見出し画像

ものづくりの情熱が生む、老舗の看板に甘んじない『ユニークかつ美味しい』純米酒

<はじめに>

掲載4社目は、井波を代表する酒蔵「若駒酒造」さんです。
若駒酒造の創業は明治22年(1889年)。瑞泉寺へ続く八日町通りの酒蔵として冠婚葬祭などで重宝された時代から一変、平成中期から日本酒の消費量は減少の一途を辿り、昨今では新型コロナウイルスの流行により一層厳しい経営を強いられています。そのようななかで若駒酒造はどのような酒造りを目指して歩みを続けているのか、若駒酒造の歴史から未来への展望を含めて、6代目 清都英雄さんにお話をお伺いしました。
ぜひご一読ください!

<若駒酒造とは>

創業1889年(明治22年)。
井波の八日町通りにある酒蔵。代表銘柄に「若駒」「八乙女」「神古の風」「弥久」などがある。米の旨味がひきたつ、さっぱりとしたタイプの酒造りを得意とする。
専務で6代目の清都英雄さんが酒造りと販売店舗の責任者を務める。代表はお父さまである5代目 清都邦夫さん。

若駒酒造の外観

“美味しさ”と“話題性“が両立する酒造りを目指す

井波の八日町通りを歩いていると『酒』と書かれた大きなのれんと杉玉が目に飛び込んできます。昔ながらの家屋と歴史を感じさせる看板から伝統ある酒蔵であることは一目瞭然。しかしながら、こちらの「若駒酒造」では第一印象とは異なる大変【ユニークかつ現代的な】酒造りが行われています。
現在、酒造りを任されている清都英雄さんは『ものづくり』が好きな性分から、美味しさと話題性が両立する酒造りを目指してさまざまな商品を開発してきました。なかでも「花酵母を使用したお酒」と「食用米である“てんたかく”を100%使用したお酒」の2つは若駒酒造を代表する“ユニークなお酒”として話題を集めています。それぞれをご紹介していきましょう。

まずは、井口の椿酵母を使用してつくられた「萌(めぐみ)」です。
花酵母を活用した酒造りは、富山県食品研究所からの相談がきかっけとなり始まりました。当研究所ではそれまでにも高山植物やチューリップの酵母を活用した食品づくりが行われており、次に『椿の酵母で何かできないだろうか?』というタイミングで英雄さんにお声がかかりました。担当者の椿採取に付き合うこと4時間超。100種類以上の花びらを採取した英雄さんは「せっかくだから」と椿の酵母を使ってお酒を試作してみたところ、なんと!想像以上に良いお酒が出来あがったではありませんんか。これは商品になると確信した英雄さんは、それ以降も「いのくち椿館」に協力をお願いして、落ちている花びらを拾ってきては酵母をつくり、新商品を開発していきました。
完成した新商品=「萌」は、甘みと酸味の心地よいバランスと花酵母特有の香りを楽しめることから、女性が気軽に飲むことのできる日本酒として人気を博しています。

「萌(めぐみ)」

次に、食用米である「てんたかく」を100%使用したお酒「若駒」です。
お酒の造り手として『同業者がどのようなお酒を造るか』は常に気になるものですが、他社のお酒をリサーチするなかで英雄さんは数年来引っかかっていることがありました。それは「美味しい食用米のお酒がない」ということでした。本来、タンパクが多い食用米は酒造りには適しておらず、米を削る塩梅が少しずれるだけで飲みやすさが大きく変わってしまうことから非常に扱いが難しいとされていました。
それでも、「自分なら美味しい食用米のお酒がつくれるかもしれない」という意欲を次第に膨らませた英雄さんは、一昨年に初めて「てんたかく100%」のお酒をつくり、試行錯誤の末に昨年ようやく納得のいく酒造りに成功しました。
今年は少し多めに仕込みをしたそうで、前回と同じような味に出来あがれば「てんたかく100%」の美味しいお酒として大々的に売っていける!と期待を膨らませています。

