補講 一流のコピーライターを目ざすのは止めなさい。

プログラムの中で何度も語ってきたが、一流のコピーライターほど割の合わない存在は他にない。一流を追求しなければ、つまり職業としてのコピーライターであれば、それだけで、経験を重ねるごとに技が磨かれ、名前が売れ、顔が広がり、年収が上がり、社会的地位を得る。幸福な人生が約束される。普通はそれで充分だ。順風満帆に生きたいのであれば、苦労して道を究める必要など、さらさらない。やせ我慢してランチを抜くことも、雨の日を好きになることも、エレベーターを最後に降りることもしなくていい。

しかし、

それでは充分だと思えない人種も少なからずいることを私は知っている。彼ら彼女らは割に合うとか、費用対効果があるとか、投資効率がいいとか、そんな損得勘定でモノゴトを判断しない。どちらかというと、自分の居場所が見つからない、生きるのが苦しい、自分が好きになれない、すべてを失いこの世に絶望した……そんな人たちにとって、権太坂コピーライター養成所は、現状から脱却するために取り組むべき価値のある方法論として機能するだろう。とは言っても、この世に二人、いや、せいぜい一人いるかいないか。私がこの養成所を立ち上げる時、ここに意義を感じてくれる人の数をそう試算した。しかし一人でもこのプログラムを必要とする後輩がいるなら、その人のために働くべきだと決意した。矢吹丈を世界チャンピオンにしようとした丹下段平のように(この例え、わかるかな?)。私の考案した養成プログラムが、これからの君の人生にどの程度の力を与えることができるかは一定の検証期間が必要だが、もし君が結果を信じ、いくつかのプログラムを人生に採り入れてくれたら、これ以上の喜びはない。門を叩いてくれて有難う。何年か先、君は一流のコピーライターとして、重責を担っていることだろう。君の力は広告業界を超え、この国の社会全体にとって必要とされているに違いない。私としては、1日でも早くこの国が一流のコピーライターの、つまり君の力に気づいてくれることを願うばかりだ。プログラム19で私は、一流のコピーライターになっても現生利益はまず得られないと包み隠さず話した。それを承知の上で一流のコピーライターを目ざした君が、社会的成功をはじめとする現生利益を逆に享受することになるとは。君は人生の皮肉な一面を目の当たりにすることになる。そう私は予言する。

人生の皮肉という話を出したついでに、ここであらためて戒めておきたいことがある。とても大切な話だ。君は、一流のコピーライターになることを、決して目標にしてはいけない。一流のコピーライターとして生きている未来の自分を想像してはいけない。大相撲の世界には「強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる」という言葉があるという。強いだけでは横綱になれないのだ。宿命、つまり天に選ばれてはじめて横綱になれる。コピーライターも同じ。広告の勉強を続けて精進すればトップクリエーターになれる日も夢ではない。しかし、その先の段階に進めるか進めないかは、君が決められることではない。自分が決められないことを目標にするのは、エゴ以外の何物でもない。プログラム9「雨の日を愛しなさい。」をもう一度思い出して欲しい。明日は晴れになって欲しいと君がどんなに願っても、天が雨を選んだら、雨になる。君はただ受け入れるしかない。君は何らかの経緯で権太坂コピーライター養成所を知り、受講生になった。宣伝も何もしていないこの養成所のことを知っている人はほとんどいない中で、君が入門したということは、そこそこの縁があったということだから、君は一流のコピーライターにかなり近い位置にいるのは確かだ。それでも慢心してはいけない。結果を考えず、ここで学んだプログラムを粛々と実践すること。今はただ、それだけに徹してほしい。

その日はいつ訪れるのか?

