サクラチルに、ありがとう。

今回のテーマは、サクラチル。桜散る、です。入学試験に落ちてしまった時を取り上げます。もちろん、学校に限りません。入社試験もそうですし、プレゼンに落ちる、オーディションに落ちる、選挙に落ちるなど、誰かに採用してもらえなかった時に共通で活用できるテクニックを追求してみましょう。

幼少の頃から、たとえば、東大を目ざしている人がいるとします。毎日毎日、1日に何時間も勉強し、駿台予備学校に通い、個別指導を受け、家ではZ会をやり、高校は開成に入り、万全の準備を整えたにもかかわらず、いざ本番でミスして不合格になってしまったとしたら、あまりのショックで感謝どころではありませんね。絶望的な悲劇ではあります。ですが、決して珍しくはありません。人生においては、よくある話です。逆に、ほとんど勉強もせず、合格可能性も0パーセントに近い人が、あっさり東大に合格してしまう例もあると聞きます。皮肉なものですね。それも運命なのでしょうか? 合格した方は、運がよかった、ついていた、の一言で片付けられる出来事ですが、失敗した方にすれば、運が悪かっただけでは、なんとなく釈然としません。ましていわんや、あぁ自分は落ちて良かった、など逆立ちしてもできない相談です。

さぁ、では、この絶望的な結果を感謝に変えるには、あなたならどうしますか? 先ほど“運”が出てきましたが、基本的にはこの“運”を使うのが、今回のようなケースの場合の常道です。ポイントは“運”が悪かった、などと悪いにしないことです。あなたは東大に落ちた。でも早稲田には受かった。としたら、あなたは何らかの理由で早稲田大学の学生になる必要があったのです。そこで、ある重要な講義があなたを待っているのか、高田馬場駅で運命の人との出会いがあるのか詳細はわかりませんが、あなたは導かれたのです。あなたの人生の計画を完成させるために。だから、東大に落ちたことは“運”が悪かったのではなく、“運”が良かったからこそ、早稲田に自然にあなたが行くように落としてもらえたのです。

まだ、釈然としませんか? ですよね。こんなことは、落ちてすぐには、まず思えないのが普通です。何年も先になって過去を振り返ったときに、東大に落ちた真の理由がわかるものです。わかりやすいので、大学受験を例に話をすすめてきましたが、就職やプレゼン、オーディションほか、恋愛にいたるまで、あなたの第1志望からあなたが落とされたとき、それは決して“運”が悪かったからではなく、その第1志望はフェイクであり真の第1志望へあなたを導くための、誰かの采配に過ぎないのです。

誰かとは、好きな存在を当てはめていただいていいのですが、神でもいいし、宇宙でもいいし、仏様でもご先祖様でも、キリストでもアラーでも、サムシンググレートでも、ハイアーセルフでも、無意識でも、深層心理でも、自分にフィットする存在に登場していただきましょう。

勘違いしてはいけないのは、(また東大の例にもどってしまいますが)、東大に落ちた、早稲田に受かったからと言って、早稲田が行くべき運命の道とは限らないことです。あくまであなたには東大に行かなければならない人生の目的がある、しかし何らかの理由ですぐに行かせるわけにはいかない、回り道をさせる必要があるなら、1浪や2浪をあなたの誰か(上記)は、あなたにそうさせるでしょう。現役で早稲田に行くか、浪人して東大に行くか、その見極めは、きっとあなたの直感が教えてくれるに違いありません。

判断に自信がありませんか? 大丈夫です。あなたの選択がどちらにせよ、あなたは間違いません。私たちの人生は、その時その時で、常にベストの選択をするようにプログラムされているそうです。

筆記試験で落ちるのも、もちろん辛いですが、面接で落ちるのは、さらに心が痛みます。入社試験とか、オーディションがそうですね。落ちるのが最善の道だと頭で理解してはいても、落ち込むのは人間として自然の心理です。こんなときは、落とされる側から落とす側に視点を変えてみるのをおすすめします。面接やオーディションでは、合否をその場で知らされることはまずありませんが、何となく勘で結果がわかるものです。自分は採用されないなと気づいた瞬間、おそらくほとんどの人はショックが顔に出ます。100人中99人が暗い顔をする中で、あなたがもしそれでも明るく元気な表情と態度でお礼を言い部屋を退室したら、面接官はどう感じると思いますか? そうなのです。人生の本当の勝負は、勝ち負けが決まったあとに訪れるものなのです。あなたは今回のオーディションには採用されなかった。しかし、面接官の心の中に強い印象を残すことができた。その結果、将来、より大きな舞台でのより大きな役に抜擢されるかもしれないし、海外の大物プロデューサーに紹介してもらえるかもしれない。すべては、負けを認めたあとのあなたの態度から生まれたストーリーです。

いかがでしょう。落ちること、負けること、採用されないことへの心理的負担から少しは解放されたでしょうか? それでは明日から、落ちること、負けること、採用されないことがチャンスであることと反射的に思えるよう、練習してみませんか? 練習? そう、落ちる練習、負ける練習、拒絶される練習とは、場数を踏むことです。どんな分野でも構わないので、負けてください。拒絶されてください。筋トレをすれば筋肉が鍛えられるように、負ければ負けるほど心の筋肉が鍛えられます。

失うことが、感謝に変わります。


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