具体と抽象~抽象とは〇〇でない、を明確にして生きやすくなろう

本記事は「具体と抽象―世界が変わって見える知性のしくみ」を読んだアウトプット記事です。

非常に評判の良い本、やっと読みました。言われてみれば確かにそうだと思えるようなことが多いですが、抽象化能力の特徴や、生かし方について色々と書かれていて、この内容に沿って自分の仕事の仕方などを整理できると思いました。

抽象化の恩恵

人間の知性のほとんどは抽象化によって成立しているが、すべて具体性が重視される「分かりやすさの時代」にはそれが退化していってしまう危険性がある。

数と言葉(数学と国語)は、人間の知能の基本中の基本であるが、これを生み出すのが「複数のものをまとめて一つのものとして扱う」抽象化である。

抽象化とは、特徴を抽出するということ。どんな特徴を抜き出すかは、その時の目的や方向性によって変わってくる。
複数の事象の間に法則を見つける「パターン化」で科学は発展した。

動詞、名詞、形容詞、形容動詞、すべて「物理的な意味」と「精神的な意味」を持つ(体の動きを心の動きになぞらえる、背筋が伸びる、など)。人間の豊かな精神世界は、言葉=抽象化によって成立している。

抽象化の活用

図解
という抽象化によって、関係性が明確になる。

たとえ話
「たとえ話」がうまい人=具体と抽象の往復が上手い。共通点が、他には当てはまらないような共通点であることと、切り捨てた相違点が説明したいことと関係ないことがポイント。

開発
革新的な製品を生み出す会社は、顧客の声を聞かない。大多数の顧客は、目に見える具体的な現象面しか見ていないので、具体的なレベルの要望しか上がってこない。抽象度の高いレベルでの顧客の声(心の声)を反映することが必要。多数の意見は、それぞれの具体レベルに引きずられて、今の延長の議論しかできなくなる。

特許で守れるのは、抽象度が低い、直接的に類似性のあるもののみ。抽象度が高いもの(関係性や構造)であれば、合法的に「盗み放題」

依頼
「こんな感じで適当にやっといて」と言われて、いいかげんな「丸投げ」と思う人は、具体レベルのみの世界に生きる「低い自由度を好む人」。

抽象化とコミュニケーション

具体と抽象レベルにずれがあるとコミュニケーションのずれが生じる。

二項対立→相反する二つの概念を比較して考えること(抽象レベル)
二者択一→世の中は簡単に二つに分けられないが、あえてどちらかに決めること(具体レベル)
「〇〇は××だ」という主張は、抽象レベルの方向性を示しているだけで、具体的にすべてがそうだと言っているわけではないが、具体レベルのみで捉える人は例外事項を上げて反論し、全く議論がかみ合わない。

具体レベルでしか考えていない人は「要するに何なのか?」「かいつまんで話せ」と言われることが不快。一つ一つ目に見える事象はそれぞれ皆重要で「切り捨てる」ことは不謹慎だと感じる。

抽象度が上がるにつれて、理解できる人の数は減っていく。抽象レベルの世界が見えている人は圧倒的な少数派。社会では変人扱いされる。人間は一人残らず抽象概念の塊だが、自分の理解レベルより上位の抽象度で語られると、突然不快になるという性質を持っている。

仕事の「上流/下流」と「抽象/具体」

「仕事」とは、抽象を具体へ変換していくという作業。
最上流と最下流では、ほぼ正反対の価値観。上流で必要なのは個人の創造性で、下流で必要なのは多数の人間が組織的に動くための効率性や秩序。
下流の仕事は、分かりやすいように体系化・標準化され、管理される必要がある。

抽象度の高い上流の仕事に「コラボレーション」はなじまない。「衆知を集める」のは、上流の方針が決まった上で下流の具体的なアイデアを多数出すときに有効な手段。

上流の仕事は自由度が高い。人が関われば関わるほど品質は下がり凡庸になっていく。
下流の仕事は自由度が低い。多くの人が関わった方がレベルが上がり速く安くなる。多人数で議論を繰り返して多数決による意思決定をすることが仕事の品質を上げるという価値観なので、上流とは正反対。

抽象化とリーダー

哲学や理念を持たずにすべてにおいて個別に判断して行動していると、場当たり的になって、昨日の行為と明日の行為とで整合性が取れなくなり、後戻り作業や二重作業が大量に発生する。また、意思決定も一つ一つ責任者が対応せねばならない。
個別の行動の判断に困った時には「最終的に何を判断したいか?」という長期的な上位目的が重要になる。
やること(to do)は具体的で目に見えやすいので考えるのが比較的容易だが、あるべき姿(to be)は、将来のある時点での状態を表すので、これを考えるには抽象化能力が必要となる。

朝令暮改~つねに最善の対応を考えていたら、状況の変化によって対応策が変わるのは当然。具体的レベルでしか相手の言うことを聞いていないと、少しいうことが変わると「心変わり」と思ってしまう。

抽象的な目標設定は、数値等の具体性がないので後になってから達成したかどうかの達成が難しい(というか、達成したとも言えるししていないとも言える)→悪者にされやすい。
抽象度は上がれば上がるほど、客観性を増していく分感情には訴えなくなる。しかし人間は個人レベルでは感情で動くことがほとんどなので、集団での目標を達成するためには感情に訴えることが不可欠。そのような場合に必要なのは具体例、個人的な体験やストーリー。

抽象化による本末転倒

文法という抽象度の高いルールは、実際の会話という具体を縛っている。文法を重んじる人が「ら抜き言葉」に不快感を示すのは「抽象レベルの法則の一人歩き」。ルールや理論、法則は具体的に起こっている事象を抽象化した「後追い」のはずなのに、一度固定化された週丁度の高いルールや法則は固定観念となって人間の前に立ちはだかり、むしろそれに合わない現実の方が間違いで、後付だったはずの理論やルールに現実を合わせようとするのは完全な本末転倒。→「数字が一人歩きする」という現象はこれ。あるいは、抽象化によって人間は本能で生きることを阻害されているのかもしれない。

高い抽象レベルの視点を持っている人ほど、一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度が低い視点の人ほどすべてが「違って」見える。経験した世界が狭ければ狭いほど、他の世界が分からないにもかかわらず自分の置かれた状況が特殊であると考えてしまう。表面的な類似性でなく、関係性や構造レベルでの共通点に目を向け、要するに何が大事なのかという本質レベルで共通点や相違点に目を向けることで、抽象化というツールを最大限生かすことができる。

抽象と具体

抽象化というツールは一度手にしたら手放せない。「業界用語」や「カタカナ用語」も同様。→コミュニケーションが一方通行になるおそれ

抽象レベルの概念は固定化されやすいという性質を持っており、偏見や思い込みを生み出す。だから抽象だけでなく具体も重要。

抽象化能力の位置づけ

「頭がいい人」には三種類ある。

知識・記憶力が高い:「物知り」(クイズ王など)
対人感性力が高い:「機転が利く」(司会者、コメディアンなど)
考える力が高い:「地頭が良い」(数学者、プロ棋士など)

「地頭の良さ」にはさらに3種類ある。

結論から考える「仮設思考力」
全体から考える:「フレームワーク思考力」
単純に考える:「抽象化思考力」

本書は「抽象化思考力」に特化した本。


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