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「組織内における悪口」

皆様、お疲れ様です。直近とある記事を読み、少し考えを巡らせていたので、本日は、「組織内における悪口」について書きたいと思います。

企業も人の集団ですから、人が集まれば気の合う人も合わない人もいるもので、日常のオフィスワークの中でも、大なり小なり聞こえてくることはあるのではないでしょうか。

最近は時代の流れ的にも、悪口をはじめ、人を不快にさせる可能性の高い行動・言動は企業においても厳しく取り締まりされる風潮が強くなっていると感じますので、やはり全員がそういったことのないように意識することが重要であろうと思います。

特に10年前よりも変化を感じるのは、先日読んだ記事によると、昨今のこの手の問題は必ずしも当事者間で起きているわけではなく、当事者があずかり知らぬところで、(当事者のことを知っている)第三者が不快に感じた、というものです。要は悪口は自分が言われるのも当然嫌ですが、人が言われているのを聞くのも嫌だ、ということですね。

自宅で家族といるときや、仕事と関係の無い友人との会話などは自由で良いと思いますが、少なくともオフィス内や、(食事等)外であっても会社の仲間たちと一緒にいる空間においては、SAMURAIメンバーは高い意識を持って過ごしていきましょうね。

さて記事の内容はこの程度なのですが、ここで一歩踏み込んで考えていました。そもそも悪口とは何でしょうか。ここの議論無くして、この記事は鵜呑みにはできません。

上述した話のように誰かが「不快になる、ならない」を判断軸としてしまうと、悪口のみならず(というよりも、見境がつかずに)、指摘や指導も出来なくなってしまうのではないか?が組織運営としては、気がかりな点です。

組織としては、強くなるために建設的な指摘や指導は不可欠です。特に(同じミスを)何度も繰り返してしまうような場合においては常識の範囲内で厳しい指摘や指導が必要なケースもあると考えます。その中においては注意された人は「不快になる瞬間」も必ず存在するはずで、その全てを否定してしまっては何も言えない組織になってしまいます。チームメンバーの度重なるミスや努力不足を指摘できないスポーツチームが試合に勝てるわけありませんし、一方で個人にとっても何も言ってもらない環境は、成長する機会を逸しているという点で、組織にも個人にも大変に不幸なことだと思います。

となると何を軸とするのがよいのでしょうか。そんなことを考えていたら、ふと以前流れてきたインスタの動画が頭に浮かびました。

解はイチローです。

元メジャーリーガーのイチローは、自身が言葉にするかどうかの判断軸として、「その人の前で言えることなら、その人の前で悪口を言うことにしている」、一方で「その人の前で言えないことなら、その悪口は絶対に言葉にしない」というマイルールを徹底して生きているそうです。

つまり、組織や相手の成長のために面と向かって言えることなら、(必要薬として)悪口でも言う。組織や相手の成長のために面と向かって言えないようなことなら、単なる悪口として決して言わない。

この整理方法は、「強く勝てるチーム×良い文化」を両立するために、SAMURAIにとっても、とても良いものだと感じています。SAMURAIでもこのイチロー思考、意識してみましょう。

関連しそうなコア・バリューも、せっかくなので記載しておきましたのでお目通しくださいませ。

・悪口や文句はチームに不幸しかもたらさない。誠実な行動や改善活動こそがチームに価値をもたらすことを理解する

・相手に不快感を与えない発言を心がける

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