時代の変化に翻弄される“日本酒業界”。生き残りには若い層の獲得が必至

若駒酒造の始まりは明治22年、英雄さんのご先祖が高岡の戸出から井波へ移り住んだことを起源としています。清都家の本家(戸出)ではもともと庄屋を営んでおり酒造りに欠かせないお米が集まりやすかったことと、山麓地帯特有の良質な水が豊富であることが大きな要因となり酒造りを始めました。現在の建物は清都家が移り住む以前は醤油を醸造する土蔵で、温度管理がしやすい良物件であったことから現在の住所への引っ越しを決意されたそうです。
英雄さんは現在6代目で、お父さまの代まではほとんどが婿養子で承継をしてきたことと、戦争で亡くなった親族が多かったことから、自社の歴史について語り継がれていることは少なく、途中途中でわからない部分が多いとのこと。
社寺仏閣において「お酒」は必要不可欠なため、門前町の酒蔵として地域の方に重宝されたことが継続の要因だと英雄さんは語ります。宴会や催し物、特に冠婚葬祭にはお酒がつきもので、日本酒を作り続けていれば安泰だという雰囲気が確かにあったそうです。

八日町通りの様子

しかし、昭和後期になるとビールや焼酎が台頭し、最近ではワインやウイスキーなどの製造者も増えて、消費者はさまざまなジャンルから多種多様なお酒を選ぶことができるようになりました。また日本酒を日常的に飲む層は高齢の方ばかりで、その方々もあと10~15年したらお酒が飲めなくなってしまう。先を見れば見るほど苦しい現状が待っており、新しい顧客を獲得しなければ自分たちのお先は真っ暗だということを英雄さんは痛感していました。
そこで10数年前からお酒のイベントを企画したり出店したりして、まずは日本酒を飲んでもらう機会を増やしていこうと動き始めました。飲食店にも積極的に営業を行い、今では高岡や砺波を中心に若駒のお酒をおいている店舗も増えてきました。以前までは県内の飲食店の多くが「決まった銘柄があればOK」というスタンスでしたが、今では5種類以上の銘柄を揃えているところも多く、全国の多様な日本酒がおいてあることを売りにしているお店もあります。

さらに近年では日本酒の再ブームが到来しており、お酒のイベントにも若い層が増えてきました。10数年前のイベントにて、英雄さんは『若駒は知らないけど「弥久」は知っている』というお客さんに出会い、さらにそういう方は女性が多かったことから、もう少し若い層向きのお酒を造ることができれば生き残っていけるのではと新商品の開発に力をいれてきました。それが花酵母のお酒づくりにもつながっています。
日本酒はアルコール度数が高いため悪酔いしてしまうという理由で敬遠する人が多いですが、英雄さんは1日に1合だけでいいから、ビールや焼酎の“締め”として飲んでもらえるような文化を作っていきたいと考えています。

来年の売上を予想して、1年分のお酒を仕込む難しさ

日本酒の製造を語る上で欠かせない存在といえば「杜氏」でしょう。
元来、酒造りは専門職である「杜氏」が冬に酒蔵へ来て行うものでした。農業や漁業を営む人の冬の手仕事として酒造りは盛んになり、この近辺では能登から毎年複数の杜氏さんが来ていたそうです。しかし昨今では酒蔵の設備も向上して、温度調整さえできてしまえば1年中お酒を仕込むことができるため、杜氏さんの数は減少し、ほとんどが社員杜氏として年間雇用となっているそうです。
とはいえ、家族で経営するような小さな酒蔵では社員杜氏を雇うことは難しく、冬になると杜氏さんを呼んで酒を仕込んでもらうという習慣もいまだ残っています。