やがてやってくる。自分が一流のコピーライターになったと胸を張って言える日が。しかし、その自覚はどうしたら生まれるのだろうか? 柔道や剣道のように段位制であれば、5段から6段、6段から7段へと自分の成長がそのつど試験で認定されるため分かりやすいが、コピーライター道には残念ながらそれがない。側に師匠がいればいいのだが、いなければ自己査定、つまり自分で自分を認めるしかない。自分で判断ができるのか? 大丈夫、その指標をすでに君は学んでいる。プログラムを振り返ってほしい。君は風邪を引かない人になったろうか? 涼やかに徹夜ができるように、プレゼンに落ちても笑えるようになっているだろうか? 各プログラムで学んだことが無意識にできるようになったら、君は一流にかなり近い位置にいると思っていい。勘違いしないでほしいのは、表現が変わることではない。切れ味鋭い、エッジの効いたコピーが書けるようになったからと言って、その人が一流になったわけではない。作り出すコピーの優劣とライターの人格は比例しない。もちろん君はプロのコピーライターだ。優れたコピーを書く義務がある。そのための努力は惜しんではならない。しかし、その努力はあくまでテクニックを磨くためのもので、一流になるための行為ではない。

立ち居振る舞いで一流度は測られる

もし私が君の側にいたら、君の運転を見せてもらうだろう(君が運転免許証を持っていればの話だが)。運転を見れば、その人がお金待ちか貧乏人か分かると言った人がいるが、コピーライターのレベルも運転の仕方にその差は現れる。

君がどんな運転の仕方をすれば合格かは、企業秘密だ。どうしても知りたければ、大富豪の方の運転をヒントにしてほしい。「コピーライター 一流 運転の仕方」というキーワードで検索してもネットからは何の情報も得られないだろうが、お金持ち特有の運転の仕方は紹介されているだろうから、それを基に想像してほしい。それが分かれば、自己でもできるとても便利な検証方法だ。

もし君が運転をしない人であれば、天日干ししたタオルをクロゼットに仕舞ってもらおうか。タオルの畳み方で君の一流度は判断できる。もしくは君とレストランに行く。メートルドテールに君がどんなオーダーの仕方をするか、私はじっと見るだろう。つまり、さまざまな角度から君が一流かそうでないかは知ることができる。君の立ち居振る舞いが雄弁に語ってくれる。

一流のコピーライターの具体像

さて最後にもう一度、一流のコピーライターとはどんな存在なのか、押さえておきたい。まず大原則として、私たちが取り組んでいるのは、クライアントビジネスだ。これは一流も二流も関係ない。作家やアーティストではないのだから、依頼主からの発注がないと私たちの仕事はスタートしない。この時点で君の存在が問われる。ただ単に費用対効果の高い、賞を総なめするような話題の広告を依頼主が望むなら、一流のコピーライターは必要ない。実力のあるクリエーターは業界に掃いて捨てるほどいる。有名な個人事務所に直接依頼してもいいし、早い話、電通に声をかければ事は片付く。サッカーの世界では「決定力は金で買える」という名言がある。決定力とは得点力のことだ。点が欲しければ大金をはたいて有能なストライカーをスカウトすればいい。しかし、依頼主の(特に経営者に)深刻な問題があり、精神的な支柱となるパートナーが必要とされる時は一流のコピーライターの出番となる。どんなに才能のあるコピーライターでも、精神的支柱になることはできない。この養成所で紹介したような精神的研鑽を積んだ者でなければ相談相手になることはできない。それって、カウンセラーもしくは経営コンサルタントの仕事じゃないですか?との疑問が湧くかもしれない。そう一流のコピーライターとは単なる広告の専門家ではなく、カウンセリングあるいはコンサルティングをも、最高のレベルで提供できる存在だ。さらにコピーライターの素養がないカウンセラー、コンサルタントとの最大の違いは、言葉の専門家であることだ。言霊使い、と言ったら言い過ぎだろうか。はるか昔から、権力者の側にはつねに言霊を使役する存在が仕えてきた。王の横には預言者が、殿の横には歌人がいて、未来の施政方針を指南した。現代の権力者といえば、政治の世界を除けば、企業だろう。有能な企業のトップは無意識のレベルでわかっている、自分に必要なのは言葉の専門家だと。

見えてきたかな、一流のコピーライターの具体像が。そろそろ時間がきたようだ。このへんで補講を終わります。

長い間、ご静聴ありがとうございました。


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