プログラム13 憧れの人に会いに行きなさい。

2017年公開の映画『ウィンストン・チャーチル』で特殊メイクを担当し、2018年、第90回アカデミー賞においてメイクアップ&ヘアスタイリング賞を日本人として初めて受賞した辻一弘さん。今回の先生は、この方だ。もともと今回は、私の個人的体験を語る予定を立てていたが、辻さんの受賞後、この方のサクセスストーリーを知り、急きょ内容を変更することにした。このプログラムのテーマにこれほど相応しいエピソードに出会えたことに見えない力を感じる。辻さんの足跡を紹介するのがお前の務めだと言われているようだ。

巨匠に臆することなく手紙を書く

で、その辻さんだが、特殊メイクアーティストをめざすきっかけになったのは高校時代。地元の洋書店でたまたま手にした映画雑誌で、当時アメリカを代表するメイクアップアーティストだったディック・スミス氏の仕事を目にしたことがそもそもの始まりだという。その仕事とはある男優をリンカーン大統領そっくりにした特殊メイクなのだが、その完成度に衝撃を受け、特殊メイクの世界で生きて行くことを心に決めたという。さて、辻さんに見習いたいのはこれから。その後、辻さんは独学で特殊メイクの勉強を始めるが、ある日のこと。どうしたら上手くメイクができるか、英語の先生に手伝ってもらいディック・スミス氏に手紙を書いた。極東島国の名もない高校生が、アメリカを代表する巨匠にである。そのダメモトの手紙になんと返事が届く。辻さんの熱意が巨匠を動かしたのか、ディック・スミス氏の人間としての大きさの表れか。いずれにしても、この出来事から二人の交流がはじまり、最終的に辻さんはディック・スミス氏に弟子入りする。偉大な師のもとで、辻さんは研鑽を積み、数々の映画に携わり、受賞こそしなかったもののアカデミー賞にノミネートされるまでに登りつめる。

憧れの人は実は待っている

辻さんの人生を振り返ると、ターニングポイントは、ディック・スミス氏に手紙を送ったことであるのは言うまでもない。なぜ辻さんは手紙を出せたのか? 若さゆえの勢いか。もともと怖いもの知らずの性格だったからか。自分はこの人と係るべき人間だと潜在意識が背中を押してくれたからか。昔の日本では、憧れの先生がいたら、その人に弟子入りするために、なんど門前払いされようとも諦めず通い続けた人が多かったと聞く。芸能界、芸術界、歌謡界、落語界、小説や漫画などの表現の世界、職人の世界など、師弟関係が存在するすべての世界で、その道を志す者は師匠を求めて門を叩く。徒弟制度が崩壊したためか、セキュリティー上の関係か、今では「弟子にしてください」と近づくことすらできない状況下にあるが、先生と仰ぐ憧れの人に一歩でも近づく気持ちは、持っていた方がいい。迷惑だろうな、恐れ多いな、と感じるかもしれないが、それは自意識過剰だ。最終的にその憧れの人に会えるか会えないかを決めるのは、君ではない。相手でもない。巡り合わせだ。君がその人と巡り合う人生上の必要があるなら、全知全能の神はベストのタイミングで出会いを演出してくれる。辻さんとディック氏のように。そして、君からのアプローチをその人は心待ちにしていることを君は知るべきだ。自分が経験してきたこと、習得してきたスキル、知恵を後世に伝承するためにDNAが命じているからだろうか、彼ら彼女らは後継者を待っている。だから、辻さんとディック氏の出会いは、ディック氏が求めた結果であるとも言える。しかし、ディック氏のように君が憧れる一流の人たちは、後継者がどこにいるか分からない。自分では動けない、待つしかない。動けるのは君しかいない。君が憧れた時点で、君はその人の後継者に選ばれた可能性は大いにある。君から動こう。いや動いてあげなさい。臆することなく、堂々とアプローチしよう。憧れる人がいたら、手紙でもいい、メールでもいい、遠慮せず出してみよう。出会うべき関係なら、必ず、つながる。

雲の上の人に憧れなさい

辻さんにとってディック氏は同業者だが、憧れの対象は同業者である必要は、もちろんない。とくにコピーライターの場合は、前期のプログラムでも紹介したが、他のクリエーターとの出会いがスプリングボードになる気がする。ちなみに私の憧れの人は、アーティストの石岡瑛子さんだった。当時、石岡さんはニューヨークを拠点に活動されていたが、あるとき『広告批評』主催の講演会が東京タワー近くの公会堂で開かれるという情報を得て、会社を抜け出し駆けつけた。日本の広告表現を焼け野原にしたと言わしめた圧倒的才能に、直接ふれた衝撃は今でも残存している。この体験があったから、このプログラムを今こうして書き、君に憧れの人に会いに行くことを薦めている。そして、私にとって石岡さんがそうであったように、憧れの相手は決して手の届かない雲の上の存在であったほうがいい。少し背伸びすれば手が届く相手を無難に選んではいけない。君は本来クルーザーを所有すべき人間なのに、自分にはそんな資格も財産も名声もないと思っているとしたら、君は自分を見誤っていることになる。自分を過小評価してはいけない。今は手の届かない世界にいるその人だけど、自分は必ず会いに行くと、宣言するのだ。

なお余談だが、辻一弘さんはアカデミー賞を個人受賞した二人目の日本人である。第1号は1993年に衣装デザイン賞を受賞した石岡瑛子さん。不思議な縁を感じてしまう。

今日は、ここまで。


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