酒造りの前提である「今年はどれだけの量のお酒を造るか」「そもそもどれくらいお酒が売れるだろうか」という計算は経営者の役割です。もしも計算が外れてお酒が売れなければ、その翌年は借金をしないとお酒が造れないということになるため、大きなプレッシャーを背負いながら数字を決めていきます。
直近でいうと、コロナ禍により英雄さんの計算は大きく狂うこととなりました。それまでの数年間、積極的な営業活動や新商品の開発によって売上は伸びていき、もう少しで明るい未来に手が届くという矢先のことでした。ホップ・ステップと勢いに乗ったときにコロナ禍が直撃したのです。
想像できないほどに売上は激減し、奈落の底に落とされたような状況でしたが、英雄さんは「潰してはならない。皆さんに美味しいと飲んでもらえる酒造りを続けることが大事」と、なんとか前進を続けています。

それは、代々続いた酒蔵を継いでいく者としての責任感と言えるかもしれません。はたまた純粋に“ものづくりが好きな”英雄さん個人の想いだと受け取ることもできるかもしれません。

若駒酒造 店舗の様子

自分もお客さんも納得する、ものづくりがしたい

そもそも英雄さん自身は、家業を継ぐことについてそこまで前向きに考えてはいなかったそう。進路について初めて真剣に考えたのは大学進学のタイミングでした。自分は将来、酒蔵を継ぐのだろうか? 継がないのだろうか? 迷いに迷いながらも『今は自分の学びたい分野を学ぼう』という決意して、酒造りとは全く関係のない文系の大学に進学をしました。
就職活動のときには『自分が作ったものを売る商売がしたい』という想いを強くして、食品関係を中心に就職活動を行いましたが、バブルが弾けたばかりの就職難1期生には厳しい世の中。なんとかギリギリのタイミングで決まった就職先が岐阜県の酒蔵でした。これは実家の口利きなどではなく、本当にたまたま酒蔵に決まったそうです。
働き始めて数年が経ち、ものづくりに対する想いが捨てきれなかった英雄さんは製造部門への異動をお願いしようとしたちょうどそのタイミングで、実家から「戻ってこい」との声がかかり家業へ入ることになりました。そこで初めて本格的に酒造りを学びましたが、想像以上に難しく、もっとお酒の勉強をしておけば良かったと後悔する日々だったそうです。
そこから、現在のユニークかつ美味しい純米酒をつくりあげられるようになったのは、ひとえに英雄さんのものづくりに対する情熱と努力の賜でしょう。

「ひとりよがりではなくて『美味しい!』と言ってもらえるお酒をつくりたい。できれば100人全員に美味しいと言って欲しいけど、3分の1でも半分でもいいからそう言ってもらえれば嬉しい」と。そのためには個性が必要であり、どのような商品であるかの説明も必要であると、英雄さんはお酒づくりの具体的なところまで語ってくださいました。

若駒酒造 店舗の様子②

最後に

日本酒を取り巻く社会状況は大きく変化し、その「衰退期」と「再生期」に身を置くことになった英雄さん。さらに再生中にコロナ禍という想定外の打撃を食らうことになりましたが、それでも「あと5年くらいの間になんとかもう一つ社を支える柱を作りたい。そして次の世代に『はい、どうぞ』と自信をもって渡せる状態にしていきたい」と語ります。

ところで、「若駒酒造」をネットで検索してみると「美味しい」という高評価のレビューばかりなのです。お酒好きな筆者も椿酵母で仕込んだ『萌(めぐみ)』を飲んでみたのですが、透き通るような呑み口に、フローラルな香りと甘みがちょうどよく、とても飲みやすいなと感じました。
イベント出店などを通して次第に知る人が増えたのか、最近では『美味しかったから』と金沢の飲食店の方が一升瓶を10本買いにこられたこともあるそう。

そのユニークな発想と、美味しい酒造りにこだわる情熱を絶やさず、井波を代表するお酒としてこれからもたくさんの人に飲んでいただきたいなと思います。また南砺市には様々な美味しいお酒がありますので、観光協会が主催する「酒旅」などとも連携して、うまくPRを強化してファンを増やして欲しいと願います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?