プログラム18 人工知能に加担しなさい。

そろそろ君も、うすうす感づき出した頃だろうが、私は人工知能推進論者だ。この技術については、さまざまな研究が急ピッチですすみ、メディアがこぞって取りあげ、人々が喧々諤々と議論を戦わせている。数年後には約半数の職種が人工知能にとって代わられるといった悲観的なレポートから、人工知能の台頭により人類は長時間労働から解放されるといった楽観論まで。人工知能の存在を無視して今の時代は語れない状況になっている。あくまでも個人的な意見なのだが、私は人工知能の未来に熱い期待を寄せている。人工知能の追求は、人間の能力の解明を加速することになると信じて疑わない。なぜなら私たち人類という存在も何者かによって開発された人工知能ではないかと思えるからだ。

ハァ? イッタイアナタハ、ナニヲイイダスノデスカ? と正気を疑う声が聞こえてきそうだが、偽らざる本音だ。あくまでも仮説(思いつき)に過ぎないが、私たちは私たちを超えた存在によって創造された生命体だと仮定したら、なんとなくワクワクしないだろうか?

コピーライターの新たな役割

私の立ち位置はさておき、また君が人工知能肯定派であろうがなかろうが、人工知能の進化は止まることを知らない。そんな時代に生きるコピーライターは、人工知能の発展のために持てる能力の一部を惜しみなく提供することが求められている。そのことに君は気づいているだろうか? 糸井重里さんや土屋耕一さんなど往年の名コピーライターの時代にはなかった役割が、今を生きる現役コピーライターの仕事であり、使命だ。たとえば、一流の寿司職人の味をロボットで再現したい研究者がいるとする。彼は、一流の職人と駆け出しの職人が同じシャリ、同じネタを使って握った寿司の味の違いを言語化してほしいと君に依頼するだろう。その言葉を研究者にフィードバックできれば、開発に役立たせることができる。事程左様に、人工知能の進展に言葉は欠かせない。言葉のプロとしてのコピーライターの新たな守備範囲がここにある。もちろん、ここに書かれていることは、現在進行形ではない。多くの人工知能研究者がコピーライターの力を知り活用するのは、まだ先の話だ。しかし、必ずやってくる。その時に備え、しっかり爪を磨いておこう。それよりも今の君の関心は、広告制作の分野における人工知能の能力だろう。人工知能にいいコピーが書けるのか? 優れたデザインが作れるのか?

人工知能に広告コピーは書けるのか?

人々の顕在意識に浮かんでくる一歩手前の時代の気分を表現するのがコピーライターの仕事だと、仲畑貴志さんはかつて語られた。そして、自分がコピーを考えたり作っている過程は、ちっとも論理的ではないと。もしコピーがロジックの積み上げで計算通りにつくることができるなら、広告コピーをつくる人工知能は容易に実現できるだろう。しかし、時代の気分を読み解いて言葉を紡ぎ出す能力はそう簡単に作り出せない。仲畑さんをはじめとする人間のコピーライターにそれができるのは、おそらく潜在意識のさらに下に集合無意識があるからではないだろうか? であれば、理論的には集合無意識をコンピュータにインプットすれば、広告コピーを生み出す鉱脈を人工知能に与えることはできよう。しかし2020年現在、そのアプローチの萌芽はまだ表向きには見られない。やはり人工知能に広告コピーを作るのは無理なのか? しばらく職を奪われることはなさそうだとホッとしたかな? しかし安心するのはまだ早い。

話は飛ぶが、糸井重里さんは全盛期のころ、コピーには南朝という流派と北朝という流派に大別できると唱えられた。南朝は軽み、遊び、面白み、を基調とする表現であり、源流は平賀源内。その流れをくむのが土屋耕一さんであり、ご自分(糸井さん)だと。一方、北朝は論理的、知的、クール、正統派といったキーワードで括ることができるスタイルでDDBに代表される。なにしろこのテーマで1冊の本ができるくらいだから詳しく語ればキリがないのだが、ごくごく簡単に解説するとこうなる。広告批評の天野祐吉氏を旗振り役に、1980年代は南朝派が一世を風靡した。オモシロ広告の時代とも言われていたような記憶がある。ある洋酒の宣伝で女優が「タコが言うのよ、タコが…」という台詞を言っていただけのCMを前出の仲畑さんが作られたことがあったが、これなどまさに南朝テイストの極みと言えるだろう。なぜウイスキーの宣伝にタコが登場するのか? 確かにちっとも論理的ではない。しかし、仲畑さんの潜在意識はタコを出せば成功すると導き出した。この回路に匹敵する人工知能を作り出すのは不可能ではないにしろ、現状では遠い話だ。しかし、南朝の時代は去った。イメージではなく、実体はどうなのかと人々は本質を詳しく知りたがるようになった。この時代にもし糸井さんが現役なら、自動車のCMにエリマキトカゲなど登場させないだろうし、仲畑さんもウイスキーをタコで語らないだろう。そうなると、そう北朝の出番になる。北朝であれば、人工知能は向いている。当面、人工知能の開発者と人間のコピーライターがタッグを組む必要はあるだろうが、広告コピーを生むことができる。そう遠くない未来には、人間のコピーライターが介在しないでも、洗練されたコピーがつくられる日がくる可能性は高い。そうなれば、コピーライターも、人工知能によって消えて無くなる職種のひとつになるだろう。

人工知能の開発に加担するために君たちは生まれてきた

この流れは予定調和のような気がする。計画通りに進むときっと未来は高い確率でこうなる。それより、むしろここで、若いコピーライターの皆さんに私が訴えたいのは、比較的容易に進むであろうロジカルな人工知能コピーの開発へのサポートではなく、かつての糸井さん仲畑さんクラスの優れたイメージコピーをつくれる人工知能の開発に加担してほしい、ということだ。バブルの時代の再来を求めているわけでも、オモシロ広告の復権を願っているわけでもない。歴史は繰り返すそうだから、またイメージ訴求が復活する時代が来るかもしれないが、そんな仮定の話は抜きにして、たとえ消費者に求められなくても、イメージ広告が考えられる人工知能の開発にチャレンジしてほしい。どうすれば私たち人類が備えている潜在意識あるいは集合無意識を人工的に再現できるのかを追求してほしい。このテーマを追いかけるために、最初に君たちは深層心理学の研究からスタートするだろう。しかし、すぐに気づくはずだ。自分たちのやろうとしていることは、人工知能に“愛”を組み込むことそのものに違いないことに。では、いったい“愛”って何だろう? という命題にたどり着く。

“愛”を理解できなければ、人工知能に“愛”はビルトインできない。“愛”を言語化さらには数値化するために、君たちはこの時代に生まれてきたと言っても過言ではない。人類が永年求めてきて苦しんできた“愛”の正体を暴くために、君たちコピーライターの役割はある。おいおい、それはちょっと言い過ぎだろう? 今回のプログラムがたんなる妄想か虚言か、判断はお任せしたい。少なくとも私は、このプログラムを遺書のつもりで書いた。

今日は、ここまで。


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