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2020年の醸燻酒類研究所活動の記録 醸造開始までの歩み

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昨年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。壁アドベントカレンダー2019にて2019年の醸燻の活動を書きました。2020年はこの世界情勢の中で様々なことがありながらも、クラフトビールジョークンというクラフトビール専門店を開店し、発泡酒製造免許を取得し醸造を開始することができました。簡単にですが、記録のためまとめます。

2019年12月 希望があった年の瀬

ストレンジブルーイング様にて試験的に醸造をさせていただいたHazy IPAを下北沢のうしとら二号店さんでお披露目をする。本当にたくさんの方にきていただいた。写真はBEFOREこの情勢の懐かしい様子である

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1月 苦難の年明け

世の中が少し騒がしくなってきた頃だったが、醸燻も新年早々ピンチだった。当初予定していた設備費や物件の改修費などが仮見積もりの頃よりも大幅にかさみ、銀行融資と会社資金(と役員貸付)のみでは2ヶ月以内にX百万円を調達するか、X百万を削減したプランを数日以内に作るか、そうでなければもう事業をやめるか、という状況となってしまった。この状況が生じたことは非常に反省しているが、それでも見切り列車で進めていなければ、2020年中に醸造は始めることはできなかっただろうなと思う。

本業の傍らで毎日醸燻代表岩田とアドバイザーの方と連絡をして、なんとか今の予算規模で実現可能なプランを作った(京都から新潟に移動する傍らに立ち寄った金沢駅の構内にいるときに電話で激論していたのもよい思い出だ...)。具体的には、醸造所併設の飲食店の規模を大幅に削減した。また、この過程で当面の間は経営的な意思決定を私が行うことになった。

2月 雪祭りへの出店

2020年は記録的な小雪であった。1950年に現代雪祭りとして(札幌雪祭りに二週間だけ先駆けて)初めて開催されたという歴史を持つ十日町雪まつりも、小雪の影響で大幅に規模を縮小しての開催することとなっていた。醸燻もそのとき、ストレンジブルーイングさんでの試験醸造第二弾のビールを地元で初お披露目するために、クラフトビールとスパイスカレーを提供するお店として出店することとなった(スパイスカレーは私の趣味だ)。

この時は規模縮小の影響もあり来場者は例年と比較し来場者は減っていたが、多くの方にビールを飲めていただけた。この会でイベントをすることの重要性や、イベントでの売り上げに依存することのリスクなど様々なことを学べた。

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ちなみにこの時には醸燻では保健所許可のあるキッチンスペースを持っていたなったため下処理などは前日に地元の公民館のキッチンを借りて調理をしたのもよい思い出だ。

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雪祭りでの出店が終わった翌日である2月17日、感染拡大対策のため本業で務めているPFNが在宅勤務を中心とする勤務体制に移行することが発表される。

3月 醸造開始時期の見通しが立たなくなる

3月に入りまたよくないニュースが入ってきた。醸造のための設備を山東省の工場に発注をしており4~5月の間に設備が届く予定であったのだが、経済封鎖の影響で工場が閉鎖され数か月の遅れが予想されるとのことであった。もともと設備が届いてから、醸造所併設の飲食店のオープンを行う予定を、融資先である地方銀行に提出していたが、醸造開始の見通しが立たなくなったため収益計画の大幅な変更が必要になった。

しかし、これを一種の機会ととらえ、飲食店を先にオープンすることにより、飲食店運営のノウハウを醸造開始に先んじて得ることができるのではないかと考えた。収益が安定し人をきちんと雇えるまでの間は、醸造所でのクラフトビールの製造と、飲食店の運営をほとんど岩田一人で行う必要があったため、同時に始めるのではなく、(結果的に)数か月の間飲食店に集中できたことはある程度のメリットはあった。

3月からは飲食店部分の工事などを進めていたが、基本的に岩田一人で開店準備をしていたため、銀行が求める4月中の飲食店開店は雲行きが怪しかった。

4月 緊急事態宣言下の醸燻飲食店オープン

緊急事態宣言の出る少し前、移動の制限が厳しくなっていくのではないかという雲行きのなか、長期的に十日町で飲食店準備をすることを決め、実家に滞在を始めた。この時期の平日は基本的には朝から夕方まで実家で本業の仕事を行い、夕方から深夜までは店舗での開店準備やホームセンターでの買い出しなどを行う日々が続いた。もともと予算がカツカツであったため、工場部分と飲食店部分の間切り工事と電気水道工事以外の、できることは地元の友人達にも手伝ってもらいながら自分達でできることはなんでもやった。壁のペンキ塗りや床材張り、カウンターやテーブル作りまでDIYで行い店舗を作り上げたのは思い出深い。

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そして、4月の中旬に保健所検査を終え、醸燻の飲食店をオープンすることができた。まさか自分たちの飲食店を緊急事態宣言かでオープンすることになるとは思わなかったが、(この時は醸造開始前であるが)自分たちのビールを提供する場を自分たちで作り上げられた喜びは大きかった。手伝いをしてくれた友人達、アドバイザーの青木さん、支援をいただいた方々、すべての人に感謝したい。

