよかった。書いたものにあまりダメ出しをされないから。コピーライターになっていたら、いろいろと文章をいじられるので、きっと書くのに嫌気がさしたろう…〜。いやいや小説家でも、とくに新人のうちは、編集者に真っ赤になるほど赤字を入れられる。村上龍さんは特別だったのだろう、と今では思う。しかし、このエッセイを読んだ当時、新人コピーライターだった自分は小説家が羨ましくて仕方がなかった。コピーは、それはそれは何人もの人の手でいじくり回され、解体され、整形され、原型を失う。それは今も昔も、新人もベテランも変わらない。作品、ではないのだから、そういうものだと割り切ればいいのだろうが、ようやく産み落とした子供のようなものだから、少しでも修正を余儀なくされたときの哀しみは正直耐え難い。内容に明らかな間違いがある、訴求ポイントがズレているといった初歩的なミスの場合を除き、コピーの構成や狙いを否定する修正依頼が来たときに、さてどうするか。今回はこの問題に取り組もう。

その先の日本(へ。)

1992年。山形新幹線の開業に合わせてJR東日本は東北キャンペーンをスタートした。このプロジェクトでCMプランナーを担当したのが、電通(当時)の岡康道氏。そう現TUGBOAT代表の岡さんである。CDからプランナーをやるようにと指示があったとき、すでにキャッチフレーズは秋山晶さんの“その先の日本”で決まっていたという。しかし、このフレーズではフィルムに動きがつけられない、文芸作品として終わってしまうと懸念した岡さんは、そのことを秋山さんに相談した。相談とは聞こえがいいが、要するに大御所に修正を依頼したのである。秋山さんに注文を出すのは崖から飛び降りるような恐怖感があったと、岡さんは後に語っている。翌日、秋山さんから“その先の日本へ。”と修正されたコピーが届く。「私のコピーをいじるのか」と秋山さんは笑っていたというが、岡さんは引きつっていたらしい。そして回想を続ける。「秋山さんはすごい。若造の注文をいまの僕は素直に聞けるだろうか」と。

秋山晶さんのことは、説明するまでもないよね。新人研修で氏の作品を見た人はわかると思うけど、独特の世界観をもっている。スタイリッシュというか、ダンディズムというか。仲畑貴志氏は、秋山さんの仕事に想いを巡らせているとき、「弾丸は速く飛ぶため美しいフォームを持つ」という言葉が思い浮かんだという。情報が伝達するスピードを上げるために、不要な雑物は極力取り除く。たとえば形容詞を省く。文章を飾らない。現在の広告業界で、秋山晶さんの仕事がどの程度研究されているのか知らないが、一流とは、つまりはこういう人のことをいうのだという具体例として記憶しておくといい。

以上のエピソードは、修正依頼には、秋山さんのように素直に笑って応えることが一流の態度だと結論付けているように聞こえるかもしれないが、実はそう一筋縄ではいかない。正反対のケースもある。いま登場したばかりの仲畑貴志氏のエピソードをとりあげよう。でもその前に、せっかくの機会だから、秋山晶さんのちょっと小粋なエピソードをもうひとつ。

SUNTORYから『ジャック・ダニエル』の仕事の依頼を受けたその夜、秋山さんは都心のホテルに宿泊した。『ジャック・ダニエル』について考えるためではなく、すべてを忘れるためだったという。

エビのしっぽ理論

1978年、新潮文庫のキャンペーン。女優の桃井かおりさんをイメージキャラクターに“知性の差が顔に出るらしいよ・・・困ったね。”というキャッチフレーズで展開された。40年も前の事例だから知らない人も多いと思うが、このキャッチフレーズは過去の名コピーのひとつとして研修で一度くらいは聞いたことがあるかもしれない。

このコピー、もちろん一般にも注目されたが、業界内ではその成立過程が評判を呼び話題となった。簡単に紹介しよう。仲畑さんが“知性の差が顔に出るらしいよ・・・困ったね。”をプレゼンしたとき、新潮社の担当から「らしいよ・・・困ったね」は必要ないのではないか、と言われた。その見解に、その場で仲畑さんは反論できなかったという。担当者のいうまま“知性の差が顔に出る。”としたら、届かないコピーになってしまうことは目に見えているのだが、その理屈を言葉にできなかった、しかしどうにも納得できなく、モヤモヤした気持ちのまま事務所に帰ってきた時、天婦羅のエビのシッポが頭に浮かんだという。海老の天婦羅の尻尾はまず食べられることはない。だから機能的には必要ない。でも、尻尾がないと美味しそうに見えないし、そもそも海老だとわからない。いわば不用の用の役割。“知性の差が顔に出るらしいよ・・・困ったね。”でいえば、「らしいよ・・・困ったね。」がまさにエビのしっぽにあたるというロジックが閃いたとき、仲畑さんはすぐに新潮社に電話を入れ、原案を通すことに成功したという。もし仲畑さんが当時、担当者の修正依頼をそのまま受け入れていたら、どうなったか? 消費者の心に何も残せなかったであろうことは想像に難くない。正論は響かない。受け手が疑問を差し挟める表現じゃないと届かないことを、仲畑さんは分かっていた。だから、修正依頼に違和感を感じた。仲畑さんは自分のオリジナルにこだわったのではなく、届くコピーのために戦った。

修正依頼が来たとき、戦うか戦わないか、について考察してきた。そこを変えたら、広告のクオリティが確実に落ちる。届かなくなる、と思えるもの以外は、微笑んで応えてあげなさい、秋山晶さんのように。届かなくなってしまうと思えるものには、決して引いてはならない、仲畑貴志さんのように。その線引きは、修正依頼を聞いたとき、君のカラダが教えてくれる。筋肉の動きは無意識の反映だ。筋肉が強張るようだったら、その修正では届かなくなると、君の無意識は思っているということだ。

最後に1点だけ補足する。仲畑さんは受け手が疑問を差し挟める表現じゃないと届かないと言ったことを紹介したが、それはその当時の話だ。私は現在でも受け手が疑問を差し挟める表現に力を感じるが、君の上司であるディレクターは違う見解があるかもしれない。言い切ることが届くと信じているチームにいるなら、その方針に抗わないのが賢明だ。

今日は、ここまで。

今回の参考文献

『勝率2割の仕事論』岡康道(光文社新書)

『秋山晶全仕事』(マドラ出版)

『仲畑貴志全仕事』(マドラ出版)


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