50m自由形で日本記録を更新した時の話

 世界選手権初日の50m自由形。大きな試合というものは、何回出場しても緊張する。特に初日は緊張する。
 俺の自己ベストは26.56。リオパラリンピックの記録だ。日本記録あ、大先輩、河合純一さんの記録、26.37。2000年にマークされたこの記録は、23年間破られていない。いつかは破らねばと思っていたこの記録。0.2秒という差は、長きにわたる地球の歴史からするとあっという間だが、50mの中では大差と言える。
 50m自由形。競泳の種目では最もスピードが速く、一つのミスも許されない。健常者の早い選手は、50mではほとんど息継ぎをしない。俺はそこまで速い訳ではないので、1回は息継ぎをしている。
 予選が始まった。実力的には、俺は3番目か4番目の力を持っている。決勝に進めるのは8人。正直、フルパワーで泳がなくても、予選を通過するのは難しくない。しかし、力を抜きすぎて1秒も落とせば敗退する。短距離種目の予選の泳ぎ方は難しい。そこで、「フルパワーでは泳ぐが、息継ぎは2回する」という作戦をとった。
 息継ぎが1回増えるだけで、とても呼吸が楽になる。「まだまだいけますけど何か?」という顔をしながらゴールした。
26.32。あまりにもあっさりと日本記録を突破した。あっさり過ぎてタッピングを担当してくれたコーチも気づいていなかった。
 確かに泳ぎは良くなっていた。少々マニアックな話で恐縮だが、フィニッシュで動きが止まっていたところを、できるだけキャッチ部分で我慢することで解消し、結果的にテンポは落ちたが、その分泳ぎは大きくなり、足も6階入るようになって、めちゃくちゃに体が回ってしまうことが抑えられていた。
 さて、問題はここからだ。予選で自己ベストと日本記録を更新してしまったので、既に大満足している。ここで欲をかいて力みに行くと、たいていの場合失敗して記録を落とす。冷静に冷静に、欲張ることなく泳ぐ、これが決勝の目標だった。
 レースのおよそ25分前、招集所にやってきた。ところが、試合全体がいろいろとトラブルがあったのか、30分ほど時間がおしている。自分のレースがなかなか始まらない。
 招集所はとても暑かった。レース前は体を冷やしたくないので、寒いよりは暑い方がいいのだが、それにしても暑い。水を飲みながら、体が固まらないようにできる範囲の体操をし続けた。
 すると、隣の選手が声をかけてきた。リトアニアのマタカス君だ。「敬一。おまえ、水持ってるだろ。ボトルの音がする。水、俺にもくれ」
 は?何打と。水ぐらい、自分でもってこいや。と思ったが、確かにこの暑さの中、水を飲まないのはきつすぎる。可愛そうなのだが、俺だって1本しか持っていないし、屈強な外人と水のボトルをシェアすることはできない。
 「すまないが、おまえに水をあげたくない」
なんか、もっと優しい言い方が有ったのかもしれないが、いかんせん英会話スクールレベルが10段階中3の俺には、あまりにもドストレートな言い方しかできなかった。
 最終的には、その選手のアシスタントのコーチが水を獲りにいったん外に出た。俺に頼まず、最初からそうしろ。
 50分間の招集所での大気を経て、ようやくレースが始まった。まずは飛び込み。
 飛び込みにはある程度自信を持っている。力いっぱい台を蹴り、手足を伸ばして着水する。さあ、みんな俺についてこい。俺たちは全員が視覚障碍者、相手がどこを泳いでいるかは分からない。ここから先は感覚と妄想の中での勝負を繰り広げる。
 水中で5回ほどドルフィンキックを打ち込み、水面に浮上する。浮上してくる場所は、その時の運だと思っている。コースの真ん中ならラッキー、右端左端の場合は、直ちにコースロープを見つけてそれ沿いに泳ぐ。
 左手にコースロープを感じる。左か。特異な側ではないがやむをえん。さあ泳ぎだそうと腕に力をこめたその時、左からとんでもない大波が押し寄せてきた。
 なんてこった。スタート直後に波がくるということは、何者かが既に俺より少し前にいて、そいつがキックを打つことで起きる波がきているということ。左。あいつだ、あいつに違いない。
 オランダの英雄、ロジャー・ドルスマン。スタートで俺より前にいくとはけしからん。すぐに追いつかねばと思うのだが、波に圧される。左手で感じていたはずのコースロープが見つからない。やめろ、やめてくれ。
 徐々に波に乗って右に流され、気が付くと右手にコースロープがあった。やられた。コースの端から端まで流された。きっと52mぐらい泳ぐ羽目になった。
 結果は26.05。またしてもあっさりと自己ベストを更新した。なんやそれ。トラブルだらけのこのレースで、昨日までの自己ベストから0.5秒も知人だ。7年間記録が伸び悩んだこの種目で、突如奇跡のように記録が伸びた。そして、23年間輝き続けた河合さんの記録を破ることとなった。
 健常者の世界で、ここまで古い記録は残っていない。スポーツ科学はいうまでもなく進歩している。プールの形状、水着、スタート台、すべてが改善している。何より、パラ選手を取り巻く競技環境がびっくりするぐらい良くなっている。
 23年前、河合さんは中学校の先生として仕事をしながら、どうにか練習時間をやりくりしてこの記録を打ち立てた。一方今では、俺たちは競技活動を仕事として認めてもらい、生活のすべてを水泳に捧げることができている。ある意味、当時の記録は破って当然だし、破らないといけない。というか実際河合さんにも、「やっとかよ」と言われた。
 とはいえ、嬉しかったので、こうして日記を残しておくこととする。
 ちなみに俺が水をあげなかったマタカス君は、俺よりも実力は上だったが、4位とメダルを逃していた。みんな、水分補給はしっかりしよう。

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