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ちなみに花を届けてくれた十日町の鮨 かわ田さんは、岩田が高校時代から長い間アルバイトしたりヘルプをしていたお店で、新潟ミシュランにも掲載されている名店である。東京で修業した大将が、日本海側で取れた新鮮な魚に最高の江戸前の仕事をしてくれるとても良い店である。平穏が戻った時には、かわ田さんに来るために十日町に来たついでに醸燻の飲食店にも立ち寄ってほしい。

5-6月 岩田孤軍奮闘

無事に開店を迎えた後のGW後半、私は東京の家に戻ることを決めた。この時期は新潟での緊急事態宣言が解除されたこともあり、お客様が少しずつ入ってくれていたようだ。岩田は一人での飲食店運営は相当大変だったようだが、徐々に喜びを見出しくれたようだ。

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6月になり東京での緊急事態宣言も解除され、私も2週に1度程度は十日町に帰っていた。その際に、開店を聞きつけた大学院時代からの盟友である落合くんが来てくれたりした。とてもありがたい。6月中旬には、ついに7月頭には醸造設備が入ってくることが決まり、その輸入や工場設備工事の準備をしていた。

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7-8月 醸造所設備準備と醸造免許取得

7月上旬に機材の搬入をしたのだが、数百kgものタンクを何本も工場の前から自分たちの力で搬入する必要があった。そのため、岩田に手伝ってくれる人を集めるのをお願いしていたのだが、結局醸造設備の工事をしてくれる方々に依頼することになった。予想を超える重さと、タンク運搬の大変さで、相当迷惑をかけてしまい、反省しきりである。

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搬入の後はタンクの配管や電気工事などを急ピッチで進めていった。第2波といわれていた時期であったこともあり、私は十日町に行く際は越後湯沢で宿を取るなどしならも、できることはやった。8月後半にようやくすべての工事が終わり、十日町税務署より発泡酒製造免許が交付された。私がアメリカのピッツバーグから帰国し、岩田にクラフトビールを始めようと声をかけたのが2018年9月のことであるので、実に2年かけてようやくスタート地点に立つことができた。この日はたくさん飲んだ

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9-10月 怒涛の初ビール仕込み

9月と10月は10月末の醸燻初仕込みビールの開栓イベントに向けて仕込みを行っていた。醸燻にある醸造タンクが5つであり、店舗のクラフトビール提供用タップ数も5つであるため、開栓イベント用に5種類のビールを仕込むこととなった。どういうプロセスでビールレシピを作っているかは別途書きたいため省略するが、9月後半から10月初旬にかけて怒涛の300Lタンクの仕込み5連続を岩田ほぼ一人で行った(私は本業集中のため1,2回目に少し手伝ったくらいだ)。

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1,2回目に仕込んだものが出来上がるころ、常連の方々へのお披露目を行った。それに合わせて店舗用の看板をプレゼントいただいた。これまで何の店かよくわからないという声があったのを気にしていただけたようだ。本当にありがとうございます。

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ちなみにこの時期、落合くんに誘われ筑波大学のコンテンツ応用論でオンライン講義を行い、それが週刊プレイボーイに掲載された。いまはロングバージョンがwebで見れるので、醸燻の経緯などを話しているのでよかったらどうぞ。

10末 - 11月 初仕込みクラフトビールお披露目

仕込みをした5種類がすべて無事に完成したため、10月31日と11月1日に初お披露目イベントを醸燻の店舗にて行った。当日は近隣の飲食店の方にも出店いただいた。店舗が狭いため工場倉庫を開放し、感染対策をしながらの開催であったが、地域の方に沢山きていただき、十日町という地方でやるからには地元の人に応援してもらうことがどれほど重要であるかを実感した。おかげさまでこの情勢の中、2日で200L近いビールを販売することができた。

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また、東京代々木のryudaさんにて、東京でのお披露目イベントもさせていただいた。こちらでも東京にいるお知り合いや、醸燻を知っていただいている方々に来てもらい、2日間の間に持って行ったビールをすべて飲んでもらうことができた。

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12月- 先の見えない年末年始

お披露目イベントも終わり、本来ならば醸燻をもっと売り込まなければいけない時期であるが、12月になり感染拡大がみられたため、販売計画に修正をしなければいけなくなった。この情勢下であっても、醸燻を続けていけるだけの売り上げを得るためにはどうすればよいかを考えていきたい。また、今年は日本海側は大変な大雪に見舞われることもあり、みなさまにはぜひご安全にお過ごしいただきたい。

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まとめ

まとまりなく書いてしまった。ただ、これまでのところ、困難もなんとかなんとか乗り越えられているので、今後も強い心で進んでいきたい。長くなってしまうので今年の目標や、醸燻のビールレシピを作るプロセスなどは別途書かせてください。本業は在宅勤務続きだったため、2020年なにもなかったかと思いましたが、まとめるといろいろありましたね。良い1年にしていきましょう!

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